おでかけの日は晴れ

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三浦大輔監督「愛の渦」/ミリオン座

大根監督「恋の渦」はポツドールという劇団を主宰する三浦大輔の作であると知り、その後「愛の渦」は原作・脚本・監督であるということで待ちに待ちに待ちに待った映画でした。
設定は乱交パーティでの一夜。
そして映画の宣伝文句でも「着衣シーンはたった18分」だの「剥き出しの性欲」だの、おお、そらどんなえっちな映画かねえなどという下心もアリでねえ。とは言え多分、セリフの応酬の面白さ、みたいな映画になるかなあと予想してたのですが・・・。
とにかく映画が始まってかなり長いこと、緊張に次ぐ緊張。私など何故か胸の前でひたすらぎゅっと両手を握り締めて、この重たい空気を動かす何かを待ち望むような気持ちだった。今から初対面の異性同士が約5時間、ひたすらセックスをするための場所にいるのに、何故か男女別に分かれて座り、同性同士でおずおずと「よろしくおねがいします」という謎の挨拶を交わす滑稽さに、何故か緊張しながら見つつも思わずクスクス笑ってしまう。
そこが「乱交パーティ」という場所であれ、それはコミュニケーション能力を必要とする「社会」なのだねえ。私が緊張してる原因は、この「社会」に対してなのだとふと気付く。社会に相対するための最初のコミュニケーション能力。そして最初とその後で入れ替わっていくヒエラルキー。最初に勝ち組であった「OLの女」はすぐにもっとも負け組に転落してしまい、勝ち組であり続けるためにズルい顔で共闘する「サラリーマンの男・フリーターの男・保育士の女」。そして「勝ち組でいることはそんなに面白いことでもないのかもしれない」と思わせるのが、その社会に属さないがもっとも欲望を享楽していると思える「学生の女」。彼女に対して、「幻の勝ち組、または存在のレア感」の期待値が高まっていく構造とか。
これはそういった「社会」の映画だと思いました。ちなみにもっとエロでもいいかと思ったけど、それは残念ながらそうではなかったなー(まあそれはいいんだけどー)。
比べるのはなんだけど、大根監督「恋の渦」は登場してた9人の男女がすべて等質であるが濃くて、すべてが主役であるけど群像劇だったけど、三浦監督「愛の渦」は群像劇というには人が薄い。これから肌と肌が汗やら体液で密着する予定の人と人の間にある決して縮まらない距離の重さが濃密だったけど、人自体の描き方がどこか物足りない気がしたなあ。あ、柄本時生演じるカップルの男のワケのわからなさは、三浦脚本の面白さがとてもよく出てたシーンだと思いましたが。
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