おでかけの日は晴れ

お休みの日は映画を観におでかけ。時折、旅行。

内藤瑛亮監督「パズル」/109シネマズ名古屋

観終わったばかりの明かりのついた館内でたった一言で感想を言うなら「極悪な映画だったー」であった。そしてこっそりと「面白かった・・・」と付け加えた。
私は普段は怖い映画、痛い映画、残酷な映画は極力観ないことにしている。それでも「パズル」を観たのは内藤瑛亮監督だということと、主演が夏帆ちゃんであること。そして残酷さを予告から十分に感じ取ってはいたもののそこにあった映像は魅力に溢れてたし。
映画の中で、臨月の妊婦に加えられる暴力が、何よりも観ていられないほど不快であり苦しかった。妊婦は誰よりも何よりも護らなければならない、侵すべからざる存在である、と私の、そして多くの人の心の中にインプットされているのがよくわかる。
妊婦の絶対なる聖性。
しかし、妊婦がこのような酷い目に遭うことは現実にあったりするし、そしてその妊婦自身が犯罪に加担することもまたあるのだ。
そんなことを考えながらこの残酷なシーンを観ていた。
映画の中で、パズルの1ピースを少しずつ嵌めこむが如く、何故この残虐なゲームが行われていくのか、本当は誰が残虐であったのかが明らかにされていく。作中に散りばめられた殆どのピースが埋められ、あらかた絵が出来上がったとき、そこに表れた絵はなんだったのかということを知って愕然とした。
主人公の少年が、人を殺したり傷つけたりする理由は、提示されていくのだが、そこに正当性は無い。納得できるものなど、無い。でも考えたら人を殺すための正当性とはなんだ?という話だよね。正当性があれば暴力シーンは、殺戮シーンは、勧善懲悪という名の元にいともたやすく受け入れることが出来るのか?
いや、世界にはただ、狂気があり、抑圧された欲望の噴出があり、暴力がある、ということだけだ。
人が人を殺すということにどんな意味があるのだろうか。「パズル」の主人公の少年にとって人を殺すというのはどんな意味が?世の中の無差別殺人を犯す人にとっては?そんなことについて映画を観ながら出ない答えを必死になって探していた。
圧巻だったのは血まみれ夏帆ちゃんによる体育館での狂ったダンス。抑圧と欲望がこの世界にはあるのだ、もがいて、逃げて、苦しんで、走って、弾けて、そういう世界なのだということを表現してるようで、そこに何より内藤監督の表現したい世界を見たようで、とても素晴らしかったな。
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