BL作品について考える
今、私の仲良しゲイ男性たちとネットで会話をしつつ、もう何度も観ている『A Tele of Thousand Stars』通称1000starsを再視聴している。で、友人たちの感想を聞くうちに私はあることに気が付いた。例えば友人の感想では2話の滝に連れて行くシーンで隊長はゲイだと確定、その他、後半の隊長が裸を露呈するシーンとか、実は私とはいろいろ解釈が違うのである。それを聞くことで改めていろいろと気が付いたことがあった。
それを語るにあたり、改めて「BLドラマとは」と考える必要がある。現在のタイBLを観ていて、ざっくりと以下の3つに分けられるのではないかと思う。
★The BL
ここ最近のタイドラマの作品でこれぞ「The BL」だと感じたのは『YーDestiny』。
一応、登場人物には女子もいる。しかし、まさに壁に飾られた作者不詳の安い絵ですか?ぐらいの扱いである。登場人物ほぼ男子。男子が恋をする相手は男子。それが当たり前。現在好きな男子の前に付き合っていた相手も男子。友達の男子が男子に恋をしたり失恋したりすることを応援するのも慰めるのも当然の世界。
特色としては登場人物が多く、物語性と言うよりも様々なCPの様々な物語を楽しむものが多いように感じる。それぞれの俳優、または演じているキャラクターへの愛情が沸きやすく、CP推しという視点で観ることも多い。
★異性愛がベースのBL
実はこれが昔からあるBLパターン。「君だから」説。
「僕はゲイではない。でも君だから好きになったんだ」
「君が好きだという気持ちが何より大切だ。だから君が男であることは気にならない」
「男でも女でも関係ない。君だから好きなんだ」
ときみだからきみだから言うてますよ。見逃してはいけないのは「僕はゲイです」とは一切言っていないこと。
これを『2gether』で考えてみたい。
まずタインは、過去に付き合ってきたのはずっと女性だったと公言している。それまで同性を好きになったことはなさそうである。それでもだんだん同性であるサラワットに惹かれ、勿論最終的には恋人同士になっている。
サラワットの場合は、高校時代にタインに一目惚れをしている。しかしその前に同級生女子にほのかな思いを抱いていたようだ。が、タインへの想いはそれとは違っていることに自ら気付いたようだ。
ここでサラワットはゲイではないかとほのかに匂わせている。だが問題は、どうやらこれはサラワットの初恋らしく、彼の性志向はそれまでどこに向いていたのか、この先はどうなのかということは明確には描かれてはいない。例えばもしもサラワットがタインと別れる日が来たとして、その後恋をする相手は同性なのか異性なのか。その発想を遮断しているのがお互いに対する唯一無二性だと思っている。その点ではこれも「異性愛ベースのBL」ではないかと思うのだ。
★ゲイがメインのBL
ゲイが観てその描き方に納得する、ゲイが登場するBLドラマ。これは今までのBLというジャンルの拡張系、または進化系ではないかと私は考えている。
実は「異性愛ベースのBL」と「ゲイがメインのBL」の差が女性には曖昧なままの場合が多いのではないかと気が付いた。というか今、私にとっての『1000stars』がそうだった!
先に『ITold Sunset About You』『I promised you the moon』で考えてみる。この2つは「ゲイがメインのBL」だと思う。BillkinとPPが演じるTehとOh-aewの描かれ方を見てみよう。
Tehの初恋は高校の同級生女子である。その想いの中には性欲もあった。しかし後にOh-aewと恋人になる。シーズン2である『I Promised You The Moon』では同性のJaiに対する想いは恋だったと思われる。しかしTeh初のドラマの共演者女性は実際に付き合っていたと言っている。Tehはバイセクシャルとして描かれていた。
Oh-aewは初恋も、その後好きになるのも男。高校時代から自分がゲイであることをはっきりと気付いているのだ。
さて『1000stars』の5話。ここでティアンは親友のトゥンにカミングアウトをするシーンがある。と同時に場所を違えてプーパー隊長も友人たちに隊長の想いの在りかを問われているシーンがある。
ここでティアンが問題にしているのは「自分の恋は、ゲイだから隊長に向かうのか、それとも移植された心臓の持ち主トーファンが隊長をすきだったからなのか」だった。私の当時の感想も少しそこに引きずられていたし、それよりも一番衝撃だったのはティアンのカミングアウトを受けたトゥンのセリフで、このシーンは放映時からいろんな国のいろんな人たちから絶賛を受けていた。
しかし私はこの物語をまだ「異性愛ベースのBL」の境界に置いていたことに改めて気が付いたのだ。何故かと言えば、友人であるゲイの彼はこの物語が最初からプーパー隊長・ティアン共々、ゲイであるという前提のもとに描かれていると主張したからだ。そしてシーンの中にある彼がそう思う根拠を示してくれた。それがもう私にとって悉く納得だったのである。シーンの中にあるちょっとした違和感などが「彼らがもとより自分及び相手がゲイであることを知っている」前提で観返すと、今まで見ていたものと少し違ったニュアンスのものが読み取れるのである。
これはオープンリーゲイであるAof監督の細やかな演出によるものだと言ってもいいかもしれない。大胆ではあるが細やかに、タイの都会と電気や水道もない田舎、富裕層と貧困、生と死、その世界を行き来するゲイである男性二人の物語になっている。決してそこにあるのは異性愛をベースにしていない。どちらがいいとかそういう問題ではなく、あくまでもそれはBLジャンルにおけるカテゴリーの違いなのだが、このふたつの違いははっきりと認識して観るべきだと思っている。