おでかけの日は晴れ

現在はこのブログにあるものすべて下記のサイトに移行し2021年7月6日でこちらは停止しました。以降は、左記の新サイトをどうぞよろしくお願いします。 https://ameblo.jp/mioririko

BLドラマと親子関係

もうずっと長いこと、私は日々楽しいし、幸せだと思うし、考え方は何でも楽天的にとらえているほうだ。しかし正直言えば私が22歳で家を出るまではなかなか暗黒な環境にいたと思う。幸せな点を数え上げれば幾つもある。それでも幼い頃には祖母から、その後は継母からときに理不尽に思える暴力をふるわれ、10代の頃の私は家にいる時にはずっと息をひそめて生活をしていた。その後の私は長いこと、自分が共に居たいと思う人との間でだけで生活し(仕事も友達関係も家も)自分で選ぶことのできない「家族」というものから遠く離れて生きようと決めていた。家族を描いた作品はとても苦手だった。壊れている家族を描いたものには共感できた。しかし「いい家族」を描いたものは観ることさえ拒否していた。

 

ところがタイや台湾のBL作品には「家族」がたびたび描かれている。そして不思議なことにそれは私に嫌悪感を抱かせることがなく、それどころか泣きながら観ていたりする。

 

BL作品には息子が自らのセクシャリティをカミングアウトしたのちに、息子の一番の理解者であろうとしたり、静かに見守ったりする家族が幾度となく描かれる。『Dark Blue Kiss』に登場する父親は、息子を信頼し、時に人生の先輩としてのアドバイスを贈ってくれる。

しかし私がもっとも心に刺さったのは、『Why R U?』で描かれたFighterとその父親だった。Fighterの父親は、息子の幸せは自分が成しえた財を引き継ぎ、家業を継ぐこと、そして妻を娶り子を成すことだと信じて疑わなかった。Fighterはずっとその抑圧の中で生きていたが大学でTutorに出会うことで自らのセクシャリティを知り、父親の望むようには生きられないことを宣告する。勿論、父親は怒る。彼はそれ以前に息子のBoyfriendであるTutorに内密に会い、穏やかだが強い口調で息子と別れるよう言っているのだ。

そのことをやっと知ったFighterは父親に立ち向かう。口論の末、「家庭を築くことが幸せだというが、ママはあなたから去ったじゃないか!」と言い、その言葉が父親を傷つける。

そのあと。Fighterは父親に酷い言葉を投げつけたことを謝り、そして自分の道を自分に選ばせてほしいと父親に言うのだが、この時、父親の胸の中に入っていくのです。ひどいことをしてTutorを傷つけ、そして仲を裂こうとしたこの父親に自ら。

f:id:mioririko:20201231140901p:plain

f:id:mioririko:20201231140929p:plain

このシーンは私は何度観ても泣く。『Why R U?』の中でも秀逸なシーンのひとつだと思っている。対立する相手の胸の中にこんな風に入ることが出来たら、それはどんな幸せなことだろう。

 

親子としての記憶は一切なく、それがどういう関係でその間にどれだけかのこじれた感情があり、親子だと言われて今更相手にどのような感情を向ければいいのか、という思いがある。その気持ちは私がよく知っている感情だ。血の繋がり、そんなものがどれほど大事なのかと私も思う。台湾BL「HIStory3 圏套」はそれについて描いている。世の中には愛情の結果ではなく生まれるこどもも多くいる。しかしこの作品で幼少時代を孤独に過ごし、その後の数年間を復讐心で生きてきたタン・イー、彼は、そこにかつて深い愛情があって生まれてきたこどもなのだということをやっと知り得る。その命の源になっている男と女。父と母。それに対して私たちは完全に無感情ではいられない不思議な生き物だということをこのドラマを観て改めて思う。

・  ・  ・  ・  ・

ちょうど私はこの『圏套』を観た日、約2年ぶりに87歳になる父親に会いに行った。私は父親のことを結構好きなのだが、実際に父親と共に過ごしたのは約10年ぐらいだし、家を出てからの30数年で会ったのは多分、10回ぐらいじゃないかな。あちこちガタは来ているけれど耳も普通に聞こえ、普通に喋り、頭もしっかりしている父親と話していると、愛情に由来しているとしか思えない不可解な感情が沸いてきて困る。

私自身の生涯は自分が親になることは無い。親の愛情にそれほど固執することもなかった。そしてそのことに対して今も、きっとこの先も何一つ後悔することがないように思える。それでもなんとも微妙で不可解な感情はずっと底の方に残っていくのだろうと感じている。