おでかけの日は晴れ

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成人式の怨念

私は毎年、成人式の日になると、あの苦い気持ちを思い出す。

 

私が高校生の頃、継母が反物を見せてくれた。黄緑色の総絞りの反物で、これで私の成人式の着物を誂えると言う。その反物がどんなに高価なものだったのか、継母は何度も言っていた。

私は今も昔も物の価値がわからない人間だし、しかも美的センスがないので、着物なら黒が入ってデカくて真っ赤な花がボーン!みたいな、艶やかで少々下品なものに憧れていた。総絞りの反物での着物は、太ってる私が更に太って見えるだろうという予感もあった。でももちろんそんなことは言わなかったし、高価なものを買ってもらえたことには誇らしささえ感じていた。

それでもそこに私は実際の価値観を置いていなかった。問題のひとつはそこにあったのだろう。

20歳を迎える私は継母の希望で美容室でバイトしていた。だから成人式の前日は夜10時頃まで仕事をし、一旦家に帰って明け方4時に再び父に車で美容室まで送ってもらい、成人式のために髪を結い着付けをする人たちのための仕事をした。最後に店で私の着付けをしてもらい、髪は特に結うこともなく時間ギリギリで自分の成人式会場に向かった。

成人式は特に面白いこともなく、それより既に疲労困憊で、終わって早々に家に帰ってきた。

その姿を見た継母の顔には怒りが滲んでいた。

ーーどうして髪を結っていないのか?

それはだいたい私が元より自分の成人式に興味がなく、髪を伸ばしてもいなかったからだ。

ーー何故コンタクトレンズを買ったのにメガネをかけているんだ?

それはこんなに寝不足で疲れていて、それでコンタクトレンズが痛くて入らなかったからだ。

写真を撮ってこい、と継母は言った。「成人式の写真」というものさえよくわかってない私は適当にどこかに行って撮ってもらったはずだけど、結局後日、その写真を引き取りにもいかなかった。ただただ、いろんなことに疲れていたし、そのうえ何故私がこんなに怒りを買ってるかわからなかった。

着物を脱いで片づけていたら、継母は「ミンクのショールはどうした?」と言う。私は自分のミンクのショールがどういうものかよくわかっていなかった。着物の上に白い毛皮のショールをしていればそれはなんでもいいと思っていたし、ミンクとフェイクファーの区別もついていなかった。多分、美容室の着付けのドタバタの中、誰かのショールと取り違えられてしまったのだろう。そう説明してもこれに関しては本当に継母は怒りの納めどころがないといった感じで激怒していた。

 

今、やっとわかることがある。

継母と私は価値観を共有するということがまったくできていなかったことを。

継母にとっては、継子である私に、自身が得られなかった高価な反物を買い、着物をしつらえることは最上級の愛情表現であったことを。そしてその成人式の写真は後々の見合いなどで使う大切なものであることを。彼女はそういう価値観について説明しなくても、私とそれを共有できていると思っていたに違いない。ところが水商売をしていた両親と私は、子供の頃からずっと生活の時間を一緒に過ごしてはおらず、私は独自の価値観を形成していた。私には高価なものも、成人式とかその後の結婚などにもなんの価値も見出していなかったのだ。

もしかしたら、その成人式の日の私の晴れがましくもなく、みすぼらしい姿は、継母の人生に対する裏切りだったのかもしれない。そうして私も、そういう期待にも沿えずにどうしたらいいのかわからないことに絶望していた。

1年後。私は家族からフェイドアウトするように家を出た。

 

去年、継母が亡くなった。

そして今やっと、あの日の継母の怒りがどこにあったのか想像できるようになった。その途端に成人式の怨念がようやく薄れ、消えようとしている。

 

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