おでかけの日は晴れ

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「中二病でも恋がしたい!戀」エピソード7

私はアニメ「中二病でも恋がしたい!戀」をこよなく楽しみにしている50歳既婚女子ですが(←オイオイ)、「中二病」に関しては第1期の方がいいかなあと思っていたところ、先日の第2期エピソード7があまりに良くて、そうそう、これだこれだと思うのでした。
少女が戦う物語は、すべて覚悟の物語なのだと思うのです。
魔法使いサリーちゃんも、魔法少女まどか☆マギカも。
サリーちゃんは厳格なパパのしつけのせいで、どんなに苦しくても魔法界の王女としてたった一人で戦います。
まどか☆マギカの少女たちも、世界を守るために誰にも知られずひっそりと、しかし命をかけて戦います。運命だとか使命だとかそういうものを少女の体一つで引き受けることを覚悟して。
中二病でも恋がしたい!」の少女たちにとっては、彼女たちの物語は現実を拒み、「誰でもない絶対的な自分」であることを守るための妄想ですから、サリーちゃんや他の魔法少女たちと違って命は奪われません、が、その物語に固執せねばならないほど彼女たちを取り巻く現実はつらく、それを前にして脆い存在であるのかもしれません。少なくとも、「中二病」第1期の六花(りっか)にとっては。
六花は、恋をすることで彼女のよりどころである妄想的世界が壊れそうになる。しかし、その妄想的世界の中だけに閉じこもっていても、いよいよ現実の枷は強く彼女を縛っていくだけだった。それが「中二病」第1期のお話だったと思います。
恋、とは、「誰でもない絶対的な自分」を壊すもの。
誰でもない、から、恋に慌てふためき、醜く嫉妬をし、占いの本などめくる、どこにでもいる女の子になってしまいそうで、少女はそのことに怯える。
しかし同時に、恋は、相手から「君は特別だよ」と承認を受けることでもある。
六花にとって、恋とは何か。第1期ではとりあえず「契約」という関係にそれを置き換えた。
しかし、第2期。中学生のころの勇太の親友、七宮が六花の前に現れる。勇太がダークフレイムマスターで七宮は魔法魔王少女だった。
七宮は六花に言う。
中学生の頃、勇太のことを好きになりそうだった。そうしたら魔法魔王少女であるはずの自分が失われて、ただの女の子になってしまいそうだった。だから、私はずっとこのままでいることに決めたの!と。恋を封印し、自分だけで絶対的自分の中で生きると、七宮という少女は中学生のときに覚悟を決めたのだ。
そして、六花に問う。あなたはどうするの?と。
あなたはその世界の中だけで生きていくの?
それとも恋をして、普通の少女に戻ってしまうの?
私たち、どっちが幸せだと思う?
少女はいつだって、いつだって、覚悟をせまられる。
その何かを選ぶときの境目に立つ少女たちの苦しさ。
私はどうしても悶絶しつつ、涙なくして観ていられないのです。
(でも私は、恋とはこれまでの世界を壊し、新しい世界へ繋がる扉を開けることだと思っているのですけどね)
http://www.anime-chu-2.com/

「ある精肉店のはなし」と「17歳」

昨日はフランソワ・オゾン監督の「17歳」を観て、今日は纐纈あや監督「ある精肉店の話」を観た。
「ある精肉店のはなし」では部落差別の問題を抱えながらも屠畜・精肉販売をしてきた北出さん一家の話のドキュメンタリー作品。彼らは不条理な差別を受ける土地に生まれついた。そこで生きる父の姿を見て育ち、生きていくために家族間で固く結束し、そこでアイデンティティを培い、仕事を通して人として生きることについての思索を深めていった。
何かになりたい、と思っていた長男は、しかし結局は父親の仕事である屠畜の仕事を継承することが自分の使命ではないかと思い、高校卒業後から家業を継ぐ。長女も幼い頃からずっと家業と家庭をサポートしてきた。長男の嫁も被差別部落出身だったらしい。集団就職で大阪に来て、そして北出家長男と出会い結婚し、屠畜のサポートからにこやかな笑顔で精肉店での販売をしている。それぞれが皆、長い時間を経て家庭の中で、そして社会の中で居場所を獲得してきたという強い自負を持った顔をしていた。
ところで、その中で、時折ちらちらと画面に登場する孫娘の表情が私には気になった。髪の長い、きれいな顔立ちをした10代後半の少女。それぞれに仕事を分担しながら明るく逞しく生きていく大人達ばかりの大家族の中で、時々孫娘だけがリアクションにちょっと困ってるような表情を浮かべていた。そこに私は昨日観たオゾン監督「17歳」を思い出していた。
オゾン監督の「17歳」では、裕福な家庭に育つ17歳の少女イザベラ、彼女はネットに自らのセクシーなポートレートを晒し、次々と年上男性を相手に売春していたが、その理由は何ら語られない。母親は離婚歴があるらしく、優しい父親は義父であり、血が繋がってないという家庭環境のせいなのか?それゆえ彼女はファザコンで、だから年上男性と?それとも彼女の強い性的好奇心?
17歳の少女はその理由付けを一切拒んでいるように見えた。
そして、「ある精肉店のはなし」の中の孫娘を観た時、「17歳」のイザベラについて改めて思った。重要なのは「理由」ではない。ただ、そこに居場所が無い、という思いが確かにそこにあるということなのだ。映画のためにカメラが回ってる北出家の中で孫娘は居場所の無さを時折表情に浮かべていたし、イザベラにも多分、居場所の無さを感じていたに違いない。そして「17歳」のラストではシャーロット・ランプリングが、居場所の無い17歳のイザベラの元に、居場所を無くした老いた女として圧倒的な存在感を持って現れる。シャーロット・ランプリングの美しいけれども刻まれた細かな皺の一つ一つに、ティーンエイジャーの理由の無い居場所の無さと、そしてここまで生きてきた女が抱える居場所の無さの圧倒的な違いをまざまざと見せつける。ああ、「17歳」は、そういう映画だったなあと、「ある精肉店のはなし」と並べてそう思った。
http://www.17-movie.jp/
http://www.seinikuten-eiga.com/

年末ピットイン/大友良英

12月29日。マタハリ今年最後のライブ「Era」を終えた翌日、バスに乗って東京へ行く。バスでは蒸気の出るアイマスクをして爆睡。静岡では事故渋滞だったので40分ほど東京着が遅れる。
トイレ休憩をした海老名SAは美味しそうな店がいっぱいの欲望の坩堝。

まずは今夜は新宿ピットインで大友良英さん連続8公演のラストに行く。
大友良英 サウンドトラックス」
大友良英(g)佐藤芳明(Acco)江藤直子(P)西村雄介(b)、芳垣安洋(Ds)栗原正己(リコーダー)近藤達郎(ハーモニカ) 阿部芙蓉美(vo) 原田郁子(vo)七尾旅人(Vo)、タッタちゃん(Vo)

新宿着。とりあえず野菜炒め定食とビール!
そして夜7時30分。
ピットインへ。

打ち合わせやリハもなかったそうで、その場で楽譜を渡しての演奏を、大友良英・佐藤芳明・江藤直子・西村雄介・芳垣安洋で。1曲目はNHKで放映した白洲次郎の曲を。むちゃむちゃかっこよかった!
数曲そのメンバーで演奏したあと、原田郁子が、または阿部芙蓉美が、とゲストがかわるがわる入ってきての演奏でした。

11月28日、朝。ぶっちが死んでました。

朝7時頃に武田が起きて寝室から出て、しばらくして私を起こして言うのです。
「大変だよ。ぶっちが死んじゃった・・・」
私は起きてぶっちを見にいくことが出来ませんでした。信じがたいけど、とうとうそんな日が来たかと思い、そのまま布団に包まったまましばらくずっと泣いてました。


前日はマタハリライブが終わり、片づけをして、家に帰ったら1時過ぎ。楽しかったなあとツイッターで皆さんの感想を読み、熱いお風呂に入って寝たのが3時頃。
寝る前、部屋の中にいるぶっちを見ました。最近は寒いので、あったかい座布団やダンボール箱の上を好むのに、冷たい床にぺたんと腹ばいになって座ってました。「おいおい、ぶっち」と声をかけると私を見上げます。いつも、ぶっちは可愛い顔をしているなあと飽きもせずそう思うのですが、その時はいつも以上に可愛いなあと思いました。なんだか目があどけなくて。
お風呂から上がってぶっちとガラにエサをあげました。前日と前々日にマタタビをあげました。エサについてくるオマケのマタタビです。オマケなのに、何故か「特別な時のために」と思って使わずに取っておいてあるのです。しかし猫と私たちの生活にとりたてて「特別な日」などなく、マタタビは溜まるばかりなので、もっと当たり前にあげてみようとおとといあたりに思ったのです。それでその日もあげようかと思ったら近くになくて、まあいいかとエサだけあげました。ぶっちはいつものように率先してカリカリのエサを食べてました。


朝、ぶっちは2階の私たちの寝室の横の廊下に置いてある座布団の上で眠ったままの姿で死んでました。

最期の場所を、私たちの一番近い場所にしてくれたんだなあ・・・。

5年前、15歳で死んだリンダという猫は、死んでしまうしばらく前から食が細くなり、どんどんと痩せていき、そしてある日、玄関先で死んでました。
ぶっちはもう17歳を越えてたので、去年辺りから多分そろそろなのだろうとは思っていました。思ってはいたけど、ぶっちがいなくなる日が来るなんて、正直考えたくありませんでした。去年辺りから多少痩せたものの、食が細くなることもありませんでした。今年に入ってから歩くのがひょこひょこしてきました。それでも今年5月に2階建て木造の家に引越しして以来、ぶっちは2階の階段がお気に入りで、ひょこひょこ登ったり降りたりを楽しんでいるようでした。夜に私たちが帰ると、必ず玄関で待っていました。朝、武田が店にもって行くために冷蔵庫の中のものを保冷バックに詰めているときには、どこにいても必ず猫たちはやってきてその傍らに座り、それを見守っているのが常で、私はその姿を「猫会議」と呼んでました。
毎日毎日、おんなじことの繰り返し。
ぶっち、と呼べば、にゃあ、と答え、ぶっち行くぞ、と声をかければスタスタと移動する。猫ブラシを見せるととことこやってきてごろりと横になる。朝のお見送り。夜のお迎え。
子供の頃からおっとりとして、他の猫に叩かれても叩き返すことなく、ケンカすることなく、爪を出すこともなく、マヌケなかおをしたデカい猫、ぶっち。
17年間。夏は暑く冬は寒い部屋で、安いエサで、一緒に暮らしたなあ。
もう、ぶっちに会えないんだ。
もう、あんな可愛い子に、会える気がしない。


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朝、ようやく起きて、冷たくなってるぶっちを見る。触る。ああ、本当にもう動かないんだ。
しばらくして武田が手早く動物霊園へ手続きをする。私は、どこかにそっと埋めれないのかと思うのだが、実際にそういう場所は考え付かない。
私は何も出来ない。
2時頃、動物霊園に行く。ああ、だめだ、私にはそこの作務衣を着た男性も「動物霊園」なるものも何もかも、俄かに信じられなくなっていた。私はぶっちの死を、とても個人的なものとして悼みたかった。ほんの僅かな間でも、こんなおっさんを介入させたくなかった。ひどく苦い思いだけが後に残っている。
家に帰って、また布団をかぶってひたすら寝てしまった。

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その日はネットで電気カーペットと、ガスファンヒーターのホースと、家の中で着るあったかい服を買う。今日はダウン70%のあったかいコートを買う。2日間、あまり家から出ず、気付けばあったかいものばっかり買った。あったかいものを買うことで少し気持ちが落ち着いた。
帰りに甚目寺観音にお参りに行ったら、そこは小さいのやら中くらいやらの猫だらけだった。

山中温泉2日目

天気は、朝は快晴だった。朝から温泉三昧。朝食バイキングも美味しいのでつい食べすぎてしまう。大満足。
チェックアウト後に荷物を置いて街を散策。
紅葉に染まる曇り空。紅葉の散歩道。



こおろぎ橋から。

散策中に小雨が降り出したものの、また止み、雲間から陽射しが。煌く川。そしてあやとり橋。




10数年ぶりに来た山中温泉。以前はこんな街並みはなかったなあ。聞いたところ、8年ほど前に観光地として再生を図るため、新たな街作りをしたそうだ。道路が整備され古い町並みを模ったようなお店がずらりと並ぶ。おいしいコロッケの店や、手染め布で作った一点物の服とか手作りアクセサリーの店もあり、どれも意外に安く、商品にもオリジナリティがあって、とても良いです。

娘娘万頭

菊の湯たまご

帰りはホテルから3時のバスに乗り、夜7時過ぎに名古屋着。

山中温泉1泊2日

久しぶりに湯快リゾートのホテルの格安プランで泊まりました。紅葉と温泉を楽しむため石川県の山中温泉へ、です。
天気は名古屋は良かったものの、岐阜の辺りから雲が濃く立ち込めて増した。しかし途中のバスの中からとても大きな虹も見えました。

山中温泉は、まさに山村の秋の風情。

ホテルに3時前に到着。外は小雨が降っている。その雨の中、栢野の大杉を見に行きました。

それほど広くはない神社に大杉が3本。辺りは静かな雨音だけです。


きれいな杉の木肌。

山中温泉は渓谷が美しくて好き。

ちょっと晴れた。水たまりの中の空と電線。

あ。あれだな。菅谷村社八幡神社の大杉は。

三又杉

いいお社です。

いつもはもっと深緑色の川。かじか橋から。

宿泊は、山中温泉ホテル大黒。

夜は、出来立ての美味しい料理をバイキング形式で。レセプションスタッフも食事のホールスタッフも大変丁寧な接客で頭が下がります・・。温泉も大変心地良かった。

10月2日(6日目)町歩き

朝。ホテルからフリーWIFI使ってワルンプアンのガラムさんマサラさんとFaceTimeで話す。無料なんだもの、これが。すごいなあ。
朝ごはんを食べたのに、屋台でバインミーを買ってくる。

バケットにレバーペースト、チキン、大根とニンジンのナマス、香草。バケットも美味しいし、この取り合わせは絶妙!


夜に人が溢れていた公園。昼はのどかだった。


土産物屋も充実して観光地化している大きな郵便局。

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本日お昼はベトナム料理のコースランチ。日本人の割と若いオーナーが、ベトナムのストリートチルドレン救済のため、彼らを雇用してお店をやっているそうだ。オーナーの人も一緒に働いてるようです。とてもおだやかで真面目そうなひとでした。
料理も丁寧に作ってあるようで。いいお店でした。

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食事付きサイゴン川クルーズはツアーだと3000円ぐらいか?私達は地元の人が利用のする渡し船でサイゴン川横断、川の向こうは全く別ののどかなところだった。船代は往復8円。
渡し舟はバイクでいっぱい。


川のこちら側は高層ビルやホテルが立ち並ぶ繁華街。

そして川を渡ると、瓦礫だらけの更地が点在し、雑な作りの家が並ぶ町。

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夕方、現地の人で賑わってる美味しいデザートを出すお店でチェーを食べた。

その店ではおこわも美味しいと評判の店。この日が最後なので、せめて豪勢な夕食にしようという予定だったのに、ついつられて買ってしまう。
おこわの上に焼いた鶏肉がのっている。それをホテルの室内で食べた。すごくおいしかった。

どこの国に行っても、すごく流行ってる店って 安くて美味いこと。あたりまえだけどこれに尽きるね。ベトナムでは米の旨さを知りました。インディカ米ですけどモチモチしてて美味しい!

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確かにテイクアウトしたご飯は美味しかったのだが、ホテルの部屋でビールと共に頂いてこの旅が終了と言うのやはり寂しくて。近くのマーケットに行っても、特に買いたいものもない。お金も余ってるし。それで夕方に見つけた、とてもステキな路地に行く。
おこわを買った帰り道に歩いた、ホテルから近くの路地。夕方5時ちょっと。路地に面した家では、路上でご飯を炊いていた。何かが焼けるいい匂いがしてた。
それはこの旅で一番素敵な道だった!3階建てのおんぼろでいろんな色をしたビルに挟まれた狭い道。様々な店が並び人が集ってる。魚貝類などの旨そうな屋台。ビール飲む人。果物食べてるお婆ちゃん。なんでこれがよく知った道に思えるのか。低い電線のせいか。この先に私の家がないことが不思議でならない。
路上でご飯を作っている家は開けっ放しで中が丸見えだった。狭い部屋の床に積み重ねられた皿。寝転がってテレビを観ているお年寄り。その家の光景から目が離せない。こんな家に住んだ覚えもないのに、なにかが懐かしいような気持ちで惹きつけられるのだ。


ビアホイというビールを出す店がその路地には何軒も軒を連ねていた。歩道に様々な貝が皿に入って置かれている。割と賑わっている1軒に入った。ビールを頼み、貝を指差して選んだ。それを調理してもらい、歩道に置かれた椅子に座って食べる。




本当に美味しかった。こんなバイクの排気ガスにまみれながら食べていることが。なんだかわからないけど心引き寄せられるこの路地で。ベトナム最後の夜ごはんがこれで、本当に良かった。
せっかくの円高だから普段買えない海外ブランド品などを買おうかとか思ってたのに、化粧品なども買って帰ろうと思ってたのに、結局、殆ど大したものは買ってなかった。けれどもここでビール飲んで貝食べながら、もう心残りはないなあと思った。

10月3日(月)ホテルでちゃんと朝食を食べ、そんなに急ぐことのない朝を過ごし、そして空港に向かった。台北を経由して、その日の夜10時頃、名古屋に帰り着いた。
最寄り駅に着いて、キャリーバッグごろごろして真っ暗な夜道を歩く。前日の夜はホーチミンバイクと車だらけだったけど、うちの町は至って静か。信号が青になるとそれを信じて歩けるということに、改めて気付いてびっくりする。日本にいるとそれを疑うことなど殆どないけど、ホーチミンでは例え青でも左右を必死で確認する。逆走するバイクも多く、信号無視も多いし。信号や右側通行というルールを信じて歩けない。ホーチミン市では年間かなりの人が交通事故で命を落とすらしい。

10月1日(5日目)メコン川クルーズ

今日はメコン川を舟で下った。赤土のせいで泥色をした広大な川。ずっと舟に乗っていたかったな。いつかこのメコン川付近に宿泊、というのをしたいな。


昼ごはんは、象鼻魚という魚を焼いたもの。これに香草、ブン(米粉麺)などと一緒にライスペーパーで巻いて食べるのだ。

ところで、このメコン川クルーズはツアーなのだけど、ベトナムに観光に来ている人の国籍は、1位中国、2位アメリカ、3位がシンガポールとか韓国とか日本とからしい。

帰りに、デカい仏像のあるお寺へ。

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夕ごはんで食べたmフォー2000のフォー。
ベトナム戦争以降、初めてのアメリカ大統領訪門の時、この店にクリントン元大統領も来たらしい。
フォーボー(牛肉のフォー)。これに香草と生もやしをのせ、たっぷりライムを絞る。

変り種、牛肉の入ったシチューの中にフォー。

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土曜日の夜は、繁華街の中にある公園に人が溢れている。
道路はいつもバイクと車がぎっちりでとてもストレスが高い。そのせいでこうしてくつろぎを求めに来るのか、土曜日のせいか、それとも今夜はいい天気だからか、ベンチは勿論、地面に敷物敷いてまでたくさんの人がいて、ただお喋りを楽しんでいる。夜店が出ているわけでもない。お金も要らない、TVも要らない、ただそこには人と人とが寄り添って、おしゃべりがあるだけ。

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夜は、レロイ通りにあるジャズ・バー、サクソン・アートへ。夜8時から毎夜ライブが始まる。オーナーはベトナムのサックスプレイヤー、トゥアン氏であり、トゥアン氏自身もこの店で演奏しているらしい。
サックスだけでなく民族楽器も演奏し、とてもオリジナリティ溢れる演奏だった。

9月30日(4日目)中華街散策

バスに乗ってチョロンという中華街まで行く。
バスでは若い子は必ず年配の方に席を譲っている。



昼ごはんは中華で。


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夜はホテルでマッサージ。なんと4〜5時間で日本円にして1200円ほど!
ジャグジーとサウナのあと、ベビーオイルを使った、タイ式マッサージがミックスされた全身マッサージ、フェシャルマッサージ、髪のシャンプー、フットマッサージなど全部付いている。
但し、施術する人がそれぞれ全部違ってて、そしてそのたびにチップをあげないといけないことになっている。

9月29日(3日目)クチトンネルツアー

ドンコイ通りにある現地の旅行会社が企画する、クチトンネル・ツアーへ。観光バスでクチトンネルへ。バスの殆どの人は英語圏の人。日本人は3人だけ。クチはベトナム戦争時に農民がゲリラ兵士となり戦ったところで地下に人1人がなんとか通れるトンネルを張り巡らせ、そこで生活したり戦ったりした地です。

(旅行会社の案内より)
クチトンネル
当時、面積にして420平方kmにもなるクチ一帯が「戦史上、最も爆撃や砲撃、毒ガスや枯葉剤の影響を受け広範囲に渡って破壊的な被害を受けた地域」となっている中で、クチトンネルは25年間の年月を注ぎ築かれました。その全長なんと250km!一般公開されているのはごく一部となりますが、実際に入ってみるからこそ分かる事実が盛りだくさんの内容となっています。
実際に使われていたトンネルへ。中に入ってみると、その小ささに誰もが驚きます。
今は観光用に少し拡げられていますが、男性は腰をかがめながら通るのにも一苦労。そんなトンネルの中には食堂や会議室、救護室もあり、狭い割には緻密に計算されて作られていることが分かります。
そして米軍を苦しめた落とし穴や仕掛けの数々には圧巻。その他、当時の方が食べていたタピオカのイモの試食や、実弾を使った射撃場にて実際に銃を撃ってみることもでき、その迫力は一度経験したら忘れられない内容となるでしょう。

バスの中ではベトナム戦争のレクチャー。枯れ葉剤は何世代も影響を及ぼし、そのために障害を受けた人が自活する為に働く工場見学。クチトンネルではゲリラが仕掛けた様々な罠を見せられ、実際にトンネルの中にも入る。最後にベトナム戦争に関する古い映画を見る。ドキュメンタリーでありベトナム政府の広報映画でもある。しかしこの長い戦争を、実際に戦っている人々は誰も望んでいない。しかし、ほんの一握りの人達が富の為に望んだ、その結果なんだろうな。




クチトンネルでは実弾に寄る射撃も出来る。私は断った。考えたことなどなかったが、選ぶなら銃を一度も持たない人生を選ぼうと思ったから。しかしどうしてか1発だけ撃ってみようと思った。銃を抱えてすぐ後悔したけれど。1回だけ引き金を引いた。私にとってこれが最初で最後であってほしいと願いながら。

ツアー終了後、戦争博物館にも行ってきた。ベトナム戦争の写真や武器の展示、枯れ葉剤被害の写真…。

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そして、すごくうまい昼飯。


この、横の白いごはん。なんの変哲もなさそうなごはん。
それが一口食べて旨さにびっくり!
鶏と一緒に炊き込んだごはんなのです。
ローストした鶏を上に乗せていただきました。
ベトナムではごはんものすごく美味しい!

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夜、ベトナム伝統芸能の水中人形劇を観覧。面白かったよ。あっという間の50分。

海外に出るといきなり社交性を発揮し出すTが謎。昨日もツアーで一緒になった男の子にいきなり話しかける。夜はその男の子と一緒にヤギの鍋を食べました。北関東の29歳の男子。
ヤギ鍋はスープは黒いけど味はあっさり系。クコやなつめ、きのこが入ってる。ヤギの味もどこかあっさり。上に乗ってるのは湯葉。多分これ、薬膳料理なんだと思う。

ナイスバディなお姉さんが鍋を作ってくれたり、給仕してくれたりします。

9月27日(1日目)夜

1日目夜・コムニューサイゴンで1人1000円ほどの食事を。

ソフトシェルクラブの唐揚げ


おこげと芋のスープ。
おこげはスタッフが皿から皿へ投げるパフォーマンスもあった。カチカチのおこげはその場で割られ、スープをかけてもらって頂く。見た目よりもおいしい。

9月28日(2日目)

宿泊はニューエポックホテル。

ホテル最上階のレストランから見た朝7時の町の様子



ホテルの朝ごはんはなかなか美味しかったが、特にフォーとドラゴンフルーツとグレープフルーツにハマる。

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午前中は40分ほど歩いて繁華街のドンコイ通りを目指すが、いつしかそこからそんなには離れていない市場などへ。


昼ごはんはベンタイン市場の近くの、フエ料理で有名なお店に。


生春巻きやフォー。私は香草が本当に好きだな。幾ら食べても飽きない。

モチモチしたバインセオ

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ドンコイ通りを散策。

そして今回の旅の目的の一つ。エステ「デップマイ」へ。デップマイへ行く道は細い裏通りを抜けて・・・。

ここがデップマイ。

ベトナム在住の日本人エステシャンがやっているお店。渡航前のメールでの予約時にもとても丁寧。美容皮膚科やエステなどでやっているフォトRFというのをやってもらったのです。
ネイルやマッサージ、睫毛のエクステなどもある。
オーナー女性もベトナム人スタッフの方々もとても感じがよい。もしもベトナムに住んでたら通ってしまうな!Tは1時間かけてストーンマッサージを。

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夜ごはんは、行こうと思ってた店がどこも満員で、それでホテル近くのフォーの店へ。

エビの入った揚げ春巻き、たっぷりの香草で包んで食べたのがむちゃ美味かった!
私は333ビール。Tはシントー。

ヌクマムと香草とライムと唐辛子に私は弱いってことね。たまらん好きってことね。鶏肉、豚肉、エビが入ったフォーを食べました。

Tのはカエルが入ってます。これにライム絞って香草のせて食べます。

ベトナム旅行 1日目・2日目

2011年9月27日〜10月3日まで初のベトナム旅行。
チャイナエアラインにて台北経由でベトナムホーチミン市へ。
着いた初日は、バリやタイとも違う、バイクの多さと道に渡りにくさにヘコむ。もっともこれには翌日にはもう馴れたのだが、それでも旅の間中、道を横断することには常に慎重だった。


着いてすぐ、車から見た道の様子。

磔磔でD.U.B

この日の目的は、これ。京都の磔磔でD.U.Bのライブ。
D.U.B
梅津和時 アルトサックス
片山弘明 テナーサックス
早川岳晴 ベース
菊池隆  ドラム

知ったきっかけは、清志郎のRCサクセションの後ろで楽しそうに踊ってサックス吹いてる人は誰?という興味から。私が高校生のころです。
D.U.B解散は88年。その後、ドラムの菊池氏は音楽活動をやめ、飲食店経営に。でも、東京で年に一回かな、D.U.Bのライブがあるそうです。
それが、今回は京都磔磔35周年で『 2009春 梅津和時磔磔のプチ大仕事』と銘打った梅津さん7DAYS。そのひとつが「還ってきたD.U.B」だったのです。ああ、京都なら行ける! というわけでした。

磔磔の入り口近く、2階へ続く階段の向こうから、2本のサックスで、D.U.Bの懐かしいメロディが。そんな幕開けでした。曲は「DOWN DOWN」。
そりゃ確かに、とても楽しみにしていたライブには違いなかったけど、聴いた瞬間にじわっと涙が出てきて、あとからアタマで、「ああ、そうだ、泣けるよな、うん、そうだ」なんて後追いで思ったりしました。

ホント、D.U.Bは大好きなバンドの一つでした。今でも好きなアルバムはどんだけでも聴く方ですが、D.U.Bも一体どんだけ聴いたことでしょう。梅津さんから、私はいろんなことが始まったんだよな、と思いだしたりして。
あの曲もやりました。「1970」。これが始まった時はさすがに涙腺直撃で泣けました。


とにかく、とてもいい夜でした。
帰りは磔磔から高瀬川沿いの桜を見ながら、三条の小さなビジネスホテルまで歩いて帰りました。