「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」
監督 大根仁
キャスト
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』予告編
あかりはとにかく瑞々しく、可愛く。いつもながら最初の登場から大根監督の女優に対する愛情がたっぷりな映像。内容もまさに大根監督!いろいろ楽しめました。
(以下ネタバレあり)
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数日前、私の参加しているSNSにて、私が自分の年齢についてのことを書きました。40代も楽しかったけど50代も楽しいのよ。どうしてかっていうとね・・・みたいな話。そこに30代男性のコメントがつきました。「(自分は)心は10代、体は50代、年齢はギリギリ30代です」と。
そこで思ったんですよね。男性って結構「心は10代」とか「心の中は少年のまま」とかって言いますよね。昔だったら飲み会でそう言われたら「あーっ、私だって心の中はまだ少女なんですからぁ~!」とか言って「お前のどこが少女だー!」みたいな返しをされるのが定番ですよね。しかし本気で「でも私は心の中は10代なの」って言う女性、いるのかしら。いるとしたらそれはどんな意味で? そしてどうして男性は自分の心の中だけはずっと「10代」とか「少年」って言いたがるのかしら。男性にとっての10代や少年って、なに?
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「奥田民生になりたいボーイと出会った男すべて狂わせるガール」の最後を観て、ちょうどそう思ってたことを思い出しちゃったのです。
コーロキは一切のあと、意外なことに幸せな成功者になっています。
人が良くて、出会った人はみんな彼のことが好きになる、そして仕事のできる男に。更に最高の妻も得ています。間違いないでしょう、コーロキにとって彼女は最高のパートナーでしょう。
しかし、彼は昔と同様、安いそば屋に入ってそばを啜りながら、唐突に泣いてしまうのです。
そのそば屋で、若かったかつての自分を幻視するからです。目をキラキラと輝かせ、仕事に食らいつき、あかりを一途に想って時に身勝手に自爆して、誰からも賞賛されない、どこか野暮ったい、それでも恋という強い輝きを放つ季節の中にいたかつての自分を。
そしてね、そばを啜りながら泣くんですよ。去った彼女を想って泣いてるんじゃないんですよ。過ぎ去りし日の自分を想って泣いているんですよ。
私はね、このシーンが本当に大根監督だなあ、そして男性だなあって思うのです。
私は10代の心はあまり戻したくない。自意識過剰だったし、自由がなかったし。いろいろとしんどかった。過去の瞬間の中に素敵な他人と懐かしい自分はいるけれど、年を経ていくごとに増えるなにごとかもいとおしいし、なにより心が軽くなっていく気がする。昔の自分よりも今の自分のほうがいいと心から思う。だから、この映画のコーロキのように、あんなふうに泣くなんてないような気がするなあ。私たちが一人で泣く理由は、もっと違うような気がする。
そんなことを映画を観た人と話してみたい気持ちになった映画でした。