おでかけの日は晴れ

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「殺人出産」村田沙耶香

殺人出産 (講談社文庫)

殺人出産 (講談社文庫)

以前読んだ村田沙耶香の「しろいろの街の、その骨の体温の」(2012年出版)は面白く、そして興味深いテーマではあったけれども、文体というのか、例えば同じような表現が繰り返し何度も出てくるところや全体のテンポなどが私には今ひとつ合わない感じがあったのだ。しかし今回の芥川賞村田沙耶香の「コンビニ人間」。それならばこの受賞作か、それとも過去作を何か読んでみようと思って手にしたのが「殺人出産」(2014年出版)。
思っていたよりずっと面白かった!「しろいろの街の・・・」で気になった同じような表現が繰り返されるまどろっこしさはない。文体に洗練を感じる。
どこにでもありそうな、あるOL女性とその同僚の会話から始まる物語。しかしその会話の中から、そして会話の後の主人公のモノローグから、この「殺人出産」の世界の概要がぱらり、ぱらりとほどけていく。
作者のその世界観の発想がとても面白い。モチーフとしては筒井康隆を髣髴とさせる。しかし筒井康隆の作品から感じたシニカルでブラックな笑いと村田沙耶香の「殺人出産」から受けるイメージは大きく違っている。それは、「命を生み出す機能」をあらかじめ備えられた女性に生まれた、そこからの視点であることが大きいのではないか。
女性の自由、女性の人権、女性が学問を修めること、女性が仕事の上で高い位置を目指すこと、と、どうしたって人間の子供は女性にしか産み出せず、しかも若いうちのほうが母子共に良い、という現実への折り合いの付け方が未だわからない。世の中は少子化に向かっている。
ならば恋愛や結婚と出産は別物と考えるとしたら。
親と子を血や遺伝子の結びつきだけで考えないとしたら。
生に関する合理化とは。
という観点から、男も出産できる世界はどうかとか、そして生に対しての死、誰しも持ちうる殺意とは何かとか、そのようなことをテーマとしつつ物語は静かに進んでいく。
この「殺人出産」の世界の静けさも、とてもいい。

主人公の育子は、100年前の世界と今では倫理観が変わっている。では今の正しさは100年後にどう変わっているかわからない、と言う。
その「100年」という単位は、この物語の中の約1ヶ月ほどにも呼応している。小学生の従姉妹、ミサキが夏休みを利用して育子の元にやってくる。ミサキは、「今、セミのスナックが流行っているんだよ」と言い、東京でそれを買いたいと言う。育子はそんなものが流行っていることなど知らなかったし、カラフルな袋に入ったセミのスナックを見てぞっとする。しかし、その後の描写では会社の昼休み、同じ会社のOLたちは虫のスナックやサラダを美容や健康にいいと言って楽しんでいる。以前は気持ち悪いと思われたものがあっという間に価値観を代え、世の中に浸透していく。「殺人出産」というインモラルも、人に殺意を抱くこと、誰かを殺すこと、殺されることも、新たな価値感の中でわずか10数年の単位で意味が変容し、「正しいこと」になっている。
この小説は簡潔な表現と昆虫食などのモチーフを使いながら、まるで日々の生活が何かから洗脳を受けているように流行が、常識が、人の意識が、正しさが変容していくのを表しているのが、とても見事だと思う。
「あなたの信じる世界を信じたいのなら、あなたが信じない世界を信じている人間を許すしかないわ」
という育子のセリフにとても刺さるものを感じた。

たくさんの女子に読んで欲しいし、そして男子は・・・自分が人工子宮を埋め込み、そして帝王切開で子供を10人、産んでいくところを自分のこととして想像して欲しい。おののくはずだ。愛とか母性とか、それとは別のものとして私たち女性は子供を産み出す機能、それを引き受けなければ人類という種は絶滅するかもしれない使命を持たされ、その現実をどう受け止めるのかという問いの中で生きているのだ。