おでかけの日は晴れ

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SaintSupTV EP7 「出家をしたいと思っていた理由」

SaintくんのYoutubeチャンネル、EP7でも自分について語ってくれています。ずっと彼のインタビューなどが読みたかった私は本当に嬉しいです。特にEP4に続き、このEP7でも彼の人生哲学が述べられています。正直、途中から私は涙なしには見られなかった・・・。
今回は中学2年から3年に上がる頃に初めて出家をしたことから語っています。
ところで彼の話にはよく母親のことが出てきていました。お母さんにしばらく会っていなくて寂しいとか。でもIGにも話の中にも父親のことが出てこないなあとは思っていたのです。しかしEP4で「父親は自動車関係の仕事をしていて」と語っていましたね。私にとってSaintくんが父親について語るのを読むのはあれが初めてでした。でもこのEP7では、彼が普段の話の中で父親について語らなかったことが明らかにされます。
この動画はタイ語で話すSaintくんの言葉を英語に翻訳されていて、それを邦訳してみました。今回は仏教用語が多く、それを英訳している時点できっと対応する言葉がないものもあるのではと思います。私も仏教には詳しくはありませんがそれを私なりの日本的な知識で訳してみました。例えば「I get ordained」と英訳されているのは「出家した」にしました。さらに前置きしておきますがほんとこれ、自分の興味と覚書のためでして、私は英語は堪能ではなく、間違いもあるかと思いますので、もしお気づきの点があれば遠慮なく教えてください。
なお、今回は話していることすべての邦訳ではなく、途中はかなり端折りつつ、アレンジしています。元のYoutubeはこちらです。

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今日は僕が出家したときのことを話します。僕は中学校2年から3年になる頃に出家しました。そこではとても楽しくて、静かで、そして悲しいことなどたくさんのことを経験しました。
僕は何故出家したか。8年生(中学2年生)が終わった後で友達と一緒に出家をしようと予定していました。僕の夢は僧になることです。日常的にdahrma(ダルマ。仏教でいう法。仏教的な法則や真理など)を実践する生活をしたい、長期間の出家をしたいと思っていました。
ある時、僕はある僧侶に出会いました。ノンカイ県のワット・ヒン・マクペン(Wat Hin Mak Peng)から来た僧侶です。

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SaintSupTV EP7

(註:こんな閑静なところにあるお寺です)

youtu.beノンカイ県から来たその僧に母が寄進をしていました。その僧は僕に出家するかと言い、僕は即座に「はい」と答えました。僕の住むトラッド県とはとても離れていました。

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SaintSupTV EP7

でも僕はそこで出家をすることを決めました。ワットヒンマクペンは鬱蒼とした森の中にあり、まるで映画の中のようでした。

寺院についてもすぐに修行ができるわけではなく、まずは指導者を待たねばなりません。そして経文の暗唱が出来なければ出家ができません。
 
出家の話をするにあたり、父親の話をしなければいけません。僕は父親に出家することを電話で伝えました。ちょうど出家するときに父親は仕事を終え、会いに来てくれました。黄色の僧服に身を包んだ僕を見て、父親は喜んでくれました。
(註:タイでは20歳以下の短期間出家の子供を「ネーン」と呼びます。そして子供の出家は大変な親孝行だそうです)
 
寺院では衣食住に関して多くの戒律があります。お昼12時以降は食べてはいけないのでとても空腹でした。どんなときでも落ち着いた気持ちで、静かに。ゆっくりと自分の体のバランスをとっていくのです。
朝4時起きで4時半から活動し5時から托鉢に出ます。8時ごろには托鉢が終わり、祈りと瞑想のあと、托鉢で得た食べ物をみなで分け合って食事します。寺院を清掃することで、清掃することが及ぼす心の状態について学びました。
また、河のそばにある崖に登ってそこから落ちて怪我をしたことで自制心についても学びました。
そして僕は何故か虫に好かれました。瞑想中は電気を消していますが自分の周囲にだけは毎日、たくさんのアリやヤスデが寄ってきました。寝ている時も虫がいっぱい僕に止まりました。(註:出家中は殺生禁止。蚊を殺してもいけないそうです)
4月17日。僕の誕生日です。
母親が来てアイスクリームをお供えとして持ってきてくれました。母は他の修行僧にそれを渡したそうです。僕はアイスクリームが大好きでずっと食べたいと思ってました。そして出家中のその1か月でそれを食べたのがこれが初めてでした。
奇妙だったことは・・・その日は朝から母親が40回か50回も電話してきていました。でも出家中は母親と接触できないしコンタクトをとることも出来ません。
あなたは家族の絆について聞いたことはある?
あなたは信じる? 私たちはお互いに繋がることが出来るって。
父親は病院で昏睡状態でした。
父はその日は忙しく、寺院で僕を見たあと、休憩をとり、それから仕事のためにバンコクへ戻りました。バンコクから寺院まで来て、そしてまたバンコクへ戻ったのです。そのとき、突然父は心臓に激しい動悸を受け、すぐに病院に行きました。その時に母親は何度も僕に電話をしたけれど僕の携帯は鳴りませんでした。僕はその時、托鉢を終え、容器を洗っていました。ちょうどその時間、父は亡くなりました。そのとき僕は何故かはわからないけど泣きました。何が起こったのか知らないのに泣き止むことが出来ませんでした。友達はまだ僕に「誕生日おめでとう」と言うのに、僕は何故か悲しくて洗いながら泣き続けていました。他の修行僧にどうしたのか聞かれたけれど僕にはわかりませんでした。
しばらくして僧侶に呼ばれました。ずっと泣いている僕を見て「あなたはすでにそれを知っているのか」と尋ねられました。すでに母親から聞いたのかと。「僕は何も知りません」と答えました。僧侶は父親が亡くなったことを僕に告げました。僕は泣きやみ「なんて言いましたか?」と聞きました。僧侶はもう一度僕に言いました。僕は父を亡くしたことを知り、とてもショックを受けました。僕の体は赤くなりそして発熱しました。熱がどんどんと上がりました。ショックを受けたことで体がその影響を受けたからです。僧侶は僕に「バンコクに戻りなさい」と言いました。
僕はその日のフライトを見てみましたが無く、バスで帰らねばなりませんでした。
父の死後、僕は泣くことはありませんでした。なぜなら、もし僕が泣いたら・・・母が泣くでしょう。母のため、強くなる必要があったのです。母や家族を守る必要があります。その時の思ったのことは、人生のすべてを受け入れることができる、ということです。最後僕たちは土と灰に還る。それが人としての自然です。消滅し、そして大切なものが残る、そこから学びを得ることが人生だと。

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SaintSupTV EP7

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SaintSupTV EP7
僕は母に、残りの人生のために出家したいと言いました。すでにいろいろ調べ、考えに考えました。家族が期待している通り、勉学することを手放さず、勉強を続け、大学を卒業し、そして高いレヴェルの僧侶になることを考えました。
しかし、寺院で僧侶は、すべての人が仏門に入って僧侶になる以外の道を教唆しました。あなたは普通の人間だ。しかしあなたはいつか、僧侶になるのと同様に多くの人を助けることができる、と僕に言いました。それで僕は仏門には入らず、普通の人となったのです。SaintSupになったのです。
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以上です。
お父さんを亡くしたのが約10年前。それを話すSaintくんの顔がちっとも悲しくなさそうなのが私には却って泣けてしまいました。多感な時期だし、更には経済的にも父親を亡くすことは本当に大変なことです。それを乗り越えてきたんだなあ・・・。私など20年前に亡くした妹のことを話すだけで未だに泣けるのですが、Saintくんは強い意志を持って自らの力で乗り越えてきたのだということがよくわかります。彼のことをもっと知りたいし応援していきたいと思います。