おでかけの日は晴れ

お休みの日は映画を観におでかけ。時折、旅行。

バリ

個人メモ これまでのバリ島旅行
1994年7月30日〜8月11日 バリマンディラコテージ(レギャン・jlパドマ)
     グランドバリビーチホテル(サヌール
1995年7月 バリマンディラコテージ(レギャン・jlパドマ)
1996年8月  バリマンディラコテージ(レギャン・jlパドマ)  
2000年1月27日〜2月5日 バリサニ・ホテル(レギャン・jl.パドマウタラ)
2001年7月 フォーティン・ローゼス(jl.レギャン)
2002年9月3日〜   プリ・ラジャ・ホテル(レギャン・jl.パドマウタラ)
2003年9月27日〜10月7日 バリ・ホリディ・リゾート(スミニャック・jlアビマンユ)
2004年10月5日〜10月14日 トゥンジュン・バリ(レギャン・jlパドマ・ウタラ)/ココナッツ・ビーチ・リゾート(レンボガン島)
2005年6月28日〜7月6日 バクンサリ・ホテル(クタ・jlバクンサリ)トゥンジュン・バリ(レギャン・jlパドマ・ウタラ)クブ・バリ(チャンディ・ダサ)プリ・パディ・ホテル(ウブド
2007年6月25日〜7月 プリ・ブンガ・ヴィレッジ(ウブド)プリ・デワ・バハラタスミニャック・jlナクラ)
2008年3月10日〜3月16日 ロサニ・ホテル(レギャン・jlムラスティ)


94年に初めて行った時に知り合った、ものすごく元気で明るくて日本語が上手い、洋服を売ってる店で働いていた女の子、ニョマン。当時18歳。
その後、バリ島に行くたびに彼女に会っていた。働き口はいろいろと変わり、特に2003年のテロ以後はバリ島の敢行にまつわる産業は大打撃を受け、ニョマンも仕事先を失った。
不況は続き、ニョマンはずっと付き合っている彼、マディがいるにも関わらず、結婚は遅れた。バリ島では結婚などのセレモニーには大変なお金がかかるのだ。しかし、いつか彼女が結婚する時には必ずお祝いに駆けつけるから、絶対に連絡してねと約束をしていた。
ようやく2007年夏、彼女に会った時に、次の春に結婚する予定だと言った。
そして3月になったばかりのある日、ニョマンから結婚式のお知らせの手紙が来た。式まであと2週間もなく、私たちは大急ぎでネットで航空券とホテルのパッケージを予約した。

ごはん


よく行く、jlムラスティにある雑貨や服を売る店が軒を連ねる市場の奥のバビグリン屋。バビグリンは仔豚の丸焼き。それをごはんの上にのせたもの。肉はやわらかくジューシー。豚の皮がパリッとしている。


2004年以来仲良くなったインドネシア語=英語の学校を経営しているスマトラ人のアタルさん。
アタルさんがおすすめの「Dapar Alam」というアジア各国の料理が食べられる店。アタルさんが教えてくれる店は、みなどこもリーズナブルだがちゃんとおしゃれでいい店で、そして美味しい!
写真は「ベベッ ベトトゥ」。アヒルの蒸し焼きや野菜がごはんの上にのっている。非常に美味しかった!


これもアタルさんに教えてもらった「ワルン・イタリー」。イタリア料理が格安で食べられる。

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パサール・パギ(朝市)。トタンに囲われた割りに広い場所で、朝市が開かれている。生鮮食品、日用衣料、お菓子、今すぐ食べられるものまでいろいろと売っている。


日々の祈りに使用するチャナン。バナナの皮にお花やお米、お香を入れ、道に祭壇にいろんな所に置かれる。


肉も魚も新鮮なものをさばき、売る。すべて常温である。

ニョマンとマディの結婚式(2008/3/14)

二人のそれぞれの田舎にある実家でバリ・ヒンズーにのっとった結婚式がおこわなれる。
なお、バリの宗教儀式はバリの暦「ウク暦」で決められる。ウク暦ではバリの一ヶ月は35日でその6か月分の210日が1年。結婚式もお葬式もウク歴に従うため、この日はバリ島のあちこちで結婚式とお葬式が執り行われていた。


これはニョマンの実家。親戚や近所の人が家にいっぱい集まっていた。


祭壇のような所に村の偉い人が集まっているらしい。そしてそこで結婚に関する誓約書を交わすそうだ。離婚はしないこと、などなど・・・。





親戚や村の人はお米やコーヒーやお金など、結婚する2人に捧げものをする。家のものはご馳走を作り、みんなに食べて行ってもらう。私たちも頂いたけども、すごくおいしかった。