おでかけの日は晴れ

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「中二病でも恋がしたい!戀」エピソード7

私はアニメ「中二病でも恋がしたい!戀」をこよなく楽しみにしている50歳既婚女子ですが(←オイオイ)、「中二病」に関しては第1期の方がいいかなあと思っていたところ、先日の第2期エピソード7があまりに良くて、そうそう、これだこれだと思うのでした。
少女が戦う物語は、すべて覚悟の物語なのだと思うのです。
魔法使いサリーちゃんも、魔法少女まどか☆マギカも。
サリーちゃんは厳格なパパのしつけのせいで、どんなに苦しくても魔法界の王女としてたった一人で戦います。
まどか☆マギカの少女たちも、世界を守るために誰にも知られずひっそりと、しかし命をかけて戦います。運命だとか使命だとかそういうものを少女の体一つで引き受けることを覚悟して。
中二病でも恋がしたい!」の少女たちにとっては、彼女たちの物語は現実を拒み、「誰でもない絶対的な自分」であることを守るための妄想ですから、サリーちゃんや他の魔法少女たちと違って命は奪われません、が、その物語に固執せねばならないほど彼女たちを取り巻く現実はつらく、それを前にして脆い存在であるのかもしれません。少なくとも、「中二病」第1期の六花(りっか)にとっては。
六花は、恋をすることで彼女のよりどころである妄想的世界が壊れそうになる。しかし、その妄想的世界の中だけに閉じこもっていても、いよいよ現実の枷は強く彼女を縛っていくだけだった。それが「中二病」第1期のお話だったと思います。
恋、とは、「誰でもない絶対的な自分」を壊すもの。
誰でもない、から、恋に慌てふためき、醜く嫉妬をし、占いの本などめくる、どこにでもいる女の子になってしまいそうで、少女はそのことに怯える。
しかし同時に、恋は、相手から「君は特別だよ」と承認を受けることでもある。
六花にとって、恋とは何か。第1期ではとりあえず「契約」という関係にそれを置き換えた。
しかし、第2期。中学生のころの勇太の親友、七宮が六花の前に現れる。勇太がダークフレイムマスターで七宮は魔法魔王少女だった。
七宮は六花に言う。
中学生の頃、勇太のことを好きになりそうだった。そうしたら魔法魔王少女であるはずの自分が失われて、ただの女の子になってしまいそうだった。だから、私はずっとこのままでいることに決めたの!と。恋を封印し、自分だけで絶対的自分の中で生きると、七宮という少女は中学生のときに覚悟を決めたのだ。
そして、六花に問う。あなたはどうするの?と。
あなたはその世界の中だけで生きていくの?
それとも恋をして、普通の少女に戻ってしまうの?
私たち、どっちが幸せだと思う?
少女はいつだって、いつだって、覚悟をせまられる。
その何かを選ぶときの境目に立つ少女たちの苦しさ。
私はどうしても悶絶しつつ、涙なくして観ていられないのです。
(でも私は、恋とはこれまでの世界を壊し、新しい世界へ繋がる扉を開けることだと思っているのですけどね)
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