おでかけの日は晴れ

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「MOTHER マザー」

監督 大森立嗣

脚本 大森立嗣、港岳彦

音楽 岩代太郎

出演 長澤まさみ

   奥平大兼

   阿部サダヲ

   夏帆

   皆川猿時

   仲野太賀

   大西信満

   木野花

 

大森監督の過去作を思い出すと、ストーリーが記憶の中でちょっと朧になってても、映画の中の登場人物の一瞬の表情とか雰囲気などを鮮やかに思い出すことができる。大森監督は、閉塞的でどこか暗い世界の中にいる「人」を見てて、その「人」を描き出す監督なのかなあ。

 

仕事でへとへとになったとき、よく考える。

「ああ、ちっさい私の分身がいっぱいいて、そいつらが残りの仕事を全部片づけてくれたらいいのに」と。

ちっさい私の分身だから、やることをいちいち指示しなくても全部わかってるはずだ。どこに手を抜いたらいいか。どこを手を抜かずにやるか。そしてそのちっさい分身たちは疲れもしない。痛みも感じない。私がだらーんとして座ってる間、そいつらが全部、やるべきことをやってくれる・・・。

この映画で長澤まさみが演じる秋子にとって、「自分のこども」というのはそういうものなのだろう。「わたしの子」といい、新たに妊娠しても「産む」というその思いは、私にとっては「何故?」なのだけれど、彼女が欲しいものはそういう「自分の代わりにいやなものを引き受けてくれる、ちっさい自分の分身」なんだろう。なるほど、そういう気持ちでも「母」というものになれるのか。

この映画の中に見るものはいろいろあるのだけれど、長澤まさみ演じる、「秋子」という肉体になにより圧倒された。細いけれども弾けるような凶暴な四肢。声は子供のようにまっすぐで力強い。

筋力。

きっと秋子には、ちゃんと幸せになる芽、ささやかながらも生活にこまらないほどのお金を得る芽、そういうものがあったに違いないのだ。しかし秋子は、その芽を育てて、それが伸びて葉を茂らせたり実をつけるどころか、芽が生まれるや否や、先のことなど考えず、ほんの目先の欲だけですべてを獰猛に食い尽くしてしまう。四つん這いで這いまわって芽を探す。その歯が、咀嚼する筋肉が見つけたものを食い尽くす。その獰猛な筋肉。そんな印象が強く残る映画だった。

 

それにしても予告の「感動の衝撃作」の「感動」ってなんだろなあ。

あ、私はこの映画、好きですけど。

「罪を犯してまで少年が守りたかったものとは」というナレーションも疑問だ。「母への愛」とか「母なるものへの呪縛」とか言わせたいのか。

この予告は子供にフォーカスを置いているのか。「どんな母親でも子供は守ろうとする。そのけなげさ」というラインでの「感動」なのか。だいたい「怪物か聖母か」って。すごくすごく「母」と「子」を神聖化したいんだなあ。

親子とか家族とか、そういう世界の中でその役割を名付けられた彼らだけれども、秋子は娘とか姉とか母とか妻とか恋人とか関係なく、ただただほんの数分先を生きるために何もかもを食い尽くしていく獣で、周平は秋子に人生の大半を食われてしまった少年、だった。

 

大森監督は音楽で大友良英をよく起用してるし、今回の作品も大友さんの音楽がとても合いそうだけど、今回は岩代太郎岩代太郎の音楽もとてもよかった。

 

 


7.3公開『MOTHER マザー』本予告