おでかけの日は晴れ

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「子宮に沈める」/緒方貴臣監督 シネマスコーレ

2010年の大阪2児放置死事件を基にして作られた作品。

現実の事件では、逮捕された母親もかつて実母に放置されて育ち、後に父親に育てられたこととか、少女の頃に性的暴行を受けていたとか、また彼女は高校生の頃に「解離性障害の疑いがある」と鑑別所職員に指摘されたそうだし、事件後も心理鑑定でも同様の指摘を受けていたそうだ。しかしこの映画の中の母親は、彼女の家庭的背景や精神面について殆ど描いていない。
つまり、このネグレクト、及び放置死は、特殊な環境にある女性による犯罪ではなく、誰でもこういう状況に陥ることはあるのではないか?というところから成り立っている。
例えばうちの店に来ている女の子達のように、若くて、きれいで、真面目で、仕事も一生懸命にしてて、結婚したらこんな素敵な家庭が作りたい、子供にも愛情を持って接する素敵なママになりたい・・・と思ってるような子たちにも起こりうることではないかと。
映画は部屋の中だけの撮影で、時にカメラの目線はものすごく低く、小さななにものかの目線でこの世界を覗いているようでとてもリアリティある映像になっている。そしてこの母親----3歳の長女と1歳の長男をとても愛し、家の中をいつもきれいに整え、良妻賢母を目指している若くて美しい女性が、その理想の自分を保つことが出来なくなっていく現実をとてもリアルに描いている。
現代日本の家庭ではよくあることだけれど・・・何故夫は、自分との性交の結果、子供を孕み、産んだ妻を女性とは見做せなくなり、捨ててしまうのだろう。なんで?なんでなの?と私は映画の中の女性と共に心の中で叫んだ。たまに帰宅した夫の物音を聞いてリップを塗り、髪を整え、母親から女に戻ろうと夫に抱きつく「良妻賢母」を目指した女の姿の痛ましさったら。
そして、幼い子供を抱えて離婚した女性を無条件に守るものはないのか。働くために利用する無料の託児所や、急に休まねばならない母親でも働くことの出来る職場は、どうして少ないのか。

毎日、うちの店には若い女の子のお客さんが来る。
労働時間の長さを愚痴ったり、実家に帰りたいけど実家のある田舎には働く場所がないとか、結婚どうしようとか、いろんな話をしている。どの子もみんな、若くて本当にきれいで、そのことだけでも祝福したい気分になる女の子たちばかりだ。でも、今の日本には、そんな子でもこの地獄に陥ってしまうかもしれないものを孕んでいる。

映画だから、この映画の中の3歳の少女は餓死するまで痩せ衰えてはいかない。でも、扉をガムテープで塞がれた密室で、食べ物も殆ど無い部屋で、おむつも替えられない幼児が、3歳の女の子が、どのように命が尽きる日を迎えたのだろうと想像する余地がたくさんあり、その想像に何度も戦慄する。