おでかけの日は晴れ

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「ある精肉店のはなし」と「17歳」

昨日はフランソワ・オゾン監督の「17歳」を観て、今日は纐纈あや監督「ある精肉店の話」を観た。
「ある精肉店のはなし」では部落差別の問題を抱えながらも屠畜・精肉販売をしてきた北出さん一家の話のドキュメンタリー作品。彼らは不条理な差別を受ける土地に生まれついた。そこで生きる父の姿を見て育ち、生きていくために家族間で固く結束し、そこでアイデンティティを培い、仕事を通して人として生きることについての思索を深めていった。
何かになりたい、と思っていた長男は、しかし結局は父親の仕事である屠畜の仕事を継承することが自分の使命ではないかと思い、高校卒業後から家業を継ぐ。長女も幼い頃からずっと家業と家庭をサポートしてきた。長男の嫁も被差別部落出身だったらしい。集団就職で大阪に来て、そして北出家長男と出会い結婚し、屠畜のサポートからにこやかな笑顔で精肉店での販売をしている。それぞれが皆、長い時間を経て家庭の中で、そして社会の中で居場所を獲得してきたという強い自負を持った顔をしていた。
ところで、その中で、時折ちらちらと画面に登場する孫娘の表情が私には気になった。髪の長い、きれいな顔立ちをした10代後半の少女。それぞれに仕事を分担しながら明るく逞しく生きていく大人達ばかりの大家族の中で、時々孫娘だけがリアクションにちょっと困ってるような表情を浮かべていた。そこに私は昨日観たオゾン監督「17歳」を思い出していた。
オゾン監督の「17歳」では、裕福な家庭に育つ17歳の少女イザベラ、彼女はネットに自らのセクシーなポートレートを晒し、次々と年上男性を相手に売春していたが、その理由は何ら語られない。母親は離婚歴があるらしく、優しい父親は義父であり、血が繋がってないという家庭環境のせいなのか?それゆえ彼女はファザコンで、だから年上男性と?それとも彼女の強い性的好奇心?
17歳の少女はその理由付けを一切拒んでいるように見えた。
そして、「ある精肉店のはなし」の中の孫娘を観た時、「17歳」のイザベラについて改めて思った。重要なのは「理由」ではない。ただ、そこに居場所が無い、という思いが確かにそこにあるということなのだ。映画のためにカメラが回ってる北出家の中で孫娘は居場所の無さを時折表情に浮かべていたし、イザベラにも多分、居場所の無さを感じていたに違いない。そして「17歳」のラストではシャーロット・ランプリングが、居場所の無い17歳のイザベラの元に、居場所を無くした老いた女として圧倒的な存在感を持って現れる。シャーロット・ランプリングの美しいけれども刻まれた細かな皺の一つ一つに、ティーンエイジャーの理由の無い居場所の無さと、そしてここまで生きてきた女が抱える居場所の無さの圧倒的な違いをまざまざと見せつける。ああ、「17歳」は、そういう映画だったなあと、「ある精肉店のはなし」と並べてそう思った。
http://www.17-movie.jp/
http://www.seinikuten-eiga.com/