おでかけの日は晴れ

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LGBTQの人が隣にいる、なんてあったりまえじゃん。

昨日、ツイッターのTL上に知らない人のツイートが流れてきて、ふと目にしてちょっとびっくりしてしまった。それを見ているうちにじわじわと、ちょっとしたびっくりが広がってって心の中に澱んでいった。

それはテレビの画面が映ってて「近所の人がLGBTだったら嫌悪感を抱く人はどれぐらいいるのか」という県別のアンケート結果で、40~50%の人が嫌悪感を持つと回答しているという内容でした。2015年のアンケート結果だったそうですが。どういった人から採った結果なのか知りませんが、でも「いや、マジで??」て思うんですけど。信じられないし、なんでだろって思う。「嫌だ」と答えた人はLGBTの人たちが一体どういう人だと思っているんだろう。漠然とした偏見なのかな?

 

私が一番初めにLGBTの人に出会ったのは中2か中3の頃で、その人はLGBTのうちのTにあたるトランスジェンダーの女性でした。うちは両親がスナックを経営してて、時折でしたがホステスとして雇った若くて派手な女の子がうちの離れのプレハブの部屋に住み込みとして来ることがありました。どの人もみんな優しいので子供だった私は大抵その人たちが好きでした。中学生の頃の私の部屋は、家族が使う和室の奥の廊下部分で、そこに私の勉強机が置いてありました。そこで勉強していた時、母が誰かと共に和室に入ってきました。障子の向こうから母の声とがさついた男性の声、それからドライヤーの音が聞こえてきました。少し経って机から目を上げてふたりと見ると、男性だと思ってた人は、白くてのっぺりした顔に薄い眉毛、どこかうっすらと髭の青さが見てとれて、茶色に染めた洗い髪を乾かしてる華奢な感じの女性かな?と思える人でした。「ゆきちゃん」と紹介されました。私は昔から初めてのこととか知らないことに出会うと、驚かずにストンと自分の中に入れる習慣があるようです。その時までトランスジェンダーという人についてさほど知らなかったけれども、とにかくストンと納得しました。ゆきちゃんは、今まで住み込みで来た他の派手な女の子たちと少し違ってました。普段の服は割と胸元が広く取ってあるざっくりした淡い色のニットで下はジーンズ。カジュアルだけど少しフェミニンなイメージだった記憶があります。毎朝、うちのおじいさんと一緒に喫茶店にモーニングに行き、私たち子供に対しても優しく、そしてゆきちゃんの使う香水は優しくていい香りでした。そんなゆきちゃんがすごく好きでした。当時保育園に行ってた妹は私に「ねえ、ゆきちゃんって男なの?女なの?」ってこっそり聞いてきたけど私はその時どう答えたのかなあ。ゆきちゃんは妹たちとよく手を繋いで散歩もしてくれました。今まで入れ代わり立ち代わり働いてた若い女の子たちに比べてわりと長く両親の経営するスナックで働いてた覚えがあります。

 

私が高校生になったころ、「同性愛の人たちは人口の一割」と聞いて、その時はそんなにいるのかなあって思ってクラスを見まわした覚えがあります。ただ高校生ぐらいの頃はまだ自分の性志向や性自認について朧げな人はいるようですから、その時期に一割かどうかは微妙かもしれません。

今は、私自身がカフェをやっていて「ああ、一割はほんとなんだろうなあ」と実感しています。「そういえば今日一日に来てくれた人でLGBT併せたら1割越えてるかも」という日はかなりあります。それは私が知る人に限るわけで、私がそれに気付いてない人なんてきっといっぱいいる。さらにアセクシャルやアロマンティックを含めるとですね、アセクシャルとなるとなかなかそんな話をお互いにしないので、そうだと知ってる人は数少ないのですが、アロマンティックだろうなあという方はお客様でも私の友人たちの中にもけっこうな割合で存在してるように思います。

今、私の周りにはいる人たちでは、

●古くからの友人で、あとからゲイやレズビアンやバイだと教えてくれた人

●古くからの知人でその後トランスジェンダーになった人

●お店をやっていく中でお互いに好きな映画で知り合って、そこで相手がゲイやレズビアンだと知った人

●うちの店が気に入って来てくれてる(だろうと思われる)ゲイ男性・トランスの人・アセクシャルの人・アロマンティック(だろうと思われる)女性や男性

がいて、それぞれにおいてお客様だったり、知人だったり、友達だったりします。

その人たちの顔をそれぞれ思い浮かべて、それでですね、そのどの人のことも「近所にいたら嫌悪感」とかってありえないですよ。誰一人として。なんなの、その漠然とした嫌悪感って。

 

まあつまり、そういう嫌悪感を表明する人の殆どは、もしかしたらただ「漠然としたイメージで捉えているだけ」ということではないのかなあと思うのです。

多分、うちのおじいさんだって「トランスジェンダー」について言葉だけで説明されたら理解できなかったかもしれないけれど、そういう知識の前にトランスジェンダー女性がうちに住み込みで来て、その人が「おじいさん、一緒に喫茶店にモーニング食べに行かない?」って言われたので一緒に行って、おじいさんのこと気遣ってくれながら毎日そこにいるトランス女性のことを感覚的に「このひとはいいひとだなあ」って思っていたに違いないと思うのです。

ちなみにこんなこと書いてる私も、いろんなセクシャリティの友達と話してて気付くことばかりだし、知ることも多いです。あるとき、大好きな友達と話してて自分の側を指すときに「普通の人は」と口にしてしまった瞬間、ものすごく苦い気持ちになりました。その友達は何も言わずさらっと流してくれましたが「うわあ、そうか・・・!!」という気持ちになりました。異性愛者が普通、と思っているのが刷り込まれていて、まったく無意識にそう口にしてると気が付いたのです。しかし目の前の同性愛者の友達は、では「普通ではない」のでしょうか?そんなことはないのです。ていうか何を以ってどの部分が普通で普通ではない? そういうことに友達と話していて気付きました。そして人はセクシャリティだけではなく、様々なことにおいても自分がマジョリティだと思っているものを「普通」と捉えているという例を具体的に見た思いがしました。

ちなみにネットでちょっと調べ物をしながらこれを書いていたのですが、そこに「自分のセクシャリティ診断は?」というのが出てきたのでやってみたら、私は「パンセクシャル」だと診断されました。私自身は限りなくバイには近いだろうと思ってはいたのですが、それにしたって私は今、57歳で、感覚としては映画『his』で根岸季衣演じる村の女同様「この年になったらもう、男とか女とか関係ないから」みたいな感じに近いです。

 

ところでですね、今、タイのドラマを元にした『2gether』という映画がやってるんです。この映画の監督はオープンリーゲイで、他にも秀逸なドラマ作品を作っている監督です。この映画の世界では、自分がゲイと知った男子、友達がゲイだということを知って応援するたくさんの友達、ゲイの男子に好かれたヘテロセクシャルの男子(だけど、もしかしたら彼は潜在的にバイだったかもしれない)、その彼らを見守る友達や兄弟、トランスジェンダーの学友たちなどが登場します。その誰もを否定しない世界です。

その感覚がごく当たり前の世界基準になったらいい、と思うのです。

そういう意味でみんな、『2gether』観に行ってください。

そして、LGBTQの人が隣にいるなんて、すっごくあたりまえの世界だよね、って言おうよ。

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