おでかけの日は晴れ

お休みの日は映画を観におでかけ。時折、旅行。

「劇場版PSYCHO-PASS」と「TATSUMI マンガに革命を起こした男」

昨日はまず「劇場版PSYCHO-PASS」。
ちょうど今起こってるISISの人質事件。
人の命に値段が付けられたり、または交換条件にされたりしている。
改めて、命の価、というものについて考えている日々である。
これが映画だと、そこにヒーローが乗り込んできて、周囲を固めるたくさんの敵の手下をババババッと撃ち殺し、その奥に捕らえられてるたった一人の命を救出するんだよね。
守るべき「1つの命」と、その前に殺される「たくさんの命」、その質は一体どう違うっていうのだろう。
数百億ドル、という値段をいきなり付けられた人。
じゃあ誰かが病気で死んだとしたら、その命に対して「これは数百億ドルです。払ってください」と誰に言えばいいのか。
先の人の命と、後者の命。命自体に一体なんの違いがあるというのか。

劇場版PSYCHO-PASS」を観ながらも、どうしてもその考えが頭から離れない。
舞台設定は今から100年後の未来。
平和を模索した結果、食糧を完全自給化した上で日本は鎖国している。人々は都市部にのみ住み、すべての決定は「シビュラシステム」に任されている。シビュラは個人の適正から職業や将来、結婚相手まで選択する。そして個人の「犯罪係数」を逐一チェックする機構を整え、犯罪係数の高い人間を隔離、または処分する権限を持っている。
既に裁判制度はない。善悪もすべてシビュラシステムが決定するのだ。
例えば今日、現実の世界ではまたひとつの事件が起こった。名古屋で女子大生が「人を殺してみたいから」という理由で老女を殺したと言う事件だ。シビュラシステムがあれば彼女は殺人を犯す前に拘束されてたということだ。もう、シビュラがあれば、不幸な犯罪は行われない筈だ・・・。だが・・・。
テレビ版では、シビュラの盲点を突く犯罪を描いて、どのような組織も完全ではないと言うことと、そしてこの正義や平和のシステムはどのようなグロテスクな形で成立しているかを描いていた。
そして、今回の映画版ではそのテーマに引き続き、このシステムを未だ紛争を解決できない国家に持ち込んだとしたら、一体それは誰に対して「正義」をジャッジするのか、という映画でもあった。
そこでもやはり、ひとつの命を守るために無残にもたくさんの命がなぎ倒されていくのだ。

虚淵玄の脚本は、「とりあえず選択された最善の世界」を描いている。そこには問題があろうと、今はまだその方法以外に道が見出せてはいない、という世界だ。私は是非、この「PSYCHO-PASS」という作品上で、この世界のさらに100年後、について描いてほしい。例えばその時、常守朱は脳だけの存在になり、シビュラシステムに取り込まれている世界であって・・・。

この映画から少し時間を置いて、もう1本、「TATSUMI マンガに革命を起こした男」を観た。
この作品は、マンガ家・辰巳ヨシヒロ自叙伝的マンガ作品「劇画漂流」、及び彼の短編作品5話を元にして、シンガポールのエリック・クーが監督したアニメーション映画。
私は辰巳ヨシヒロというマンガ家を全然知らなかった。つげ義春はたくさん読んでるのに。昔も今もいろんなマンガを読んでいるのに。
辰巳ヨシヒロさいとう・たかをとも活動を共にしていたのに。
何故か辰巳ヨシヒロは日本よりも海外での評価の高いマンガ家だそうだ。

さて、私はマンガを読む。小学生の子も喜ぶものから大人のために描かれたマンガまで。大人でも読む、ということは私の世代ではあたり前のことだと思っていた。
しかし、昔は、マンガは子供のもの、だったのだ。
大人が描く、大人をターゲットとした表現のひとつになるためには、新たに「劇画」というジャンルが必要で、そのジャンルを作ったのが辰巳ヨシヒロさんだったそうである。
その昭和史。戦時下に子供時代をすごし、変わり行く思想と街と暮らしの中に生きてきて、マンガを描き、劇画を生み出していくその人生を描いた「劇画漂流」は、昭和戦後史としてとてもリアルで迫るものがあった。そして短編5編は、その時代に生きていくことの困難、そして例えばすぐ隣にいる女の中に見るしたたかさや図太さ、そして更にその女の中にあるやけっぱちと苦悩・・・と、様々なものにクローズアップしていって「生きていくこと」の姿を描いていた。
声は別所哲也がひとり何役も演じてたそうだけど、映画のナレーションは辰巳ヨシヒロさん自身の朴訥とした喋り。その喋りも、この映画の絵や世界観ととても合っていた。

今から70年以上前になる1940年代から1960年代頃を描いた「TATSUMI マンガに革命を起こした男」と、今から100年後の世界を描いている「劇場版PSYCHO-PASS」。なかなかいい二本立ての一日だった。


そういえば辰巳ヨシヒロさんは私の父とほぼ一緒の年である。
私は久しく父親に会っていないのだが、この映画を観たあと、近いうちに父に会いに行こうかと思った。こんなことを思ったのは実は初めてである。父に、戦争の時代を生き抜いた時の話を聞きにいこうかと思っている。