おでかけの日は晴れ

お休みの日は映画を観におでかけ。時折、旅行。

スイス・アーミーマン

監督・脚本 ダニエルズ(ダニエル・シャイナートダニエル・クワン

キャスト ポール・ダノダニエル・ラドクリフ

 


映画『スイス・アーミー・マン』予告編

この予告編を観れば、絶対に観たくなるよね!

私はそれまで何の情報もなく、その月の観たい映画リストにも入っていなかった。

しかしこの予告編を観てこれは間違いナシと判断。とは言え、それほど期待もしていなかったのだが。

・・・こんなにいい映画だったとは。

 

無人島に漂着したハンクは絶望のあまりそこで死のうと首を吊りかけたとき、海辺に流れ着いたひとりの男を発見。ただ残念なことにそれは死体だった。しかし、その死体から変な音が聞こえる。体に溜まった腐敗ガスが肛門から出ているようで、それはつまりおならであり、このギリギリの状況にはあまりに情けなく、そして尊厳を感じさせない。ところがその死体はおならの推進力で海中をすごいスピードで流れていく!ハンクはまるでイルカにでも乗るようにその死体に跨り、海を駆けていくのだった・・・。そして新たに漂着した島。そこからハンクは死体を担ぎ、死体と共に人のいる場所を探して歩いていく。ガスでパンパンのその死体は自力で動けないものの何故か喋り、ガスの力を使って様々な役に立つ、スーパーな死体だったのだ・・・。

 

さて、冒頭からおなら。その次にはうんこ。

男の子の大好きなものばっかりが出てくる。

いや、ホントはそれ、女の子だって大好きなんだよ。

そしてエロ本。いや別にそんなにエロくはない。水着を着た女性が挑発的な目でこちらを見てる、そんな写真が載ってる雑誌。

何の記憶もない無垢な死体、メニーは、それは何かと聞く。

子供にとっては宝物だった、とハンクは答える。これを高速道路のそばの草むらに探しに行ってたんだ、と。ところが母親は「そんなものを見ていたら目がつぶれる」と言った。父親もオナニーをすることを禁じた。ハンクはオナニーをしようとすると母親の顔が脳裏に浮かんでしまい、出来なくなってしまった。

そう、ハンクは抑圧された青年だったのだ。こんな状況でもメニーの前でおならもしない。一目惚れした女性にも声をかけることなく、そっと見ているだけ、そして盗撮した1枚の写真をスマホの待ち受けにして眺めるだけ。

そのハンクに、無垢な死体、メニーは言う。オナニーをして見せて。母親のことを考えたらいい。それとも自分が君の母親を想像して射精してもいいか。心を持たないメニーの問いかけにハンクの持っている抑圧が様々に炙り出されていく。

メニーは、ハンクに、片思いの女性の格好をしてみろという。馬鹿げたことをとハンクは言う。いや、きっとそれで僕は君にシンクロして故郷に帰りたいという思いが生まれ、そして君を故郷へ戻す力を得ることができるだろう、とメニーは言う。

ハンクは森の中にある木や蔓や廃棄物を使って、彼女とであったバスを再現し、カツラらしきものを作り、女性物の服をこしらえ、女の姿になり、彼が恋した女性を演じる。メニーはそれを見ながらハンクの心情に同調していく。

この辺りの森の中でのハンクとメニーのシーンはとても幸せなものとして描かれている。死体であるのに万能で、2人は最高のバディだ。ハンクはメニーに対して父親のことを語ったり、または片思いの女性に扮したりしながら、彼を縛っていた抑圧が少しずつほどけていくのだ。

 

2人はなんとか現実の世界、人のいる世界、しかもなんとハンクが片思いをしていた女性の家に辿り着く(!)無人島に漂着してしまった時以来、それはハンクが必死で戻ろうとしていた世界のはずだった。そこに着き、好きな女性に会い、父親の自分への思いも知る。しかしだ。そうやって戻ってきた世界はやはり、彼を抑圧する世界だったのだ。ハンクは死体と行動を共にする変質者であり、人前でおならをする無礼な人間であり、子供を持つ既婚者である女性を盗撮して待ち受けにするストーカーまがいの男であり、更には森の中で女装までしていた!そうやって現実世界は再び彼を糾弾しはじめる。

メニーと行動を共にするうちに感じるハンクの歓喜。そして無事現実の世界に戻れたことも喜びのはずだった。しかし彼を打ちのめす絶望。そこに私は映画を観ていて泣けて仕方がなかった。それでもこの映画は、様々なマイノリティを肯定する力を持っている。ハンクは最後にまた、死体でありながらおならの力で自由に海の向こうへと流れていくメニーの姿を目にするから。「死」というもっとも人の自由を奪うはずのもの、その抑圧さえ解いて自由に海の向こうへ行くメニーの姿は希望である。