おでかけの日は晴れ

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紙の月

映画クライマックス。宮沢りえ演じる梅澤さんが銀行の会議室のような部屋の窓ガラスを椅子でバリンーー!!と割った瞬間。私は反射のように涙がつつーっと出てきて、そこから先はもうずっと、涙が止まらなかった。
梅澤さんは窓から飛び降りるのか。その先は死なのか。それとも逃亡? 小林聡美演じる隅さんが梅澤さんの腕を取り、そこから先に彼女が進もうとするのを止めようとする。それに対し、梅澤さんは言う。
「隅さんも、行きますか?」と。
銀行という職場に長年勤め上げ、その場所で自分に対しても社会に対してももっとも正しくあろうと生きてきた隅さんに「あなたも行く?」と聞くセリフが恐ろしい。そして隅さんのような人でさえ、問われて一瞬スキが出来るところに何故かまた泣けた。

私は、何を泣いてるのだろう。

ニンフォマニアック vol.2」の、不感症になり快感を失っているのに、それでも性交を求め、そして更なる刺激を求めて真夜中に幼い子供を家に残し、男に鞭打たれるために家を出るジョー
「紙の月」で稼いだ金を・貢がせた金を・財産として持っている金を・横領した金を、どんどん使いモノを買っていく女達。
2つの映画の中、欲望を前にして走る彼女たちの姿が重なるのだ。
そして私も欲望のために夜を駆けたことはなかったか?
中学生の頃とか。大学生の頃とか。20代、30代・・・・、あったよ!
そして、それがどんなに愚かしいことでも、そこに今も昔も後悔なんてないよ!
後悔はないが、そのような愚かしさが仕方なくも悲しい。

「綺麗ですねえ、ニセモノなのに」。
梅澤さんは、痴呆が入ってきたらしい一人暮らしの財産家の女性のお金を横領している。老いた女性の浪費も加速している。
梅澤さんは笑顔と優しい言葉で女性に接しているが、彼女の首にかかる安物の水晶のネックレスを見て、小さな悪意の言葉を投げかけるのだ。
しかし、そこだけ正気に戻ったかのようにはっきりとした口調で老いた女性が言う。
「いいじゃない、ニセモノでも。綺麗なんだから」と。
梅澤さんは年下の恋人と初めて夜を明かしたその喜びも、どこか「でもこれはニセモノの美しさだから」と思っていたと言う。
ニセモノって何だろう。ていうか本物ってなんなの?本物は本当に幸せにしてくれるの?ニセモノの幸せがあるなら本物の幸せって?

梅澤さんは、その答えを出せたのだろうか。

窓を割り、そこから外に走りだした梅澤さんは、本当はどこに行くのが自分の居場所だと思っていたんだろう。本当は、刑務所に入ることが自分の居場所だと思ったのではないか。でも、走っているうちに、どうしても自分の罪が納得できなくなったんだと思う。
どこかに動かないままあり、無駄に浪費されるお金を私が私の幸せのために使って何故いけないの?と。
銀行という組織は他人のお金を集めてそれを他に回して動かしているけど、それを私が私個人のためにしてどうしていけないの?
銀行は不正を行っているのに、私が私の幸せのためにそれをやって何がいけないの?
それが罪だというルールはわかっていても、でも、本当にどうしていけないの?という納得のいかなさ。

そうか、法とは、罪とは、所有に関するルールなんだ。
個々の所有を侵すことで争いが生まれるから、人類は長い年月をかけて争いをなるべくなくすため、またはそれを解決するために法を定めてきた。
それなら、梅澤さんが夫を裏切り、平林さんの孫と付き合い、彼に貢いでいくことが罪とされるのは、梅澤梨花は梅澤さんの夫の所有物であるからか。どうして家族は、お互いの所有物だってことにならねばならないのか。

梅澤さんも、そしてこの映画を見てる私も、そしてこの映画を見てる多くの誰かも、本質的にその何が間違っているのか、どうしたらいいのか、いろいろと納得がいってない。だからもう、走るしかないのだ、あらかじめ定められた居場所ではない方角へ。