おでかけの日は晴れ

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HIStory3「那一天 あの日」

あの日、とはどの日をさすのだと思いますか?
永遠を誓った恋人と過ごす夢に向かっていた高校生活最後の半年間でしょうか。
大切なものを永遠に失ったあの日のことなのでしょうか。
すごく胸が痛い。観終わったあと、もうずっと私は泣いています。
この作品は「失ったあとの物語」。
 
「那一天 あの日」
監督 ツァイ・ミージェ
出演 ハオティン(項豪廷)役 ウェイン・ソン
   シーグウ(干希顧)役  ホアン・ジュンジー
   ボーシャン(孫博翔)役 トーマス・チャン
   ジーガン(盧志剛)役  ウィルソン・リウ
 
私たちはこの世に生を受けた瞬間から、失うことを運命づけられている。
得ることの喜びと失うことの痛み。人生はその繰り返しだ。
 
ジーガンは初恋の相手を家族に紹介したが彼の愛は家族に認められず、家族から絶縁されたままだ。その時に永遠を誓った恋人とはとうに別れている。この時のジーガンは家族と恋人を失ったまま、それでも生きていくために自分の店を作って働き、空いた時間は友人のジムで体を鍛え、粛々と彼の人生を生きていた。

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その彼を変えていったのは、ジムでアルバイトをしている高校生、ボーシャンだった。
初めての告白で「ずっと好きだ。ずっと一緒にいたい。永遠に一緒にいたい」というボーシャン。そのとき、大人としてジーガンは「俺の若いころと同じだ。高校生に永遠の何がわかる?」と答える。

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しかしその後ふたりは交際を始め、そしてボーシャンが高校、そして大学を卒業し、職に就き、つまらないことで喧嘩してはすぐ仲直りをしつつ彼らは共に暮らしている。
ボーシャンが18歳の時に口にしたキラキラした永遠とそれはまったく同質のものか。いやきっと違う色合いになった、穏やかな「日常」という名の日々。今、ふたりはそれを手にしている。
 
そんな幸せを手に入れることができなかったのは、ボーシャンの親友、高校時代に誰よりもワガママで自由で、大勢の友達を持ち、女の子にもモテて、そして「永遠」を誓い合う恋人、シーグウを得たハオティンだった。

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シーグウは幼いころに両親を亡くした。生きていくため、そしてよりよい生活をするために、すべての時間を勉学とアルバイトに費やしている。奨学金を得て進学し、いい職に就くことだけが彼の人生の目標であり希望だ。そのために必死で勉強し、満足な食事もとらず、学費を稼ぐためにアルバイトをしているのだ。空の星に向かって亡き両親に話しかけるのみで、他には友達も恋人も欲していなかった。そのシーグウの世界に入ってきたのがハオティンだった。シーグウは笑うようになり、ハオティンの友達は同時にシーグウの友達になり、ハオティンの両親に交際を認めてほしいと自ら言いに行くまでに変わっていった。

悲しいこと、やりきれないこと、つらいことはあっても、それでもそれ以上に楽しくて幸せだった高校生活最後の日々。この物語の1話から9話まではその日々を生き生きと描いていた。
けれどふたりの努力が叶い、ハオティンは難関の国立大に合格し、両親にふたりの交際が認められ、ふたりは生活を共にしはじめたばかりの日。
シーグウは事故に遭い、ハオティンは永遠にシーグウを失ってしまうのだ。
最終回の10話は、きっと学生生活は余計なことを考えることなく、ただ空の彼方に行ってしまったシーグウの近くに少しでも行きたいと登山をし、そしてシーグウが目指していた物理学を学ぶことにのみ専念して生きてきたであろうハオティンの姿を、その周囲にいる人たちの目線から静かに描いている。彼の表情には力がない。しかしアメリカに留学する前のハオティンはようやく少しずつ自分に向き直っていく。彼は決してまだ立ち直ってはいない。シーグウを思い出しただ泣いている、
かつて多くのものをもっていたハオティンは、もっとも彼が大事にしたいと思っていたものを失ってしまった。
失ったあと、人はどうやって生きていけばいいのだろう。
どうしたらその傷は癒えるのだろう。
傷が癒えるまでの痛みをどこまで引き受けねばならないのだろう・・・。
多分、誰にとってもこれは生きていく上での大きなテーマである。
泣いているハオティンにボーシャンは言う。
「進む道がわからなくてもとにかく進み続けろ」
ほんとうに、ほんとうに、そこにしか答えはない。
ハオティンは永遠にシーグウのことだけを思い続けながら生きていくのか、それともそれは大切なものとして胸にしまいながら、また新たな恋をして誰かに出会うのか。わからないけれども、ただ少しずつでも進み続けるしかないのだ。
 
永遠。
10代の時に口にする「永遠」と、年を重ね、いろんな経験を経てから思う「永遠」には違いがある。意味が、深さが、重さが違う。でもかつて感じた「永遠」が間違っているというわけではないのだ。あの時にしか感じられない永遠の形。そしてその後知っていく永遠の姿。
永遠は姿を変えていくけれど、その観念はいつしか優しい形になって、生きている私たちのそばにそっと寄り添って、少しだけ力をくれますように。
 
(写真は「那一天 あの日」の公式予告編より)