夜のざわざわ
なんとなく、すごくさみしくて切ない気持ちでいる。
理由はあるようでないようで。いや、多分いくつかあって、それはどれもひとつずつがとても細かくて小さい。
いわゆるこれは、ただの「気分の波」のようなものなのだろうか。そうだとしても、心がちいさくざわめいていて、別にそれを無視してこのまま布団に入り眠ることは出来るのだけれども、せっかくの休日の夜、このざわざわに少しでも向き合わないと勿体無いような気がしている。
だから、こうして文字を打っている。
ずっとこれまで、何かを書かずにはいられなかった。
13歳から30歳半ばぐらいまではそれは日記で、あるときからは芝居の戯曲になり、そしてあるときからはネットの掲示板やブログで。
でも、ここ最近、私は本当に何も書いていない。
感じたちょっとしたことをツイッターに書いてたけれども、それも殆どしていない。ツイッターには主に店のことを書いている。店のことを考えると書く内容にも制限がかかる。いや、以前は制限など自分に課していなかったな。最近では無意識に制御している。
または書きたいことがあっても日々のあれこれに埋もれ、それをする優先順位が下がっている。今、私が自由な時間に一番時間を割いているのは英語の勉強だ。
そうしているうちに、自分の中で感じたことを文字にする習慣が、いや習慣と言うよりも情動が薄れていっている。多分これは年齢のせいもあると思う。
ほんと、年を取っていくとこんな風になってくってことを知るよ。老いに入っていったら、好きなことはちゃんと自分の生活の中でそれをやっていかないといけない。そうしないと、どんなに好きなことだって心の中でそれが薄くなっていくからだ、たぶん。
本を読む。英語の勉強をする。映画を観る。音楽を聴く。心に生まれた何かをそっと文字にする。
自分にとって大事なそれらを大切にしていくということは、それを細く長く続けながら楽しむことだ。
こうやって書いていると、私の中に、本当に小さくてきっと他人にはどうでもいいことなのだけれども、書きたいことがいくつもあることに気がついて嬉しい。
今日、私が何に憧れて何を苦手に思ったかとか。
『仮面ライダージオウ』の変身シーンの美しさについて、とかそんなことも。
私の友達が、殆ど非公開で私を含めた少ない人だけにアドレスを教えてくれてる日記サイトがあって、そこに書かれているその人の日常の思いは私にとって宝物のようなもので、私もそんな風にひっそりと、人の目を気にせずにここに書いていけたら、と思ってる。