おでかけの日は晴れ

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『影裏』綾野剛の儚さに悶絶するか。それとも・・・?

キャスト

今野秋一  綾野剛

日浅典博  松田龍平

西山    筒井真理子

副島和哉  中村倫也

スタッフ

監督   大友啓史

撮影   芹澤明子

音楽   大友良英

 

何の予備知識もなく観に行った。暗い会社の中、暗い表情の綾野剛演じる今野。運んでいる段ボールには中に入ったものを記した救援物資で、そこが震災後の東北だと徐々にわかる。会社を出た今野を駐車してる車の中で待ち伏せし、そして彼を捕まえる女、筒井真理子演じる西山。「今野さんはさあ。最近カチョウと会ったりしてた?」こんな風に始まる映画を。

 

そこから話は過去に戻る。淡い朝の光の中、うつぶせになって眠っている人の足、ふくらはぎ、太もも。フィットする素材の下着から少し太ももの肉の柔らかいところがはみ出ていて、そこから続く下着に包まれた丸い尻。・・・とカメラがゆっくり舐めていく。細くて、白くて、美しくて、でも女ではない男の下半身。寝ている男をこんな風に足先からゆっくりと撮る映像など初めて観たかも。

そのまま起きても上半身裸、つまりパンイチ、しかも先ほど書いたようにやけにフィットする素材の白か薄いグレーの下着。ああもう、いろいろがくっきり。カメラの位置はやけに下。私は男の下着姿に特に何も感じないと思っていたが、なんなんだこの映画の綾野剛の美しさは。ひとり目覚める朝のシーンは何度も登場し、そのたびに足先から映される。風呂に入る全裸の後ろ姿も出てくる。まるでその部屋にはもうひとり誰かがいて、それを覗いているような。綾野剛が、誘っているように思えてくる。その孤独と美しさで、この部屋に誰かが来ることを。

いや、彼は決してそんなことを望んでなどいない。人との接触を拒否しているようにも見える。それでもアパートの住人はクレーム付けにずかずか入ってきてくるし、そして日浅という男もいきなり彼の領域に侵入してくるのだ。

 

今野を演じる綾野剛がとても儚げで、日浅を見る目が、彼の行動や言葉にいちいち驚き、心が揺れ、そしてしっとり濡れていく。とにかくとにかく、これまで観た綾野剛の中でもっとも切なくて美しい。かつての恋人、副島(中村倫也)との短い逢瀬のシーンも!

しかし日浅演じる松田龍平は、ほんとうにとらえどころがなく、怖い。日常の中に猟奇的なセリフが混じっていってもそこに何かしらの説得力を感じる。そして私は映画を観ながら、この男はかつて誰かを殺したのだろうか。それともこれから誰かを殺すのだろうか。そんな思いにとらわれながらずっと見ていた。松田龍平が画面の中にいるとずっと不穏なのだ。幸せなシーンでも、そうでないところでも。

不穏と言えば筒井真理子。本来、この映画の中の西山という女は確かに日浅と絡んでいるわけだけど、筒井真理子が演じることで無駄に不穏さが立ち上がってきてた。指で自らの唇を触った瞬間のどこか下品でさもしい印象、回りくどいセリフと微妙な間。いったい何が起こるのか、何があったのだろうと不穏にさせる演出だったな。

日浅の父親のセリフも印象的だった。捜索願を出さない理由。この辺りのセリフ、すごく好きだった。

震災によって多くの命が行方不明となっている。救済と復興。そして行方不明者を探し出すということ。あの時、あの地に求められていることには果てがないと思われた。そこで、あんなやつのためにその労力を使ってもらいたくない、と父親が言い切るのだ。すごくそれが突き刺さった。命に大小はない。命に貴賤はない。それは真実だ。けれどあの非常事態のさ中、自分の愛情を裏切った人間に対してその真実は本当に揺らぐことはなく真実としてあり続けられるか否か。過酷な選択が日常と化していた東日本大震災の日々。リアリティを感じられたシーンだった。

この映画は、小説を原作としたものだが、その物語のすべてを語りつくしていないような気がしたし、部分部分は説明的なシーンを削り、観ている側の想像力で補填する部分も多いと思う。それは全然嫌いではないけれど、どこか脚本としてこなれていないような気もした。それでも私は十分、綾野剛の美しさや切なさ、儚さに悶絶し、もし昔みたいに入れ替え無しで一日中上映していたら私はすぐさま2回目を観ただろうし、ソフト化したら持っていたいと思うような作品だった。

 

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