おでかけの日は晴れ

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腐女子、について考えてみた

昨日はわたし、オンラインミーティングっての、初めてやりましたよ!わぁい今時だわぁー。仕事や、または仲間内のZoom飲み会とか、そういうので利用してる方が多いようですが、わたしなんてね、年齢もあるし元々不細工だし、『自分の顔をネットで出す、しかもそれが自分の画面でも見える・・・だと?』という状態がもう絶対無理!だったんですよ。でも知った人同士だし、そんなしょうもない自意識などどうでもいいかと思ってやってみたら、これがもうすごく楽しくてね。やっぱり、ネットを通じてとはいえ、顔を見て声を出して話すのって楽しいね。

昨夜はわたしの古くからの友人と、その友人繋がりで知り合った方。ふたりとも男性です。考えたらわたしは友達はそんなに多いほうではないのですが、20代の頃から今に至るまで、好きなもので繋がって仲良くなって飲みに行ったり遊びに行くのって男性率が高いんです。恋愛的には学生時代からまっっったくモテに無縁なわたしなんですけど。なんでかなあって考えてたんです。私はシンパシーとワンダー、どちらも大切ですけど、圧倒的にワンダーのあるものが好きなんですよ。女性の友達とはシンパシー多めとなり、いつまでも笑い転げながら「うんうん、そうだよね!」って話が延々と続いたりしてこれはこれですごく面白い。ところが男性の友達だといつも「え、ちょっと待って?そうなの?!」ってことが多いのです。それは別に否定ではないんです。否定することはほぼありません(だから友達なんですよね)。うわー、そうなんだー!とかおもしろーい!みたいな感覚。同じ好きなものの話をしながらその会話の中にワンダーが時折ひらりひらりと落ちてくるその時間がとても好きなんです。

 

昨日は3人で台湾のBL作品についての話やタイBL『Lovely Writer』を見ながらお喋りしました。心優しく思慮深いふたりに比べ、わたしなどは「Aeyのねーちゃん、クソだよ!」「AeyのとーちゃんがBest of クソおやじ!」とか、本当に口汚くてごめんなさい。

ところで作品の内容からわたしたちの会話はいろんなところに流れ、ひとりが「仕事先でダイバーシティを目指していて、少しずつですがいろんな方に出会うんですけど、 腐女子がまったく、いないんですよねえ」と言いました。「えー?うちの店は 腐女子いっぱいいるし、わたしは店でそんな話ばっかりしてるんだけどなー」とわたし。「結構みんな 腐女子を隠してる人、多くない?」ともうひとりも言います。

ちなみにわたしの場合ですが、物心ついたころから好きなものに関しては全部開示しておく、というスタンスです。その場に誰もそれを好きな人がいなくても、私は勝手に好きなものの話をしてしまうタイプです。持ってる手札は全部見せて、自分の前に並べるタイプ。そうしておけば、そこに同じものが好きな人が現れてそれについて一緒に話したり仲良くなれるチャンスもあるし、なんなら布教ですよ、自分の好きなものに興味を持ってくれる人に出会えるかもしれないじゃないですか。自分がそうなので、正直言ってそうではない人のことが以前はよくわかりませんでした。ところが現在、カフェをやっててそこでお客さんから話を聞くと、「ここでは好きなものの話をするけれど、職場では絶対にしない」というかたは結構多いのです。なんでなんで?話しちゃえばいいじゃん?と言うと、「自分の好きなものの話をしても誰もそれを知らないし、共感もされないし、それどころかその相手からの反応で傷ついてから、もう好きなものを言わないことにした」と言うのです。自分が好きなもののことを「え、そんなものが好きなの?」とディスられたり「じゃああなたはこういう人なんだね」と勝手に間違ったジャッジを下されるぐらいなら、偏愛する音楽を口にせず、それどころか音楽さえ聞かないふりをし、偏愛する映画やドラマがあってもそれ自体に興味の無いふりをする。その人が生活する場所場所に於いてそういう選択をするひとは結構多いようで、そう聞くと「なるほど、そういうことかあ」とも思うわけです。

で、昨日の話に戻りますが「 自分のリアル周囲に腐女子がいないんだけど」と言った友人は、「でも確かに自分も職場で自分の好きなものの話はしない。開示しないほうを選んでる」って言い、そしてもうひとりが「ところでさ」と言いました。

腐女子の人に、『もし自分の子供がLGBTQだった場合、それを認める?』って聞いたら認めるって答えてくれたんだよね。でもだよ、その人は自分の夫や家族、友人に 腐女子ってことを隠してるってことはさ、本当にその場合、自分の子供を守れるのかな?」

もうさー。うーーーんって唸っちゃいました。これだよね、ワンダーってのは。そういうふうに考えたことはなかった。「本当だよ!その通りじゃんッ!!」ネット越しなのでわたしの口角から泡が飛ばなくて幸いな勢いでそう答えました。

その彼がネットでそれについて問いかけたとき、様々な答えがありました。それは夫に対して自分の夫以外に愛するものを口にすることが憚られるという配慮だったり、または男性がエロ本を隠すのと同様の感覚だったり、または前述の好きなものを否定される恐怖だったり、いろいろあるようです。

ただ、わたしは彼のその問いかけはすごく大切なことだと思ったんです。 腐女子バレしないようにする、の中には、実は「わたしたちが大好きな、男と男が恋愛する物語は世間一般に隠さないといけない世界」なのですか?そういう気持ちが知らず知らずのうちに含まれてはいないでしょうか?自分はそうではなくても自分の周囲はどうなのかな、とか。それについて自分の心の中で問いかける必要があるな、と思ったのです。

ちなみにさ、ほんっとそろそろ「 腐女子」に代わる新たなネーミング欲しいよね。わたしとしては実は「LGBTQ+」のプラスのところに 腐女子という存在があるぐらいに思っているんですけど。それはマイノリティという意味で、ではなく「性志向」という意味で。自分に関して言えば間違いなく自身の性志向だと思います。で、ゲイ作品やBL、またはクィアに興味のある女性のことを自虐的に「 腐女子」と最初に言ったそのセンスは全然嫌いじゃないけれど、もうそろそろ、もっと肯定的な響きのある新しい用語が出てきてもいいのになあ。ネットで次から次へと「うまいこと言うなー」ってかんじの新しい言葉を生み出す若い子たち、お願いしますね❤

 

「BL」が入り口になってLGBTQの問題、ジェンダーの問題、または生きている中にいろいろある差別の問題、そこにどう向き合うか、自分はなにをしたらいいのか、そういうことにわたしたちは触れていってます。BLはフィクション作品ですが現実のLGBTQ+の人々はフィクションではなくリアルです。BLは夢であり、でも単なる夢でもなく、希望でもあり、そして世界を変えていく力だって持っています。わたしは台湾やタイのBLドラマ作品の中の性表現の在り方を観ていると、それを演じる俳優においても、それから表現の仕方においても、すごく可能性を感じてしまうので、ついそれについて語ってしまうんですよね。そのことを昨日わたしが言ったら「え、ヘテロ作品よりもゲイ作品の性描写の方が俳優にとって可能性があるって?」と今度は男性諸氏から言われました。「だって、いわゆる男女の物語における男性規範のおとこ、という表現だけでなく、男性が可愛かったり、でもオスみ出したり、攻めたり、攻められたり、いろんな表現をすることが出来るのって、俳優としてすっごく面白いんじゃないかな?」とわたしは常々BLドラマを観ながら感じていることを話しました。

そういう可能性に満ちているBL作品。そんなの好きで当たり前じゃん、て思うし、でも興味のない人はそれでいい、好きな人は好きだって言う、そんな中で少しずつ分断されている世界の枠に綻びが生まれて、お互いがいろいろと影響しあい、作用しあう世界になったらいいなって思うんです。

驚いたり、共感したりしあいながらね。

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(画像はWETV「Lovely Writer」より)