おでかけの日は晴れ

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「花火思想」

ちょっとした縁が生まれて、それでこの映画を観にいくことにした。
縁とは、シネマテークの永吉さんが「花火思想」の監督、大木萌さんと一緒にうちに来て下さったことから始まった。
その時、本当にちょうどその時、大須のシアターカフェの江尻さんが「ブックマークナゴヤ」のペーパーをうちに持ってきてくれた、というのもまさにこの縁の「序章」にふさわしい。
翌日、今度はお一人でごはんを食べに来てくださった大木監督。
聞くと、今日は映画の宣伝のために名古屋のいろんな店を回るとのことだった。ここに行こうという当てはあるのですかと聞くと、特にないとおっしゃる。だったらこれをどうぞと渡したのが、前日いただいたブックマークナゴヤのペーパー。ちょうどそこにはそのイベントに参加する店がずらりと表記されていて、どのお店も個性的で情報の発信力があって、何より素敵な店ばかりなのだ。大木さんはそれを見て「宝の地図だ!」とおっしゃってくださった。そして、モノコトさん、シアターカフェさん、シプカさん、ちくさ正文館さん、リチルさんなどを回られたそうで、そして名古屋滞在がとても楽しいものになったと聞いて私もすごく嬉しかったのだ。
そして、「花火思想」上映初日、またマタハリに来て下さった大木監督。するとまったく偶然に、「花火思想」を大阪から観にいらっしゃった監督の知人の方がうちに来てくださって、うちで奇跡のような出会い方をしていた。
うちの店が、そういう素敵な偶然が重なる場になった、ということがとにかく私にとっても嬉しい。ああこれは吉兆だな、と思った。そして私も観にいこう、この映画、と思ったのだ。


「花火思想」を観ながら、私は「才能」という言葉を取り巻く私の過去の感情を思い出していた。
「才能」について、誰しもが自分に備わる才能について考えたり、いや苦しんだりするのだろうか。
私は・・・20代から30代の頃の私は、そう私でさえも、「才能」というものについて考え、そして苦しんだな。
学生の頃の音楽をやっていた私が、その後の演劇の世界で役者としての自分が、そして芝居の台本を書きながら物を書く私が、その「私」の中にある才能はいかほどなものか、その才能はどこまで世界と対峙できるのか、できていないのか。思い込みと自信と劣等感と嫉妬と快感と絶望と、そういう感情がーーー私の場合荒波でもなく、ちゃぷちゃぷ波立つぐらいの中で生きていた。
「花火思想」の主人公の青年、そしてかつての彼のバンド仲間を見ながら、私の中にあったそんな思いを思い出していた。
そして、この映画を観ている今の私は、あの頃と「才能」に関する感じ方がすごく変わったなあと思っている。
あの頃、生きる意味というものは、自らが何かしら持っている才能を発揮して、またはそれを育て・伸ばし、そして世界と対峙することだと、そのように感じていた。
今は、ちょっと違うなあ。才能=生きる意味、では決してないと思ってる。
例えば「花火思想」の主人公は、自分がやりたいと思っていた音楽をやっていない現在は、多分生きているという実感をなくしているのだろう。生きる意味が見出せないまま、どうでもいいと思いながらどうしようもないコンビニ店主の元で働いている。このコンビニ店主も何の才能もなく、生きている意味のなさそうな男、として登場している。
でも、本当にそうか?
このコンビニ店主を「生きている意味がない」と断罪していいのか。こんなコンビニでも拠り所にする近隣の客がきっといて、潰れたらそれはそれで困るときっと思われている(別に描かれてないけど)。こんなどうしようもないコンビニ店主でも、それでも彼が存在して世界の小さなピースになっているのだ。
主人公が最後に詰め寄っていくホームレスの男。ホラばかり吹いて、そして人に殴られても殴られるままでいる男。そんな男でも、やはり世界を構成する小さな小さなピースのひとつなのだ。それらが無くなっても世界は崩壊はしなくても、それでもただ、そこに居るというだけで、その集合体で、世界は形作られている。
才能がなくては生きていく意味もない、と思い込んでる主人公と、その対称にあるホームレスたち、またはコンビニ店主。
「生きる」ということに対する考え方は、年を経ていくごとに変わっていくのだ、きっと。映画の中の彼らと自分の中にある変化と、それらを見つめながらこの映画を観ていた。