おでかけの日は晴れ

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久しぶりのレスリー演唱會DVD一気見の一日

最初は、ちはやさんに「一緒にレスリーのDVDを観る会をしようか」と持ち掛けたのが始まりだった。去年の秋。ちはやさんというのは去年、香港でレスリー・チャンが出演する映画を観て、そこから急激にレスリーに傾倒していった女子である。秋辺りから足繁くうちの店に来てくれるようになった。

 2003年にレスリーが亡くなったあと、レスリーの話を誰かとしているとき心の中にどうしても薄ぼんやりと膜がかかってしまっていたのだが、気付けばあれから時間がこんなに経ち、その膜もようやく消えかかっているのを感じていた。2019年という「今」、ちはやさんはレスリーについていきいきと語る。その彼女と話していると、私の心の中であの1990年代後半から2000年代初頭までの、レスリー、そして香港映画と共にあった幸せ以外の何物でもなかった日々が往々にして甦ってくる。それで私もレスリーの写真集などをごそごそと引っ張り出しては彼女に見せていた。

ある日、ちはやさんは、彼女同様、最近レスリーのファンになったという大阪に住む女子とマタハリに来てくれた。彼女たちの終わらない楽しい会話を耳にしながら、ファンになったばかりの彼女たちと一緒に演唱會DVDを観る会をするのはどうかなと思いついた。ずっと以前は店でよくレスリーの映像をみんなで観る会を開いていたけれど、まったく新しいメンバーでそんなのをやろうかなあと思ったんだ。

最初は私を含めたその3人で、小さく楽しく盛り上がる予定だった。ところが、ここ数年、うちによく来てくれて仲良くなった男子が、人生の節目を前にして遠くに移転することを決めたという。決意。決意と言えばレスリーですよ。私なりに彼を見送りたいし、そして彼にレスリーのコンサートDVD見せたいなあ、うふふ(とですね、ファンとしてはだいたい、なんでもこんな風に理由をつけて自分の推しを人に勧めたくなるんですよ)と考え、ではその男子の友人で映画『ブエノスアイレス』が好きなあの人にも、それなら香港映画を通じて20年前から仲良くしてる男子にも・・・ということで、私を含めた女子3人、男子4人という最初には想像もしていなかったメンバーでの新年会を兼ねた鑑賞会となったのだ。

もうほんとうに楽しかった!

心優しい男子たちといると、なんというか私は自分自身が「ヲバチャン」であるという事実が自分にすっと馴染んで軽くなる。全然気を使うことなくストレスがない。あー楽だ、そして楽しいーー!そういう状態の中、もうひたすらレスリーに集中する7時間!

最初に『今夜不設防』という1990年のトーク番組を収録したDVDを。そして1987年の引退コンサートである『告別楽壇演唱會』、そして1997年の赤いハイヒールに黒ラメスーツでタンゴを踊る姿の艶めかしい「紅」が印象的な『97跨越演唱會』、そして2000年の『熱・情演唱會」、これをわずかな休憩を挟みつつ一気に観ていった。

『告別演唱會』は、何度見てもやはり泣いてしまう。ぷっくりした顔ときれいな瞳のライン。あれ、ちょっと千葉雄大に似てなくなくない? 31歳の、引退を決めたレスリーの緊張感や決意、それを受ける1987年のファンの悲痛な思いを感じると、このDVDの終盤、私はどうしても泣いてしまう。

『跨越97演唱會』の時のレスリーは、アイドルから引退した後、復活して様々な映画に関わってきた自信に満ちているし、力の抜け方が素敵だし、なによりやりたいことをしようという気概に満ちている。登場シーンから胸を撃ち抜かれるし、もうどれほど観ているかわからないのに、最初から最後までただうっとりしながら観ていた。

そして『熱・情演唱會』。観ながらあの頃の、2000年の、2001年のいろいろが唐突に蘇って、幸福であり胸が痛くもなる。でも幸福のほうが圧倒的に勝っている。

そして思い出す。レスリーが「I Love You」と優しく歌う。私たちも客席から I love youと叫んでいた。

私たちは多分、「私に向かって『愛している』と言ってほしい」とは思っていなかった、と思う。

そうではない。

こんなに戦っているレスリーに、

「私は、私たちは、あなたのことを愛しているから! 信じて! 本当にずっと愛しているから! だからずっと歌っていて。俳優でいて。」

そう伝えたかった。誰もこの先、レスリー自死を選ぶとは思ってはいなかった。でもレスリーが複雑な思いを抱えているだろうことはなんとなくわかっていた。彼を守る、ささやかな鱗のようなものになりたかった。だから一生懸命声を飛ばした。レスリー。愛してる!と。

あのコンサートからもう20年が経とうとしているけれど、その時の気持ちはまだずっと忘れないでいる。

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香川からレスリー・ファンの方がこの日のために送ってくださったいろいろの中に、なんと蛍光棒が!しかもレスリーの名前と「誰能代你地位」の文字が。ありがとうございます!

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プロジェクターでみんなで観る映像。それぞれ都合のいい時間に来てくれて最後には7人に。食べきれないぐらいみんなで持ち寄り、笑ったり泣いたりして楽しんだ7時間。本当にありがとう!

2000年 レスリー・チャン「熱・情演唱会」過去ログ

以下の文章は、私が1998年から作っていた個人サイト「快楽有限公司」の中のBBSに投稿されたもののなかから、2000年のレスリー・チャンの香港でのコンサート「熱・情演唱会」の時の過去ログです。当時のコンサートの前の不安と期待、そして感動の片鱗でも味わっていただければと思い、アップしました。

 

2000年 熱・情演唱會
2000年7月31日~8月5日までの過去ログ


3386 おやすみなさいー、そしていってきまーす! りりこ 2000/07/31 00:52

ではでは、しばらく留守にします~。
みんな香港で会えたら会おう!

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3387 はいよっ行ってらっしゃ~い!! 有花 2000/07/31 01:12

(・θ・)ねー、りりこさん他ALLいってらっしゃ~い!
私は寂しく日本でお留守番してます~(;;)
おみやげはとんとんでよろしく・・・。(何人に言えば気が済むんだか/苦笑)
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3390 はぁ~、眠れなかったしィ・・・。 りりこ 2000/07/31 05:41

結局、仕事のやり残しを思い出したり、暑いし、ぽきぽきだし(昨夜は負けた)、で殆ど眠れなかったわし・・・。
ひろさんはちゃんと起きて行ったかな。
ではでは、今度こそいってくる・・・。

くぅ~、寝不足に超弱いAB型のりりこでした。
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3391 やばい。。。 ねぼうひろ 2000/07/31 05:43

とにかくいってきまぁぁ~す。

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3392 いってらっしゃ~い! てぐ 2000/07/31 06:01

ひろちゃん>ぱっしょん!!!!
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3393 あ・・・ てぐ 2000/07/31 06:02

りりこさんもか、いってらっしゃ~い!!!ぱっしょん!
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3394 おぉ・・・ SHUNZI 2000/07/31 12:50

次々と先発隊が旅だって行くのね・・・。
ひろちゃんとりりこさんは、もう香港の地面を踏みしめているのかしら?
るるちゃんは、今からね…。
気をつけて行ってらっしゃ~~~い!
ちんどうばおじょんあぁ~~~~!

さ…目覚まし時計の電池買ってこよっ…と。

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3396 今ごろなにしてるのかと思うともういてもたってもいられない。 くまり 2000/07/31 23:53

わ~い、今香港に電話したぞ~。ひろちゃんはまだ帰ってきていなかった。Goeさんとりえぷーと話したよ。これからホンハムに行くらしい。いいなあ。どんなだったんだろう。二時間後にまた電話してっていうけど、起きてられないよう。でも知りたい。ううう。聞かないでいた方がいいのか。ああ、もう。

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3397 キになる。。。 有花 2000/08/01 00:15

気になる、、、。お嬢の衣装、歌、ステージ、とんとん・・・。
あぁ~でもでもでも。。なるべくこの2週間は周りを見ずにすごすのだ。
(とかいいつつ気になって掲示板見てしまったけど。修行が足りんな)
だって本当は行きたくて仕方ないんだもんよ~!(笑)
あぁ、くまり姐はこれからなのね。楽しんできてね~。羽の用意はいい?蛍光唐も忘れずにね!

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3405 お待たせ~ひろちゃんと話したよ~これが感想だ! くまり 2000/08/01 01:59

長かった、ワンレンだった!
最初は羽根だった!
やってくれた!
普通の人はひくかもしれない!
ゴルチエ、こんなの着せんなよ! でもお嬢が着たかったのか!
お嬢というより、今日はおネエ(←ここカタカナで、との指定)
ケツふってあるくんじゃねえよ! 
もも見ちゃったも~ん、スカートのスリットから…(ええっ?)
いっつ、しょーたいむ!
これは踏絵よ、女ターザン第二弾!
あの人についていけない、ついていかなきゃ、ついていってもいいんだろうか!?
でも、よかった!!!
 だそうだ。これ以上はネタばれになるので。明日の新聞が楽しみだそうです。以上。おやすみ~。

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3406 ハネハネすかーと 有花 2000/08/01 02:03

すすすすか~とぉぉぉ!?!? まさか鬘なんてかぶっちゃいねえだろうねぇ??どきどき。
女ターザンか。。ヽ(´ー`)ノふっ、お嬢らしいっつーかな。

報告さんきゅ!!あーんどお休みですですー。>くまり張
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3407 あ゛~ えつこ 2000/08/01 02:05

くまりさん、ありがとうございま~す!あああ…、想像中。
あっ、言うまでもないと思いますが、私のHNは…、気分を
変えてひらがなにしただけです(笑)。
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3408 あ~ワンレン。。 有花 2000/08/01 02:06

あっ、読み飛ばしてた。。かぶってたのねん。。とんとーん(T□T)←なぜ泣く?いやなんとなく。
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3409 さっそくShow8にアップ! えつこ 2000/08/01 02:18

私はもう、興奮して寝られないです(笑)。で、やっとShow8に演唱會の模様が
アップされたようなので、リンクしてみますね。ここの掲示板、タグは使えまし
たっけ?まあともかく、画像(スカート!)も見れますよん。

明日は、もっとたくさん各紙に載るでしょうから…、楽しみですね!!
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3410 目が覚めました! くらちゃん 2000/08/01 02:31

Show8早かったですね。
私も先ほどから見てましたが・・レスリ凄すぎるぅ・・
ほんと、女ターザンのようじゃ!
誰もまねできない世界観と、それを体現できるレスリ!
。。。なかなか寝かしてはくれませんね(笑)
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3411 あっははははは~(爆笑) 有花 2000/08/01 02:41

見てきました~画像。。すごすぎる~~!(涙)夜中に腹がよじれちゃいましたわ。
頼むから「紅」路線に戻ってくれ、お嬢~~!! ロンゲねーちゃんは似あわんよ~~(⌒∇⌒;)
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3412 仮想舞踏会のようじゃった、とも仰せでした くまり 2000/08/01 02:53

電話ではひろちゃんが何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、写真を見てみると案外冷静に描写をしていたことがわかりましたね。
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3413 たしか・・ 桂米兵 2000/08/01 05:40

おっさん、「誰でもみれる2級コンサート」とか
申してませんでした??スカートはいて、んな
わけあるかい(笑)。でもいいわあ、やっぱ
れすりーはとがってなくちゃ。
でもロンゲは・・一瞬ジャッキー・チェン
女装かしゃん?かと・・。

ぐっは~、香港行きてーーーーーーっっっ!!!
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3416 なんつーか、踏絵? 有花 2000/08/01 06:54

しかしなんだ。。新聞みてきたが、あのスコットランドはいっちゃってるスカートは何事~?
もしかして、もしかしなくても脛毛剃ってる?(よな…)私はこの踏絵を乗り越えられるのだろうか!?
とかいってリンクの修正してたら、2度エラーで文章が消え、一度はブラウザごと落とされた(泣)
もしかして、お嬢の呪い?(TДT)

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3417 ものの数分で。。 有花 2000/08/01 07:07

踏絵とか思ってたらば。以外にも太陽の写真は可愛かった(爆)↑
あのニコッがやばいっす。。。許した。>お嬢
               ↑順応早過ぎるかも。

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3418 2時間でOKよ ほでぃえ47 2000/08/01 09:41

最初は信じられなかった。
でも一人で仕事をしながら、思い浮かべて考えたらもう平気。
白いスカートとはいて、ニッコとしているとこなんか、なめちゃいたい。  背中の筋肉  すご~い。
あれだけ見ると元体育会系のおかまみたい。
ところで今度は朱老師とはからんで踊らんのかなあ?
私はあの人もツボなんですけどね。
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3419 頭がくらくら。。。 ユカ 2000/08/01 13:01

新聞見ようかどうしようか、悩んだけど、やっぱり見ずにはいられなかったわ。
はあ~一体あれは何?確かにひろちゃんの言ってることはちゃんと描写にはなってるね。
スカートは穿くんじゃないかとマダムと話していたんだが。。。頭の方がああなるとは思ってなかった。あのいでたちで「Monica」とかも唱ってしまったんだろーか?
はあ~この暑さにうだった頭にガチーンと一発来た!っていう感じ。
オネエ度120%っていうとこで、「我」は「あたちはあたち」なんだわね。確かにあの笑顔は可愛いぞ。早く動いてるとこ見たい。。。
そうそう、香港の天気予報見てると、ここのところ、雨マークが連日ついているけど、雨降ったりしてるんだろーか?
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3428 問題は貞子 桂米兵 2000/08/01 18:29

スカートは克服したわ!!っていうかあの髪型でさえ
なければオカマ度下がって結構いい感じかも・・
なんて・・(ふーっ、つくづくファンって有り難いよな)
貞子は痛い、痛すぎる~~。
でもあの髪型じゃなければ(しつこい)その他の服は
結構おしゃれじゃないかい??(もういい風にしか取れない
馬鹿なファン)
やっぱ怖さも含めて自分の目で見たかった~~。
なんでゲートボール大会の用意なんてしてなければ
ならないんだーー!!(叫び)
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3429 心配なんすけど 桂米兵 2000/08/01 18:58

ちなみに・・UMGのHPではすごいことに
なってるぞ。ブーイング、ブーイング。
「もう見にいかない」「18年目のさよなら」
「騙された」「こんなアブノーマルのファンになるとは・・」
「ファンの気持ちなんて何も考えてない」だそうだ。
一体何をやったんだお嬢。大丈夫かな・・・~~~。

でも心してみないと・・ほんと、きついです。しかも
十数年ファンやっている方たちからのお怒り、
ああ、なるほどと思う部分もあるのよ。(コンサート
見てないけどさ)「レスリーがゲイでも気にしないけど
それはプライベート問題だし、それにどうやったって
レスリーは正真正銘の男性!女にはなれない」とかなんとか・・
女性の仕草をしすぎるのと、もちろんあのロンゲ&スカート
に耐えられなかったみたい。やりすぎたのかな?と想像しては
いますが・・。
どうなんでしょうな~アイドル時代の品のいいいい子ちゃん
イメージのツケなのかも。でも、どっちにしろレスリー
背負わなくちゃいけないもんだからなんとも言えんですね。

ああ・・なんか動揺でカキコばっかしてるわ。
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3432 久々に感性と闘うという行動をした一日でした わいけー 2000/08/01 22:30

夕方桂さんのカキコを読んで、今朝からそれまでの約12時間、どこへ持っていったらいいのかわからない感覚と久しぶりに闘い続けておりましたが、答えが出ました。10数年れすりを見続けてきた人がさよならをしたくなるような演唱会なんて素敵すぎ!朝からあんなに揺らいでしまっていたのが今はウソのようです。そーよっっ、あたしはこの時代のれすりの証言者の一人なのよっっ、と大いなる勘違いを更に深めたのであります(笑)。

それにしても今回もまた自宅にいながらにして昨夜香港で行われたコンサートのことを垣間見れたり、それを見た異国の人々の様々な意見まで拝聴できるなんて、ネットってホントにありがてぇと思う今日なのでありました。
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3433 いいですねえ、それ(考え方) 桂米兵 2000/08/01 22:41

何度も登場してすいません。これだけ・・

わいけーさん、そんなあなたに惚れました(ポッ)。

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3434 動揺はどうよう? 有花 2000/08/01 22:45

あぁ、私の感覚は間違ってなかったのね。ブーイング…そりゃされるよなあ。。ヽ(´ー`)ノふっ
だって、ゲイには理解ある、、つーか、ゲイ好きの多い日本迷でさえこれだ。
タブーの意識の強い他国方々が絶えられるはずなかろうて。

そう、桂と同じくスカートは乗り越えた。だが、、だがよ。あのヅラ、ヅラは~~!!!
一体何が起きた?もしかしてスカート穿くのに、頭部が薄いと嫌だわ~隠したいわん。
てな乙女思考から?さては似合ってるととんとんがいったんだね。で図に乗っちゃったのね?
(決めつけモード。←えらい迷惑だっちゅうに。)

#書き込みの内容は自己責任だ。送信する前に確認してからにしよう。
#とか普段いってる自分の文とは思えんな。。。削除キーの指定は忘れずに。しかし貞子…(苦笑)
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3435 う~む えつこ 2000/08/01 23:02

UMGのHP、怖くてまだ読んでないんですが…(苦笑)。
しかし長年の迷が「さよなら」したっていうの、でもその人たちは97年の演唱會は耐えられたんですよねえ。そのへんが、なんだかよく分からないような…、それともやはり今回は、よほどすべてがとんでもないのか(笑)。後発隊は、なんだか情報が飛び交いすぎて、じりじりする毎日ですね~。

まあ、97年の演唱會でハマった私なら、とりあえず何が来ても、そう踏絵にはならない…ことを祈る(楽観的推測の入った自己完結)。
とりあえず、女らしいレスリーはツボだけどなあ(爆)。

ところで、私は原点に戻って(?)、今回の曲目リストを知りたいんですけど!どこかに出てませんですかぁ?御存知の方いません?
(「當年情」を歌ってくれたのか、とっても気になる…)

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3437 丸顔にワンレン… ペガサス 2000/08/01 23:45

桂米兵さんが、訳して下さったところ読みながら考えた。
10数年ファンやってる人、やはり香港や、中国の人がおおいのかな‥
どうしても、保守的な人が、多いと思うので、一線を超えすぎると、許せないのかもしれませんね。しかし、コンサート見てないので、何ともいえないけど、レスリーにとって、コンサートは、97年コンサートから、ほんとの自分、自由な自分が出せる場所なのかも…
だって、写真見てもほんとに嬉しそうじゃない、演出でそうなってるとかでなく、自分でやりたくて、やってるんでしょうね。
丸顔でも、ワンレンにしたかったんだわね、足もきれいにしたかった、
そう思ったら、かわいいよ、レスリー
今回の「大熱」聞いてたら、我是我だって…
色んな感想はあると思うけど、私は、日本のコンサート楽しみにしてます。
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3438 ぐふふふぅぅ かな 2000/08/02 00:03

スカートとカツラですか。うーん私は特に抵抗なかったけれどなぁ。
(コンサートじゃなくて、えつこしゃんの画像なんだけど。)
ああ、でもスカートの下の黒のブリーフってのは。
リアルすぎるぅぅぅ。やっぱり衣装も本人の希望なんだろうなぁ。
ああ、でも40過ぎてるんだよなぁぁ。
楽しみにしてたコンサートレポート!思いもよらぬ展開でびっくりしてます。

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3441 毛根な時間だ・・・明日は健康診断だから早く寝よう。。。 わいけー 2000/08/02 20:48

えつこさん>こちらこそその後ご無沙汰しておりました。
当夜の席は現地にて友人と相談の上決める予定です。もしもお隣に目つきが悪く、やたら背が高くてすぐに崩壊してしまう言語不明瞭なヲバちゃん(←ここ重要)が座っていたらそれがあたしです。(同行の友人は間違いなくみめ麗しい)

れすり迷ではないが、去年の広島で偶然れすりを拝んで、すっかりれすりを崇拝してしまった友人が、「演唱会後のれすりの頭はダイジョブなのか?」と気に掛けてくれておりました。
また別の友人は「アレはきっと風雲の時にイーキンやえーろん様がおやりになった地毛の一本一本に毛を結びつける方法と同じ手法に違いない。」と。(この手法かなり痛いらしいですねぇ)
その友人はこう続けました。「れすり程の人になればタキシードで全然おっけなのに、あそこまで見せてくれるとは全く手を抜かない人だ。やっぱ本物だわ」と。

ところで基本的なことで大変恐縮ですが、女泰山とはなんでしょ?

桂さん>俺に惚れるとやけどするぜっっ(撲>自分)
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3442 チャーミングなのね!お嬢! MAI 2000/08/02 21:20

お久しぶりです。何せ覗き専門だから~~~爆

サッキ、HKの知人からメール入って、彼女隠れレスリー迷だったらしい~~~爆
独りで、興奮状態でメール書いてあるんだもん!びっくり!
そう言う人じゃーないのよ。結構冷静で~~~
彼女は、昨日のステージ見たらしいけど・・・・
チャミング&グレイト&他たくさん書いてあったけど・・・
彼女をとりこにさせたお嬢は、凄いよ~~~~

って、私も明日からHK入りして4夜連続コンサートへ行ってきます。
とっても楽しみです。
(お留守番の方々ごめんです。MAIまで、興奮してしまって~)

しかーーし、彼女に私が、明日からレスリーコンサーの為に
HKへ行く事知らせてなかった~
(だって、芸能人とかに熱上げていると、白い目で見そうな
感じだったから・・・・内緒にしてしまった~)
もう!遅いけど、メールしてしまった!
あ~~~あ!帰国してからのメールが怖いわ====!(^_^メ)
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3443 芸能人の鑑だワ! YOKKO 2000/08/02 22:19

掲示板の書き込みって初めてなんですが・・・。私も参加しようかな?と思わせるモノがありましたね。Leslieのコンサートの様子は確かに最初「えっ誰これ?」ってかなり引きましたが。冷静になって考えて見るとこれくらいしなきゃ観客が驚かないもの(驚かしてどうするんだ!!)だって普通だとなーんだLeslie今回は大人しめって思っちゃいますものね。実際の動いてるLeslieを見てないからよく分からないけどロン毛でも別に女っぽいとは思わないですよ・・・。見た目じゃなく仕草が女っぽいのかしら?でも、日本でコンサートがあれば是非行きたいと思いました(でも、友人は完全に引いちゃいそう)
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3444 そうなのか! くらちゃん 2000/08/02 22:34

わいけーちゃん<ありがとう。
謎が解けた気分だわ。やっぱり妙にフィットしてるヅラだと
思ってたんだ。だって、打ち上げでヅラをはずしてるはずなのに
まだヅラだった(笑)ので、変だなぁ~と思ってたんだけど
そういう手法があるんだね。・・さすがプロだわ。(うるうる)
しかし、わいけーちゃん。「毛根な時間・・」笑える。

MAIちゃん<気をつけていってらっしゃぃ~。
興奮のカキコ楽しみにしています~♪

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3446 おねぇはいやん。 有花 2000/08/02 23:22

あの掲示板。昨晩ちらっと見たけど、確かに桂の言うように否定意見でしたねー。
国民性の違い?そりゃ当然ある。(日本はゲイに関しては"特殊"なお国柄だからね。)
でも、その掲示板に書いた彼女らも、紅は乗り越えてるんだよねー。
それが今回、あれほど批判が出たってのは、向こう風に言えばユニセックスは理解できるが、哥哥のプライベートはともかく、ステージ上でまで完全女でってのは理解の範疇を超えてる!てな感じなのではないかと…。

一番いかんかったのはケツ振り?スカート?お色気?ロン毛?羽衣装?右手?(笑)
まぁ、どれかとかじゃなく、全てからくるムードだったんじゃないかと思うんだが。
やり過ぎたんだろう。例えばロン毛を一部曲だけにするとか。出す時は出ししまう時はしまう。メリハリ付けてりゃ、ここまで言われなかったと思うんだよな。
女全開しっぱなしじゃ、そりゃ一般や、性にTABOOのある国の迷には退かれるだろう。
一部迷は、それでもなんでもいいの!って思う(というか慣れ…)かもしれないが。

で、昨日桂と何が嫌かって一つ一つ出して検討してたんだけどさ。
突き詰めていくと、あの羽衣装と縛り髪(ださい)全部通してのロン毛位なんだよ。
ケツ振りもスカートもお色気もok。
"ケツ論" 一番気になるのは、お嬢の今後の方向性なんだよねーと。やっぱ甘い日本迷二人。(笑)

でもさ、少なくとも私は、男のままであれこれやるから好きなのであって「完全女」が見たいわけじゃないんだよ~~(涙)>おねぇ

>わいけーさん
そうか、地毛に一本づつ結んでくやつか。。そういやあれって負担かかるんだよな…(黙)
てことは、ワールドツアーすんだら、活動一時停止。髪の毛いたわり休間とるね、きっと…(YーY)
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3449 ロン毛は つぼ 2000/08/03 04:40

おっけ~。なんせ家人が同じくらいの長さなので見慣れてるっちゅーか。
(もちろんあんなに麗しいわけはない)

ただね、あたしもあの縛り髪は・・・だわ。
それと描きぼくろ。でかくない?スタジアム用サイズなのかしら。
まあね、写真だけでは何ともいえないけど。
あのスカートも動いてる姿を見れば、印象かわるのかも。

とにかく毛根だけは大切にしてくれと、祈らずにはいられません。
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3450 泣いたのか~ 有花 2000/08/03 06:17

お嬢、泣いちゃってるね~。泣かれると弱いんだよなぁ。わかった支持するする。
スカートでも束ね髪でもなんでもいいよ、もうっ!むぎゅーーーっ(抱きしめ)だ。
迷なんてこんなもん。。おばかちゃんでも可愛いんだから仕方ないやね…惚れたもん負け。

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3452 自己完結 桂米兵 2000/08/03 06:27

否定意見の多さにレスリーの今後のこととか・・・いろいろ考えて不安にもなりましたが・・どうやらレスリーはすべて覚悟の上、その上でやっているみたいね。(某掲示板にみた)なんか吹っ切れたわ。
どこまでも行きなさい、レスリー!自分がすべきと思う事をしちゃって!!って感じ。
結局その姿勢が好きでどんなステージでも嫌いになんてなれないんだから、私は。
みなさん、不安になるような情報をかいてゴメンね。

3454 こんなあたしに誰がした…?!(副題:鍛え上げられている自分に気づいた日) くまり 2000/08/03 10:25

つくづく思う。なにがあっても、どうでてこられようと、まったく問題なくすんなりとなにもかも受けとめている自分。どうした、この肝っ魂のすわり様は…。どうした、この心の広さは…。どうした、このなんでもござれの強靭な神経は…。
 鍛えられたんだ。この数年で、わたしはこんなにも鍛え上げられたんだ。身体はゆるいが、心はマッチョ。こんなにもあたしを鍛え上げてくれたのは、そう、おめ~だ。今香港で暑い夏にロンゲで腰をくねくねしながら、スカートはいてるおめ~だ。初めてステージでその涙を見たときは、後ろの方でささやかれる「ああ、また泣いてるよ」の言葉の意味がわからなかった。「『また』ってなに?」と一瞬思ったものの、すぐにわたしの心はステージに戻り、共に涙を流したものだった。いまやカラオケの画像で涙を流せるまでに鍛え上げられた。なにかあったら涙など即座にこぼれ落ちるくらいに鍛えられた。
 そして、今わたしの髪型は、ロンゲ、センターパーツ、縮毛矯正によるストレート、まさに同じ(ちょっと違うが…)髪型なのである。(さすがだ、自分。やったぞ)手首には黒いお数珠も光っている。今年の夏の終盤には白いキャミと水色のジーンズ、そして秋口には、チャコールグレーのシャツにネクタイ、そしてスコットランド風キルト(スコットランドのお方はあれをスカートと言うと、「いいえ、キルトです」と丁寧に訂正して下さる)を探して着ている自分がいるのだろう。鍛える…というのは、筋肉だけではない、ということを身を持って知ったここ数日であった。もしかすると、これを人は同化というのだろうか。
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3455 勢いあまってもう一つ、かわいさあまってカキコ二連続 くまり 2000/08/03 11:00

 スカートというのは、それを着ているのがたとえ男でも女でも、めくってみたくなるものなのだということに気がついた。覆われているものは、露わにしてみたいという心理なのか。しかし、キュロットやズボンではだめなのだ。なぜスカートなのか。スカートの不安定さに、そのように人を挑発するものがあるのだろう。めくろうと思えばすぐにめくれる、スリットからももがみえるかもしれない、という曖昧さと無防備さの力だ。
 スカートを男がはいていると、ものすごく無防備に見える。男は闘わなくてはならないという役割をずっと背負わされていたから、すぐに闘える服装であるズボンをはいていたのだろうけれど(スコットランドは除く)、スカートをはくことで、無防備さが強調されると、見ているこっちはどうしたらいいのかとまどう。けれども、ゴルチエレスリーも闘っていないわけではない。闘うのは武器を持ってやるだけではない、ということなのか。それはこの目で見たときにもう一度なにか感じるだろうと思うけれど。
 それまで、もっぱら男のものだと思っていた「今日何色はいてんの?」とか「中はどうなってんの?」とか「なにも履いていなかったらどうしよう」なんていう考えは、男だけのものではないらしいことを、気づかせてくれた。それだけでも、偉大であるし、ジェンダー、心理学、服飾研究の見地から見ても、様々な角度から語れそうだ。
 それにしても、スカートをめくってみたいという衝動は、ヅラかもしれない疑惑の頭髪を、ついしげしげと細部(とくに生え際)まで見たくなったり、ひっぱってみたくなる衝動となんだか似ている。なるべくなら隠そうとする人間の変な欲望を変に刺激されるぱっしょんなのである。やっぱりレスリーはすごいってことかねえ。
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3456 ゆるして、書きすぎ くまり 2000/08/03 11:10

ごめんなさい、なんだか読みにくいですねえ。すみません。
いまは、スコットランドの人はなんであんなもん着るのかという問いで頭がいっぱいっす。ノーパンだっていうし。寒い中でなにもはかないのが勇気の印なんだっていうイギリス人もいたけど。
ああ、ごめんなさい。一人でなんでこんなに書いているんだか。
スコットランド大使館に電話したいくらいだ~。きぃぃぃ。
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3457 史上初、四連続投稿 くまり 2000/08/03 13:40

 まさか、また出てくるとは…。すみません。んが、しかし、今昼休みに香港に電話をしてしまったものだから、その報告させてください。
 まず、ひろちゃんに聞いたところによると、お嬢は感激して泣いちゃったらしい。でも、細かい所はわからない。

 アンコールのときに、「我是我」を歌おうとしたら、だれかが I LOVE YOUというかけ声をしたんですって。そしたら、お嬢はおもわず「ぷっ」と吹き出してしまって、うまく歌えなくて、やり直ししたらしい。すっごく可愛かったそうです。(照れたお嬢の顔がみたい~)

 アンコールはもう総立ちよ!とのこと。「立っていいの?香港なのに」と聞いたら、「お嬢が立て」と言ったら誰が立たずにいられようかと…。

 そして、新聞などであれこれ言われたことについては、お嬢は「なにを言われてもいいんだ。ここに来てくれた皆が喜んでくれれば」みたいなことを言ったそうです。ひろちゃんのヒアリングによる。

 そしてね、とにかく写真でみると「やってくれた~」という感じだけど、ナマはとにかく可愛くて、しぐさも可愛くて、「ごちゃごちゃ言うやつは、ナマを見んか~い!」という感じらしいです。
 「香港という街はいいね。そこらじゅうにお嬢のポスターがある」とひろちゃんはしみじみ言っていた。いいね、香港。でも暑いそう。かなり暑いらしい。

 こんなところかな。ひろちゃんとりえちゃんは、かなり冷静でしたが、とにかく「かわいい」という言葉が何度も何度も出てきて、ナマは本当にいい、と繰り返し言っていましたよ。
 桂>心配はなんにもいらないようだよ。ナマを見ると、すばらしくて可愛くて、やっぱり最高らしいよ。スカートはいて、動いているレスリー、見たいね。

 今日は出過ぎてごめんなさいね。でも、生のレスリー本当に可愛くて、見ている人たちはもう魂抜かれちゃってるみたいですね。よかった。

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3459 やっぱり可愛かったのね。 ユカ 2000/08/03 14:46

ここのところ考えてたんだけど、やっぱりれすりはあのロン毛、やりたかったんだろーな、と思う。まあ何かインパクトのある趣向という中で偶然出てきたのかもしれないし、確信犯的に狙っていたのか。。。どっちにしても自分がやりたいことがやれたんだから、それはいいことだわ。今までは意に反したこともやってきたんだろから。
それだけ自由になれてそれを支持してくれるファンがいて、さぞかし嬉しいだろなあ。
結構、家の中ではロン毛&スカートというのは定番の日常着だったりして。。。きゃはっ。
でもあのロン毛は相当、髪に負担がかかるのは覚悟の上。そう思うと自髪を犠牲にしてまでのチャレンジとも言えるし、やれるうちにやっておこうという、あ~その発想は悲しすぎるね。ゴメン。

くまりしゃん>わたしも真ん中分けで香港行こうかと思ってるの。でも「冷静なひろちゃん」というのもちょっと想像がつかない。
ひとつお姉さんになったからか。。。
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3460 計画的だわ~ かな 2000/08/03 15:52

カツラに対しては、ロン毛じゃ!ロン毛!賛否両論あるけど、やっぱりかっこええわ~っと思ってたんだけど、わいけーさんのあれは1本1本毛に結びつけるやつだったかも知れないとのカキコで、ちょっと考え込んでしまいました。髪の毛は無事なんだろーか?
今朝からずーと、そのことが頭をぐるぐるぐるぐる。
くまりさん>スカート論。読みながらニヤニヤしてしまいました。ぐふゅふゅふゅ(笑い声だよ~ん)
ほんと!スカートって無防備だわ~。私は今までこっちの視点でスカートを見たことなかったんだけど。
でも、<かわいい>と思わせる彼の前では、そんな考えは吹っ飛んでしまうんだろうなぁぁ。ああ、香港へ泳いででも行きたいー!!
辺見えみりに化けて毛根チェックしてやるぅぅ~

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3461 そうか、可愛いのか。 有花 2000/08/03 17:03

うんうん頷きつつよんじゃったよ~。くまり張論。
そうなんだよなぁ、なんだかんだいっても、そういう所が好きなんだよな。てへっ。

>ユカさん
どうでもいい事だけど、スカートの中は黒だったねっ!予想的中。さすがだ。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ

あ~~~!可愛い生が観たいよっ!!!

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3463 まだかなあ くまり 2000/08/04 13:09

うう~、はやくぅ。はやく、帰って来てどうだったか
書いてくれぇ。りりこさん~。シムシムさんも、
今日帰ってくるんだったよねえ。
まっているぞよ~。スカート履いて闘っている男の話を。
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3464 同感! zhoe 2000/08/04 14:24

くまりさ~ん>そうですよねぇ。
りりこさ~ん 早くぅ。書いてチョッ!ウズウズするじゃん!
私も明朝いよいよ出発だ!今日は年に1度の会社の祭りでみんな昼から準備で浮き足だっとるが、私は別のところで完全に自前の浮き輪で浮いてるゾォ。
りりこさん>もしや、つぶれきったか?
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3465 ただいま~ッ!! りりこ 2000/08/04 21:48

ああ~ッ、今頃はレスリーの演唱會第5夜が始まったところねえー!
行きたい~ッ!! やっぱも一回見たい~!!

とゆーことでたった今帰ってきました。
さあ、今からみんなの過去ログ読むぞー。
そんで今夜中にルポ書くぞー!!
てなワケで、ただいま~!! うふふん♪
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3466 おかえりぃぃ~~~(*^▽^*) てぐ 2000/08/04 22:05

よっ!上機嫌だね~~!

ルポまってま~す!でも無理しないでねん~♪

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3467 おっかえり~~^い! ほでぃえ47 2000/08/04 22:10

首がずいぶんと伸びたように感じてるんですけど私。
疲れたでしょう。
いいもん見てきたね。
あつ~いルポ まってます。

私はいまスコーレで「暗戦」を見て帰ってきたところです。
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3468 ケチな私は りりこ 2000/08/04 22:26

テレホ以外にはオン書きしないのだ、今までは。
繋げても3分以内にサクッと接続を切ってしまうのだ。
しか~しッ!
こんなに熱い皆さんのカキコ読んで、そんなケチケチしたことが言ってられるか~いッ!!

ちゅーわけで、初のオン書きしかも長いぞー!
細切れに書いてくね。
ネタバレになってしまうかもですが、なんか噂では土曜日ぐらいから変わるとかゆー話なのね。そんなことなので、書いちゃうぜー!

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3469 おかえりなさーーい!! 有花 2000/08/04 22:31

>りりこさん
おかえり~!!どうだった?可愛かった?家主が留守の間、占領しててごめんねー。早くレポ読みたい~~!!どきどきわくわく。そわそわ。

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3470 おかえりなさいまし~♪ わいけー 2000/08/04 22:45

いやん、楽しみですぅ~
(頑張って起きていような>自分)
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3471 新聞でクラクラ・ゲラゲラ  りりこ 2000/08/04 22:46

7/31の夕方からモッコクの信和中心に行く。どの店もCD「大熱」がガンガンかかってて嬉しいぞ! そして街にはデッカイ大熱の看板とぱっしょんの看板が♪ ニコちゃんのCD「了解」もあったりして嬉しい。キレイだわ、ニコ。でもレスリーも負けてないわ。
8/1、街のスタンドで東方日報とりんご日報を買う。急いで娯楽の所を観ると・・・!

うっくっくっく!
皆さんももう既に見ているけど、アタシもさあ、まずは「コレ何ィー!!」と叫び、頭は混乱して「うわーっはっはっはっは!」と笑うしかなかった!!
そばにいたガイドの紳士、馬さんが「なんですか?」と言うので見せたのね。「レスリーの演唱會ですゥ」と「うわぁー、かっこわるいですねー」と馬さん。「いやー、しかしコレ、ゴルチエなんですよぉー」と答えると更に「うーん、似合ってねぇー!」
「・・・アタシ、これの為に来たんです・・・・」
と言いつつも、やっぱ動揺したし、笑うしかなかったのね。

んでさ、もうすっかり心臓が潰れそうになってたの。
そうよね、みんなもアレみて心配になったよね。「これ、どーだろうか・・・」って。
私もそうだったわー。
香港のファンはどうだろーか、とかね。
これ、思い切りサイテェーなんではないか、とかね。
「97演唱會」の時の麗しいレスリーはどこ行ったの? とかね。

だってさ、演唱會前のここしばらくの新聞に載ってたレスリーってさ、むっちゃ可愛かったじゃん。そのギャップにちょっと耐え切れなかったわけ。極めつけは、あのスカートはいて、髪をアップにして、ブリブリしてる写真よぉー! なんでこうなっちゃったワケェ?!という疑問でいっぱいだったのね。だって前髪真ん中分けだしィー・・・。

新聞で大きくヘコんだけど、ぢ・つ・わ、よかったのよぉ~!!
今から行く人、安心してね。そして心から楽しんでね!
コロシアムはそれほどは広くないです。結構どの席も「遠い・・・、遠すぎるぜ、哥哥 ・・・」という感じではなかったかも。

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3476 おっかえりぃ~~♪ くらちゃん 2000/08/04 23:18

うぎゃぁ~!りりこさんお帰りぃ~。
お待ちしておりやした!!
元気そうでなによりじゃ。
ささ、続きをどうぞ!
今夜は寝かせませんぞ(笑)

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3477 ついに来たのね この時が。 かな 2000/08/04 23:19

お帰りなさいまし~。
いいタイミングで覗いた自分に惚れ惚れですわ-。


3478 おかえり、待ってました 迷49 2000/08/04 23:26

元気そうね!
頑張って 次 GO!!

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3480 演唱會レポ1!! かなりネタバレなので要注意! りりこ 2000/08/04 23:52 ★さて、3面構成の香港コロシアム。席はちゃんといっぱいつまってました。あたりはスモークがたかれている。それほどは広くない、白のステージ。そしてステージの真上には非常に大きな白い沙の布が垂れさがっている。8時15分開演予定。んでも、実際に始まるのは8時半ぐらいでした。
あ、これから行く人、蛍光棒はやっぱ持って行こう! ちょっと少ないぜ、蛍光棒! と言いつつ、私は8/2はま~こ☆さんに、8/3はmimiさんにお裾分けしてもらってました。点滅する誘導唐、いや誘導灯を持ってた人も数人いたよ。

★さて、いよいよ幕開け!
最初の曲は、「陪ねい倒数」の中の「夢死酔生」から!
レスリーは白の沙幕の後ろ、中空にぼんやりと浮かんでる。姿は、そう、あのロン毛後縛りに白の羽のついたジャケット、そして白のスーツらしき格好。かっこわるい。それが正直なわしの感想だ。
曲の間中、沙幕は降りない。この激しくドラマチックな曲を、レスリーはずっとつん立ちのまま、不動で歌うんだ。しかも、バックコーラスがクールファイブの「長崎は今日も雨だった」のような雰囲気の「わわわ、わー♪」みたいな感じなのね。ダサイ、ダサすぎるッ。
本当に悪いけど、これは私の一個人の感想なんだけど、正直言ってこのオープニングにはちょっと退かざるをえなかったのね。わしの平常心にも一層拍車がかかるぜ。

しかし、私は最初、この演唱會は古い曲がメインになっちゃうのかなと思い、それはちょっとやだな、と思ってた。最近のアルバムはみんな好きだし、どれもこれもレスリーの新たな意気込みを感じるし、だからガンガンいって欲しいなと思ってたの。そんな危惧は、ある意味、このレスリーの衣裳と、そして「夢死酔生」後も新しいアルバムから結構歌ってることで消えたのね。ちょっと嬉しかったな。
そうそ、衣裳は、最初の一曲目のあとで羽つきジャケットを脱いだのね。中は、肩を大きく出した白のスーツ。そして髭アリ。

途中、MCも何度か入る。くやしいことに広東語でなぁーんもわからんわしだ。お客は笑ったり、大きな声で答えたり。羨ましいぞ。

★で、最初の方に「陪ねい倒数」や「UNTITLED」などからの曲とその合間に「風繼續吹」や「愛慕」なんかを交えていきました。
あ、まとめてた長い髪は、最初の方で後ろを向き、バサリッと降ろす訳ね。
んで、演唱會前半のまず最初の大盛り上がりは、「側面」→「暴風一族」の2曲メドレーかなあ。もうね、めっちゃかっこよかったのだぁー。違和感のあった長い髪や衣裳も、この頃にはちょっと気持ち的に和らいでたかも。
んでね、気付くと、レスリー、歌うまいんだわー。
「97演唱會」の頃とか、ビデオなどで見てる分にはいいけど、音だけ聞くとなんか音程がよれよれじゃない? ところがさぁー、今回は違うワケ! なんかね、とってもいいのよ、歌が!!
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3481 うんうんうん・・・ わいけー 2000/08/05 00:00

なーんか 異常なほどどっきどきしてるのは あたしだけかなぁ・・

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3483 演唱會レポ2!! りりこ 2000/08/05 00:43

★ではでは続きを・・・。
レスリーは白い衣裳から着替えた服が、写真でもっとも「なんじゃこれ?」だった、上が黒、下はスカート、そしてやはり髪はアップ、という奴ね。その衣裳替えまではステージ各方向に作られたスクリーンにたっぷりといままでの映画の名シーンが映される。
最初に時計のアップと「カチコチカチコチ・・・」の音。もっちろん、「欲望の翼」だ! ここで大きく歓声が上がるッ!
その後にいろんな映画が、「ちょっと長いぞ・・・」と思うまで流れるのね。んでも「恋戦沖縄」や「鎗王」もあったりして、ちょっとオ・ト・ク♪
でもねー、90年前半の頃の銀幕のレスリー、やっぱむっちゃかわいいのねぇ・・・。それを見て悲しいことに「やっぱ年を取ったかな・・・」などと思ったりもしました。そして、そのあとに、「追」のイントロが・・・。そしてようやく現れたのが、前述のお召しかえしたレスリーなわけよ。
あのね、その姿は、例えば新聞などでも顕著だけど、それを見ただけじゃぜーんぜん可愛くないの。だってさ、「家有[喜喜]事」のオカマれすりとかさ、可愛いじゃん。他にも、こと「女装」だの「ロン毛」だのだったら、「花田[喜喜]事」の女装、「ブエノスアイレス」の未公開の女装、「九星報喜」や「楽園の瑕」のロン毛、と綺麗なのがいっぱいあったでしょ?
ところがね、これは思いっきり可愛くないの。
それでもね、レスリーは「追」を、女の子のようにブリブリで歌い上げるのよ。
そしてそして、見ているうちに「可愛い・・・」という呟きが、私の口から次第に漏れ出していたんだ。
そう、それはなんちゅー不思議なことなんだろうか。
だってさ、その姿は思い切り、普通の「可愛さ」を排除してんじゃん。「可愛さ」を追求するなら、髭はないよ髭は。膝丈のスカートから覗く足は、毛を剃ってはいてもやっぱり男の足だ。レスリーならば、いわゆる普通の可愛さを演じることは可能な筈なんだ。髭を剃り、髪をウエーブにして男の顔の骨格を隠し、スカートも長くさえすれば、あとは彼の演技力で「女」になることは可能な筈だ。なのに、そうしなかった。あえて髭を生やし、「男の足」を出し、そしてとっても「女の子」をして歌う「ちっともビジュアル的に可愛くないレスリー」、しかしそれ故に、なんとゆー逆説か、可愛いんだよ、これが!! いやホントッ。力説するぜ、これは!!
そしてね、この衣裳の時はずっと女の子でありおネエなんだよ。「お嬢」なんてモンじゃないぜッ!
下に伸ばした両腕を左右一緒に、まるでペンギンのようにパタパタさせてブリっこしちゃう姿なんて、超絶悶絶モノですぜ~!!
アメリカン・パイ」を歌うレスリーの本当に可愛いことッ!
「Giht」から一曲、「追憶の歳月/這些年来」だったかな、曲名はちょっと怪しいな、この時の最後の「タッタ~、タララ、タッタ~、タララ・・・」とゆー部分、わざとね、むっちゃくちゃぶっきらぼーに歌うわけよ。雰囲気はコギャルの「えー?! もォ、ちょーむかつくー」みたいな、あの斜め上を向いてポカンと口をあけたまま、ぶっきらぼうにしゃべるような、そんな雰囲気ね。広東語がわかんないので不明だけど、どうやらその部分だけフェイ・ウォンっぽく歌ってみたみたい。
スカートのまま少し高目の椅子に座って、シャロン・ストーンの真似らしく、淫らに足を組み替え、そして思い切り足を広げて見せる。
スカートは前の部分が「ふんどし状(笑)」に垂れ下がるように出来ていて、股間の部分はその前の部分の布が隠しているのさ。

それから、私の大好きな、「UNTITLED」の中の「路過蜻蜒」。
ところでさー、たくさんのお客さんよォー。なんでこの3拍子の美しい曲に、4拍子で手拍子するん? わからん。ホントーッにわからん。頼むでそれだけはやめてくれ。
で、私はこの曲は何度聞いても泣けちゃうのさ。そんくらいこの曲が好きさ。レスリーは8月2日のコンサートではその手拍子のせいか、歌詞間違いか、3回ほど途中で間違えて中断し、最初から歌い直す。8月3日はハラハラしながら見てたけど、大丈夫でしたが。
しかし、それでもこの曲を本当にしっとりと歌い上げるのね。なんかね、心に染み渡ったのよ。 

さて、見ててね、完全な「女」に化けなかったレスリーに、私は思い切り拍手をしたよ。
なんかね、ゲイというと「男ではなく、女」みたいな見方がどうしてもあるじゃん。でも、ゲイにはいろんな人がいる。体は男でも心は女の人もいれば、単に女装趣味の人もいるし、男で、男が好きな人もいて、本当にそれぞれだ。レスリーはこの姿で、「紅」から更に一歩進んで、もっと「男でもあり女でもあり」を追求したんだと思ったの。
単純な「きれい」を越えた何か、に手を伸ばそうとしてるのを感じたのね。それにとても楽しそうに挑んでいる姿に、私はしみじみと感動したんだ。
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3484 おかえりなさーい♪ aye 2000/08/05 00:52

わーい、りーりこさんだぁ♪
私すごいいいタイミングに帰ってきたわっ、うふふ。
ていうかこのレポに続きはあるんだろーか?!
いやきっとあるに違いない、
というわけでもうしばらくは寝れな~い!

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3486 あああ(嬉泣) えつこ 2000/08/05 00:57

「路過蜻[虫廷]」、歌ったのね…。私もこの曲は、けっこう泣けますわ。
楽しみだなぁ。そして「這些年來」もあったのね!で、「當年情」はいかに…?
「暴風一族」は、2年くらい(笑)聴いてないわ。思い出しておかねば。

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3487 どきどきしてます なおちゃん 2000/08/05 01:05

 初めてカキコします。りりこさん、みなさん、こんにちは。
 そして、りりこさんおかえりなさい。とっても素敵なレポートを有り難うございます。レスリーの演唱會の写真を見てから、いいや と思ったり、私はこのレスリーをどう思っているんだろうか、レスリーはこんな事しちゃって大丈夫なんだろうか、等々考えて混乱していました。
 でも、りりこさんのレポを読んで、うん、このままずっと好きで行ける、レスリーも大丈夫なんだって思いました。貴重なレポの途中でごめんなさい。続きをお待ちしています。
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3488 ううう。。。 くらちゃん 2000/08/05 01:05

読んでて目がうるうるしてきた。
・・りりこさん、疲れてませんか?
レポ書きながら居眠りこいても
目が覚めるまで、お待ちしております。

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3489 夜は長いぜ! 演唱會ルポ3!!! りりこ 2000/08/05 01:05

★さて、レスリーはバックライトを浴びながらステージ後方に消えてまたまたお召替え。その間にレスリーの声とバックミュージシャンのプレイだけが場内に流れてたの。メンバー紹介なのね。
そう、それが8月2日だったの。
私はちょっとそれに不満だったわ。だって、いくら声だけ聞こえてても姿が見えなきゃテンション下がるわ。そんなテンション下がった客の中で紹介されるプレイヤーが可哀相だわ。
と、そう思ってたら、8月3日はね、バックライトで後方に去ったのは同じでも、その後、ずっと着替える所をバックライトを浴びたシルエットで見せていたのよ。音の中、スカートを脱ぎ、衣裳替えを手伝ってもらい、メイクを直してもらい、その間中、声だけでメンバー紹介。これはねえ、うん、とっても素敵だったわー!
こうやって日々少しずつ良くなっていくんだなあって思ったのよ。この演唱會は終わりになるにつれ、どんどん良くなっていくッ。そんな風に確信したわ。
そして、メンバー紹介のあとに「無心睡眠」!
衣裳は一転してピンクっぽいラメのスーツ。痩せたせいかとってもスラリとして長髪も服に合ってて素敵なのよ。
この曲もとっても盛り上がったのよッ! 私はこの曲の振り付け、大好きだしッ。椅子に座ったまま、蛍光棒振りながら一緒に踊ってたわ。
その後、ラテンナンバーが続くのね。あでやかでやわらかい身のこなし。文句ナシッってとこよ。
そんで新曲の「大熱」と続いていくのね。CDで聴くよりも更にいいかもよ、これ。
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3490 パッションの歌を聴きながら・・ ゆうゆう 2000/08/05 01:54

こちらのカキコは初めてです。りりこさんのルポ読んでたら何だか参加したくなってしまって・・・お邪魔します!
今 某掲示板からパッションを録音した物を聞けるようになていてレスリーの歌を聴きながら(音はあまり良くないですが・・)りりこさんのルポ読みながら少しでもパッションの雰囲気を味わおーとしている私です。
皆さん同様、今宵はとことんお付き合いしたいと思っています。
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3491 詳細なルポ、うれしいです みきの 2000/08/05 01:54

はじめてカキコします。
りりこさん、こちらでははじめまして。りりこさんが気を使って送ってくださったビデオを見ながら、お留守番してました。
コンサートが始まってから、いろんな情報が欲しかったとき、ここが特別盛り上がってたので、実は毎日のぞいてたんですよ。
今日は、りりこさんの非常に詳しいルポのおかげで、ステージ上のレスリーが目に浮かんできます。香港に行けない者にとっては、とても嬉しいルポです。まだまだ続きがあるんですよね。じっくり読ませていただきます。よろしくお願いします。
おかげで、全然眠れそうにない・・・
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3492 演唱會ルポ4!!!! りりこ 2000/08/05 02:08

★さてさて、「大熱」のあとだったかな、再度レスリーはお召し替え。ところで書き忘れましたが、白の衣裳とピンクのラメスーツの間に、ヘビヘビした衣裳もあったわ。腕にはじゃかじゃかとゴツいブレスレット巻いて。うん、それもかっこよかったわ。
で、衣裳は光沢のある黒のピッタリしたパンツにスケスケの黒のシャツだったかな?
曲順などはちょっと忘れちゃったんですが、さてさて「紅」
この演出は多分、賛否両論となるでしょうね。他の方の意見も是非聞きたいわ。
舞台には黒い衣裳に身を包んだ男の子4人。大きなベッドを囲むようにして登場。同じく黒で、胸元の間が縦に深く開いているレオタードに身を包んだ女の子たちがベッドに寝ている。それはまるで死体の山のようだ。
とは言え、腕だけが蛇のように上に向かってゆらゆらと伸びている。
そして、あの強烈な「紅」のイントロで、一人のダンサーの女の子が横たわりながら「97演唱會」のレスリーを彷彿とさせるように紅いハイヒールを履いた足を上に伸ばす。
さて、舞台には大きなスクリーンが上の方に幾つか設置されてることは書いたね。で、そのスクリーンには常時、舞台のすぐ前にあるカメラで映像を撮り、それがスクリーンに流れているわけなんですが、この時もスクリーンに映し出されるのは、そのベッドの上の妖しい肉の塊のようなダンサーたちなの。
で、レスリーはどこにいるのか?
それはベッドがあるステージの少し上の方にある舞台なのね。そこで彼は、ビデオのハンドカメラを持ち、彼女たちを移しているの。
歌が始まる。歌の間も、スクリーンはそのダンサーを映し、そして青や赤や紫を基調にした少し薄暗いステージの中、レスリーにはなんと灯りのひとつもあたってないの。
歌の一番の最初のリフが終わり、2回目のリフの時にようやくカメラを持ったレスリーにスポットライトが。しかし、そのビデオで女達を映すという演出の為、いくらレスリーにライトがあたっても、この「紅」の主役はベッドにいる女達なのよ。
でもね、大きなスクリーンには、レスリーが撮っているビデオの映像がノイズ混じりに挿入されるの。妖しくメイクをほどこした男の子のダンサー、ベッドに乱れる女の姿、それを舐めるような映像が挿入されていくのね。
まるで男も女も操り、狂わせる、「闇の王」という風情だったの。
最後にレスリーはそのベッドの中に入っていく。
うん、この演出はとっても面白かったわ。
それでもね、やっぱりこの曲の主役はレスリーでいてほしかった。
もっともっと、レスリーの姿を演出的に浮かばせて欲しかったわ。どうしても「97演唱會」の姿が鮮烈なだけに、これに関してはきっと、意見が分かれる所だと思ったなあ。
そしてまた、最終日までにこれはもう、このままで行くのか、もう少し変えるのか、そこん所も気になる所でした。

この曲に続いて「枕頭」。これも私はメロディとして大好きな曲なのね。出来たらあまり何もせずにしっとりと歌って欲しい曲の一つ。でも、「紅」の雰囲気のまま、非常に芝居がかった演出でした。女の子達が次々にレスリーに絡んでいく。しかし、そのうちに女の子同士で絡み合い、今度はレスリーが求める側になって・・・ってな感じかなあ?

あと歌った曲は前後しちゃうけど、例のブリブリ女の子の姿で歌った「左右手」とかね、「UNTITLED」「陪ねい倒数」から結構歌ってたなあ。
そして、特筆すべきは、新しいCD「大熱」からの「我」でしょう!
8月2日は途中で失敗しちゃって、笑いながらもう一回歌い直し、なんてこともあったけど。
でもね、すごいの、この曲が!
あのね、この曲に関しては蛍光棒、振る余裕なんてなかったの、私。だってね、すっごくすっごくいいんだもんッ! そうとしか言えない。
これを歌うレスリーの魂が、そこに燦然としてあるんだもんッ!
いやー、香港に行く前日まで、私はCD「大熱」をまともに聴く余裕なんてなかったのね。だからこの歌の意味も知らないし、それほど覚えてもいなかった。そんな私だったけどね、この歌を歌うレスリーのその姿にはね、本当に心を打たれるものがあったのよ。それだけの気持ちが、きっと込められていたのね・・・。
多分、この演唱會の意味は、全てこの一曲の為にあると言っても過言ではないほどの力を持っていました。

さあ、そして・・・・・・・・!


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3493 うきょ~~~! くわも 2000/08/05 02:10

無心睡眠あるんだぁ!!
うちが行くときも有ればいいなー!
寂寞有害は?同道中人は?
あ~。はやく生歌が聴きたい~~~!
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3494 う… えつこ 2000/08/05 02:20

「當年情」は、なかったのかぁ…(泣)。来日公演に期待しよう。3年前、私が
行った日にはなくても、別の日には歌っていたことだし…(気が早いっての)。

「紅」からは「怪イ尓過イ分美麗」があったんですね。それは嬉しいかも。「寵愛」
からは「追」だけですか?「我」は、北京語バージョンの方だったそうですね。
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3495 おこんばんわ あじん 2000/08/05 02:21

ども、さすがの盛り上がり様ですね。
りりこさんの詳細な文がさすがです。
私も8/1行ってまいりました!
あのお姿にはどーしよーかと思いましたが
曲もイイ曲ばかりだし、アンコールのヒットパレードでは
ロックコンサートか思うくらい盛りあがったし、
レスリさんの涙も観れたし…や~行ってよかったですわ。感動感動。
それ以外にも濃いい三日間でした。
いずれHPにページつくりますが。
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3496 多分、これが最後か? 演唱會ルポ5!!!!! りりこ 2000/08/05 02:51

★さーていよいよ、コンサートはアンコールへ!!
レスリーは白のタンクトップにジーンズ。
曲は何から始まったっけ? とにかく「モニカ」「第一次」「少女心事」とか、そんな昔のヒット曲がここで一気に登場よ!
んでね、アンコールで出てきたレスリーの熱気で、もう観客は総立ち、とまでは行かないにしろ、それでも80%の観客は立ってかなあ。レスリーも、立てと煽る煽るッ!
なんつーかねえ、流れとしてはやっぱ最初はあの髪や衣裳にぎょっとしてたと思うのよ、みんな。で、最初の全体の観客の空気は少しだけ重かったように思うのね。しかし、だんだんとレスリーの姿に魅せられていくのよ。それが客の一人でもある私にも手に取るように伝わってくるのね。そして気が付けば彼の姿に思いっきり感動しちゃって、そのあとにこのアンコールでみんな弾けちゃうのッ!
たくさんのお客さんの中には、
「いい年してこんな『レスリー』にハマっちゃって香港にまで来ちゃって・・・」とどこかそんな自分に戸惑いながらその場にいた人も多かったように思う。そんな人達が、「あぁ、もうダメッ! いいのよ、アタシも立ってしまうわッ」とばかりに立ち上がり、いつしか手を大きく上に上げて振り出す。レスリーッ! と叫んでみる。
そんな気持ちにさせる瞬間が、この演唱會にはあったんだ。
レスリーに立てと言われたでもなく、前の人が立ったから私も、でもなく、ただ立ち上がり、レスリーと共にこの時間をもっと過ごしたいという、まさに大熱の瞬間!
曲は「Stand Up!」「ツイスト・アンド・シャウト」と続いていく!
アリーナの客の数人かは舞台の前の方に走っていく!

そうしてとても盛り上げたあと、2回目のアンコールかなあ?
アリーナ後方からは、アンコールを叫ぶ観客の声と、ドンドンと床を鳴らす地響きのような低い音。
そして登場するレスリー。8月3日には、MCのあとに何故か、チャイニーズ・ゴースト・ストーリーのテーマ、「やんさんろ~」って奴ね、あれをアカペラで歌い出す。
ところでこの日、ステージ席後方だった私の隣は香港人カップルだったのね。ごつごつした顔のがっちりしたおにいちゃんと女の子。そのカップルはアンコールの間、立ち上がってなかったの。
んでも、そのおにいちゃん、この曲の時、レスリーと一緒に「やんさんろ~」とデカい声で歌うのね。(かなり調子っぱずれではありましたが、ははは)
それを聴いた時、香港の人の心の中には、たくさんの映画、アイドル時代のヒット曲と共に、レスリーというものがとても深く浸透しているんだなあと思い、嬉しくなったわ。

さて、そして「I Honestly Love You」
8月2日には「I love you」の所では歓声が入り、また観客からも「I love you」の声が走る。きっとひろさんも叫んでるのではないかなあ、などと思ってたのね。
そしたら後で聞いたら、8月3日は「I love you」じゃインパクトが薄いッと計画を練ったらしく(?)ちぇしゃさんとひろさんたちが曲の前に「愛してるー!!」と叫んだとか?
するとレスリーが「アイシテル? ニホンジン? コンニチワー」
おいおい、コンサート終わり近くに「コンニチワー」かよ・・・。でもでも、ちゃしゃさんもひろさんも、レスリーとしっかり目が合ってしまったとおっしゃってたわー。

さて、とても大切そうに「I Honestly Love You」を歌い、そしてもう一度、最後に「我」を歌ったのね。歌った、というか、歌い上げる、という感じよ。
新聞にはこの曲の時に泣いてたってあったね。
私はそれはわかんなかったけど、8月2日の時は目が少しウルウルしてるのを感じたわ。クドいようですが、こみあげるものがあったわ、この曲の時には。
そしてそして、この演唱會は幕を閉じたのでした。

さて、これが8月2日と3日に観てきた私のルポでした。
静かに堪能し、そして楽しく気持ちを弾けさせた、という感じでしょうか。

さて、クドイようですが、もういっちょ続く・・・。
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3497 長いこと、お付き合い多謝です。 りりこ 2000/08/05 03:19

★さて、演唱會が終わり、その後いろんな人に会いました。それもまた、とっても楽し♪
と言いつつも、最初に書いた通り、私はなかなか「うわぁ~ッ♪♪」となれないタイプ。おかしなモンでね、これが「仕事です、うわ~ッ♪と盛り上がりましょう」とかね、または「そういう芝居をしてみましょう」と言われるといっくらでも出来るんだ。ところが素の私ってのは、もう本当に盛り上がらないヤツなんだ。そんな自分がちょっと悲しい。悲しいが性分なので仕方がないか。
なんと言いますか、距離をすぐに縮めることができないのね。それで、なかなか会えなかった人にようやく会えたにも関わらず、ローテンションな私をお会いした方々、お許し下さいね。
ちぇしゃさん、シムシムさん、りえぷーさん、ひろさん、ま~こ☆さん、るるさん、Sachikoさん、SUZUよさん、ご挨拶しか出来ませんでしたがサミラさん、それからシネセンターのお客さんなのでイニシャルだけにしておきますがW.Kさん、みなさん、同じ時間を過ごせて嬉しかったです。
今回は残念ながらすれ違ってしまったAsajiさん、いつかまたお会いしましょう。
8/3に一緒に行けたmimiさんにも感謝!
そしてこれから行く人たち、思い切り楽しんで下さいね!
心の底から思い切り楽しめちゃう人も、私のようにどこか冷めた部分を持ってる人も、行きたくても行けなかった人も、今回はあえて行くのをやめた人も、み~んな「我」だねー。
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3498 多謝、多謝! 有花 2000/08/05 03:36

>りりこさん
お嬢の方向性というか姿勢の根本的な所は、全然変わってないね。りりこさんのレポ読むと
その辺が伝わってくる。どうもご苦労様っす!「紅」の演出含め、確かにちょいと
好みがわかれそうだけど、まぁ、それはワールド見て判断しようかなって感じですわ。
てよか、早くビデオ出して欲しい(笑)やっぱ日本公演と香港では違うしなぁ。

そうそう、向こうの演唱会はご存知だろうが初日なんかは公開リハでしょう(笑)
どんどん演出の変化はしていくと思う。そう、そんな事すら忘れてた。恐るべき、お嬢のダサセンス!(笑)

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3499 ありがたや~ かな 2000/08/05 03:46

4時間半に及ぶルポ、お疲れ様です!
かなりの時差を感じつつ、盛り上がった今夜。
とぉっても、楽しかったです!
をぉぉぉ~hOtじゃ~~~と思いながら読まさせてもらいました!
りりこさんには、ホント感服ッス!


『楽園の瑕』

以下の文章は、レスリー・チャンの生前に書いたものです。
これらを書いていた時には、まさかレスリーがこんなに早く亡くなるなどと想像もせず、
彼の未来を語り、時には能天気なことも書いております。
しかし、彼の映画を見るたびに、彼の音楽に触れるたびに感じた驚きや喜びを大切にしたいから
敢えて加筆訂正はしておりません。
何卒ご了承ください

楽園の瑕

1994年製作
監督・脚本・・・王家衛ウォン・カーウァイ
撮影・・・・・・・クリストファー・ドイル
美術・・・・張叔平(ウィリアム・チャン)
出演
歐陽峰<西毒>・・・・張國榮レスリー・チャン
黄薬師<東邪>・・・・梁家輝(レオン・カーフェイ)
盲剣士・・・・・・・・・・梁朝偉トニー・レオン
洪七 <北夷>・・・・・張學友(ジャッキー・チョン)
燕/媛・・・・・・林青霞(ブリジッド・リン)
桃花・・・・・・・・劉嘉玲(カリーナ・ラウ)
歐陽峰の兄嫁・・・・・・・張曼玉マギー・チャン
村の娘・・・・・楊采[女尼](チャーリー・ヤン)

 

1.「楽園の瑕」が出来るまで
2.広がる続ける物語
3.歐陽峰の孤独
4.「酔生夢死」の効き目

 

1.「楽園の瑕」が出来るまで

映画の冒頭の言葉にあるように、これはある小説が元になっている。
というか、その武侠伝小説に登場する老人達の若い頃を想定したものということだ。例えば、原作の西毒は底意地の悪いひねた男らしいが、一体彼はどうしてそんな男になったのか、とか。

本来は東邪、西毒、北夷、南帝の4人の話であったらしい。しかしウォン・カーウァイはそんな4つの点で作られるバランスの良さを排除していった。南帝を抜き、そして当初は西毒がトニー・レオン、東邪がレスリーであったそうだ。確かに次から次へと女に関わっていくこの映画の東邪のイメージはレスリーにはまり役だったかも。
女優陣も当初はジョイ・ウォンも参加していたそうだが長引く撮影のために彼女は降板し、後にチャーリー・ヤンが参加し、そして幾度も配役の変更があったという。

また、この映画は一応正月映画として予定されていたそうだ。しかしいつもの如く撮影は延期されていき、プロデューサーだったジェフ・ラウが「楽園の瑕」のフィルムを現像している間にマッドテープとして撮影したのが「大英雄」。そしていよいよ正月映画には間に合わなくなり、「楽園の瑕」は途中で中断して、「大英雄」を僅かな日数で撮ったそうだ。

その後、冬の季節が過ぎるのを待って再び春から夏にかけて「楽園の瑕」の撮影を始めたけれど、その時に今までレスリーが東邪役で撮っていたのを西毒に変更したそうだ。更にこの2年を掛けて撮影された映画はすぐに編集されることなく、ウォン・カーウァイは「恋する惑星」を作る。その映画を経ることによって始めて「楽園の瑕」の編集に移ることが出来たということだ。(資料「ウォン・カーウァイ」ジミー・ンガイ著、「チャイニーズシネマパラダイス」ビクターエンターテイメント発行)

2.広がる続ける物語

この映画、何回見てもいいですね。
とゆーか、回を重ねるほどよくなっていくの。
まるでこの映画の衣装に使われている布の質感に似ているな。
丁寧に色を施され、よく見ると一本一本微妙な色合いを持った糸の塊が置かれている。それは毛糸玉のような完結した形ではなく、複雑に絡み合ってしかも漠然とした物だ。
しかしそこに一本の縦糸が見えてくる。それを手にとって見る。その糸の名は「黄薬師」だ。ゆっくりと引っ張りあげると、その糸には「燕/媛」と名乗る女、「盲剣士」「桃花」という糸が絡み付いているのが見えてくる。または少し離れた場所には「村の女」という糸が「盲剣士」と「洪七」をわずかにかすめるように結びつく。ところがようやくラストになって気がつくと、絡んでいた糸の塊だと思っていたものは一枚の布だった。歐陽峰のどうしようもなく切ない孤独、という名の一枚の布。
初めてこの映画を見た時、ラストで目の前にその布が表れた時、私は茫然としつつも訳も分からず涙した。そうしてこの映画も繰り返し繰り返し見ることになる。

登場人物は誰も自己主張する間を与えられていない。豪華なキャスティングだが、例えばほぼ同じキャスティングの「大英雄」の方は、俳優に対しても観客に対してもサービス心旺盛だ。「さあ、ここはあなたの見せ場だよ」というシーンがそれぞれのキャストにふんだんにあり、観客もそれを充分堪能できる。
それに比べるとこちらの「楽園の瑕」にはそういう類のサービス精神はない。登場人物は淡々と語られていき、「さあ、あなたの出番です!」的な感じがない。そしていつも、唐突に、なんの勿体もつけずに、ただ結果だけが目の前に晒される。
燕/援が二重人格者だということ、盲剣士の死、村の女とタマゴひとつで契約する洪七・・・。

「切ない」ということを胸に掻き抱きながら本来の場所でない所に一人生きていかなくてはいけないのが盲剣士とその妻、桃花だ。本当なら二人で素朴で幸せに生きていくはずだったのだ。しかし桃花がひととき黄薬師に心を移したことによって、二人はその場所には行き着けなかった。映画はそんな二人をまるで風を移しているように、そしてその中で微かに花が鳴っているように淡々と描いている。

ブリジッド・リン演じる女は幻の中を生きていた。黄薬師に愛されたという記憶も裏切られたという記憶も彼女の幻なのかもしれない。だからいいのだ。「あなたは誰を愛してるの?」という問いに代わりに歐陽峰が「君かな」と答えても。幻の黄薬師の声を聞き、そして彼を愛撫した。彼女の思いはそれで満たされたのかもしれない。彼女は確かに孤独だ。彼女の上げる雄叫びは切なく痛々しい。しかし幻の中で剣を振るい続けるだろう。もしかしたら彼女は孤独であるということに気付かないまま、凛として剣を振るっているのかもしれない。

すべての登場人物がなんともいえない深いこだまのような物を残して映画の中から消えていく。不思議なうねりを持って。そして残されたのは、孤独に気付かなかった歐陽峰だ。

 

3.歐陽峰の孤独

歐陽峰の仕事は殺しの仲介人だ。「殺してほしい」という人間と交渉し、それを実行してくれる殺し屋を手配する。報酬の交渉もすれば、殺し屋の生活の面倒も見る。ある意味、非常に人間臭い仕事である。
そんな歐陽峰の前にはいろんな人間が現われる。彼はその前でいつも超然としている。実際には、彼らを観察し、彼らに少しばかりの興味を抱き、時には嫉妬しようとも。それでもその姿勢は崩さない。

例えば、いつもの如く啓蟄の日にやってきた黄薬師は、次の朝にふらっと何かを思い出すようにして立ち去っていく。その馬の走り去る音を聞いて弾かれるように外へ飛び出した歐陽峰。
燕/媛の手の愛撫に目を閉じながら、愛していた兄嫁の手の触れる感触を思い出す歐陽峰。
愛している女と共に力強く砂漠の向こうへ旅立っていく洪七の姿に嫉妬する歐陽峰。
それらの姿はどうしようもなく切なげなのに、しかし、吐かれるモノローグは淡々とし、「俺はそんなものに今更揺るぎはしない」と言っているようだ。「砂漠の向こうにはまた同じ砂漠があるだけだ。そのことを俺はよく知っている」と。

そんな彼の姿が崩れるのは、兄嫁の死を知ってからだ。多分、彼は、自分を裏切った彼女の存在を心の中に意識していたからこそ、超然としていざるをえなかった。しかし、それはもう無いのだ。黄薬師が毎年自分を訪れていたのも、黄薬師もまた兄嫁を愛していて、彼女に歐陽峰の「今」を伝えるためだったと知る。黄薬師ももう来ない。それでも初めて彼を二日だけ、待ってみる。彼が来れば、歐陽峰は兄嫁の存在を感じられるからだ。まだ妄想を続けることが出来るからだ。

その時、彼は初めて砂漠を見る。「ここへ来てから砂漠を眺めるということはしたことがなかった」とモノローグが入り、私たちはここにきて初めて歐陽峰の真の孤独を知ることになる。私は幾たびこの映画を見ても、このモノローグから最後までどうしようもなく涙が溢れてしまう。彼が淡々としながら受け止める孤独の深さが胸に突き刺さってくるのだ。彼は今まで、兄嫁のことはもう過去の事だと思っていた。そして今の自分はまあまあやっていけてるな、と。ところが実際には、彼は本当に何も見てはいなかったのだ。見つめていたものはただ一つ、過去の一瞬だったのだ。

砂漠を、空を見つめながら彼は初めてそのことを自分に認めるのだ。その時きっと、彼は彼のやり方で自分自身を抱きしめたことだろう。

映画のラストで、それぞれの登場人物が、それぞれの今いる場所で剣をふるっている。黄薬師も、独狐求敗となった燕/媛も。そして洪七と闘うことになった歐陽峰の目は、ぎらぎらと輝いている。全てから距離を置いて超然とした風を装いながら生きていた男が、髪を振り乱し、生きている刹那に目を輝かせている。

4.「酔生夢死」の効き目

私はこの手のモチーフに弱い。冒頭に登場する、黄薬師が持ってきた「酔生夢死」だ。飲めば過去を忘れられる酒。

黄薬師はなんのためらいもなく飲む。彼は本当に過去を忘れてしまいたいと思っていたからだ。酩酊し、そしてひとつずつが朧になっていく。

私はこのシーンを見ながら寺山修司の映画「さらば箱舟」を思い出していた。山崎努演じる男が、時計を手に入れてからひとつまたひとつと忘れていくシーンだ。男は焦れながら身の回りにあるひとつひとつに名前を書いていく。最初は「鍋」だとか「やかん」だとか。それでも積み上げた砂山がはかなくも崩れるように、記憶はどんどんと消滅していってしまう。小川真由美演じる男の妻も、その流れに逆らうように男が名前を貼っていくのを手伝っていく。しかし、名前の書かれた紙は増え続け、それは戸口にも家にも、そして男の胸には「俺」と、女の胸には「スエ、俺の妻」と貼られていく。しかし流れ出した砂は最後の一粒に至るまで崩れてしまうのだ。「忘れてしまった男」は、自分が何かを忘れてしまったことさえ忘れてしまう。

黄薬師には「忘れてしまうことへの畏れ」は見られない。
歐陽峰には痛切にそれがある。「記憶は悩みの源だ」といいつつ、彼はそれが消えてしまえば存在している意味さえわからなくなってしまうからだ。それでも最後には彼はその酒を飲む。歐陽峰には何の効き目も無い。その筈だ。彼は「忘れたい」と思いつつも、心の中ではそれを畏れていたからだ。それでもその酒を口にせずにはいられない姿が胸に痛い。

※初出 美尾りりこ個人WebSite『快楽有限公司

「楽園の瑕」

1998年12月

 

『ブエノスアイレス』

以下の文章は、レスリーの生前に書いたものです。
これらを書いていた時には、まさかレスリーがこんなに早く亡くなるなどと想像もせず、
彼の未来を語り、時には能天気なことも書いております。
しかし、彼の映画を見るたびに、彼の音楽に触れるたびに感じた驚きや喜びを大切にしたいから
敢えて加筆訂正はしておりません。
何卒ご了承ください

ブエノスアイレス

監督・脚本・・・ 王家衛ウォン・カーウァイ
撮影 ・・・・・ クリストファー・ドイル
美術 ・・・・・ 張叔平(ウィリアム・チャン)
出演
ファイ・・・梁朝偉トニー・レオン
ウィン・・・・張國榮レスリー・チャン

チャン・・・・張震チャン・チェン

 

1.どうしてこんなに泣けるんだろ
2.「ゲイ映画というキーワード]
3.レスリー・チャンウォン・カーウァイ 


Happy Together Trailer(long version)

1.どうしてこんなに泣けるんだろ

ブエノスアイレスを観てからの一週間、私はずっと心を乱され続けた。
効き目は遅いが非常に長く効く薬のようだった。
そう、最初のうちはまだ余裕があったのだ。見終わった後に友達と軽口を叩き合うぐらいの余裕は。しかし時間が経つごとに、心がこの映画に占領されていくのを感じずにはいられなかった。上映最終日、私は再び映画館に足を運んだ。翌日、折り良くもちょうどレンタルを開始したばかりのビデオをダビングして毎日それを見続けた。 今の自分は壊れている。心の片隅でそう意識した。その頃の私はまともに人と口をきくことさえも出来なくなっていた。いつも観ていたテレビドラマも本も何もかも受け付けなくなっている。音楽も聴けない。そしてつまらないことで気を昂ぶらせてはわけもわからず泣いていたのだ。深夜になると飽きることなく毎晩「ブエノスアイレス」を見るという生活。そして見終わるとすぐさま巻き戻して二人が一番幸せだった時まで遡り、再びそこだけを繰り返し見る。そんな日が繰り返された。まるでファイが、「このままウィンが治らなければ」と祈っているのと同じように。どちらかと言うと熱狂型ではない私にとって、こんなことは今までに無かったことだ。

一体、私のこのハマり方はなんなんだろ。
ファイとウィンに感情移入しているんだろうか。ああ、なんかちょっと違うんだよなあ。彼らの間にある、嫉妬、独占欲、束縛、それらは私の一番苦手とする感情だ。なのに、何故こんなにこの映画の物語に深く傾倒しているのだろう。
そして私はどうしてこんなにバカみたいに泣いているんだろうか。

上手く言えないんだけれど・・・。
きっとこの映画の1時間30分の中に生まれ、育ち、過ぎ去ったり壊れたりしていく「時間」が、苦しいほどいとおしいんだよなあ。多分、そういうことなんだと思う…。

ウィンは何度も「やり直そう」と言い、その度に二人はやり直そうとする。
いや、そんな明確な意思ではないか。ウィンの言う「やり直し」は「チャラにしてよ」ってことだもんなあ。
ファイは少しずつそれに気付いていく。いくらリセットボタンを押して振り出しに戻そうとしても、前のゲームはチャラにならない。痛みの記憶というデータが堆積していくだけだ。
同じ場所に戻ったつもりでも、そこは前とは微妙に違う場所。やり直し、繰り返しを幾ら試みたとしても、変化していく何かを意識せざるをえない。それはある種ポジティブなことなのかもしれない。それでも私はどうにも悲しいのだ。変化していかざるをえない、という事が。

二人の関係の中で、季節は冬が過ぎ、夏も過ぎていった。しかしウォン・カーウァイはそれを克明には描写してしない。思い切り冬服の二人は唐突に夏のシャツに変わり、夏のシーンでもウィンはまだ皮のジャケットを羽織ったままだ。漠然と永遠を信じている人間にとって、季節というものはそれほど重要ではないのだ。ただ、ファイが先に気付いたのだ。季節というものは変わっていくのだということを。そして12時。ファイの部屋に一人残されたウィンもそれにようやく気が付いた。

いや、本当はファイの目はいつだって時間を気にしていた。それも過ぎてしまう前から、過ぎていくだろうことを常に考えては、その不安に揺れ続けるタイプだ。だからこそ祈るのだ。このまま時間が動かなければ、と。それが叶わない夢だと知っているから、なおさら彼の目には不安が色濃く現われてる。

ウィンは、後半近くにファイの住んでいた部屋に今度は一人で住む。
多分、「明日」のことを考えることなんか大ッ嫌いな彼は、掃除も大ッ嫌いだろう。そんな彼がきれいに掃除をし、タバコを山ほど買ってきて並べる。前にファイが彼を一人で外に出させない為に、彼をその部屋に繋いでおくためにファイがしたように。
「俺、ここにいるから」と。
けれど、もうやり直しなんてきかないのだ。

私は、最後近くでファイはウィンのパスポートを彼に返したのかどうかが気になっていた。勿論、その前に、イグアスの滝に一人向かうファイのモノローグで、
「パスポートはまだ俺が」
と言っていた。しかしその後のシーンで、ウィンはイグアスの滝が描かれたランプシェードを見つめるうちに、ふと何かを見つけたような表情をし、そのあと、ベッドの上で泣いているカットに変わる。
私はこの時、あのランプシェードの中にパスポートが入っていると思っていたのだ。それは私の希望だった。パスポートと共にウィンはファイから置き去りにされてしまった。関係はもう終わったのだ。今はウィンはその思いに泣いている。しかしその後、返されたパスポートを手にして過去の場所に戻れば、二人はまた会えるのではないかって。とりあえず、ウィンの中にはそんな希望的楽観が入る余地がまだ残っているんじゃないかって。

でも・・・違ったのね。

ウィンがランプシェードに見たのは、滝を見下ろす二人の人影。
そして彼が見つけたのは荒涼とした「孤独」だった。ここから先はもうないのだという絶望感。永遠にだらだらと続くと思われていたものは、実はもう取り戻すことの出来ない過去になってしまっていたのだ。
どんなにタバコを買ってきて自分をこの部屋に縛り付けようとする素振りをした所で、きっとウィンはわかっていたのだ。それがただの感傷だってことは。
けれど、あのランプシェードを見ていて、ようやくはっきりと自分の孤独を突きつけられたのだ。リセットボタンを押せば再び繰り返される関係、それはウィンだけが信じていた幻想に過ぎないのだということを。

時間はただ流れていく。繰り返しはあっても二度と同じものは戻らない。
残るのは鮮やかな一瞬の記憶。
それがいつまでも気持ちを疼かせ、甘やかな痛みを持って苦しめられる。
ウォン・カーウァイの映画は、いつもそんな瞬間を思い出させる。
だから彼の映画を見るたびに、自分の中にある重なり合ったいつか見た風景を思い出して泣いてしまうのだ。

 


2.「ゲイ映画」というキーワード

この映画を紹介するにあたって、よくこんな記述を見た。それは、「この映画はゲイ映画ではなくラブストーリーだ。あくまで愛し合う二人を描いた映画だ」と。

うーん、なんかこの言葉、ひっかかるんですよねえ。なんだかよくわからない物を口の中に入れられて噛んでいるような、そんな妙な感じ。
これは、「ゲイの映画」と聞いて退いてしまう人達へのフォローなんでしょうか? どうして「あくまで愛し合う二人」の前に「ゲイ映画ではなく」がつかなくちゃいけないんでしょうか?
とは言え、それじゃこれが「ゲイ映画」だとカテゴライズするのも何だか腑に落ちない。何故ならどう考えてもウォン・カーウァイはゲイを描きたかったとは思えないからである。それはあくまでも状況に過ぎない。他の彼の映画同様、ある場所に人物を置いてみた。そのことによって生じる空気を彼は作り出しているのだから。

しかし私は、「たまたま男と男の物語だけど、本質は男と女だって一緒」という語り方は少し違うんじゃないかなと思う。関係、という問題において、それは厳密には違う筈だ、と思うからである。

ファイもウィンもどちらも「女」じゃない。ウィンがどんなに甘えても彼は女じゃないし、いくらマメにウィンの世話を焼いてもファイも女じゃない。
ウィンが縛られるのを嫌うのも、そしてファイが縛ろうとする自分に自己嫌悪を感じながらもどうしようもなくそうしてしまうのも、それは彼らが男だから。いや、勿論女だってそうだけど、でもこの映画の根底に、どんなことをしても拭い去れない「男のプライド」が滲み出ている。

この映画でトニー・レオンの演じたファイってかっこわるくありませんか?
冒頭モノクロのイグアスの滝に向かうファイの衣装も、なんかすごくバカっぽい。その後、道に迷ってウィンと喧嘩別れをする。ウィンは見知らぬ車に手を上げてヒッチハイクをしようとしているけれど、ファイはおんぼろ車に戻りながら一人泣いている。その後、ウィンと再会した時のファイは怒鳴ってばかり。ウィンが時計をパトロンから盗み、それを香港へ戻る旅費にとファイに持ってきた時も、一度は捨てるものの、ウィンが去ったのをちらっと上目使いで確かめた後、何も無かったかのようにポケットにしまいこむしぐさ。

ある意味、すごくかっこ悪いのに、それでもウィンに対する男としてのプライドを感じさせる。あんなによく泣くファイなのに、ウィンの前では泣かない。ぎりぎりの所で超然として見せる。どんなに最低の生活をしていたって、俺はこの男には負けない、そんな意志を感じさせる。 それから例えば、冒頭の二人のセックスシーン。または二人のタンゴを踊っているシーン、ファイの剥き出しの肩にしたウィンのキスでも顕著だけれど、ウィンの表情を見ると、貪欲に快感の中に陶酔し、それを享受しているように見える。ところが、ファイはそうではない。目が、ウィンのそれに比べて熱さを感じない。文字通り「目にモノ言わす」トニー・レオンなのに、ことレスリーとのからみとなると、目の中にあるべき愛情がすごく希薄としか見えないんだよなあ。これを見て、ファイという男は無防備に快感をさらけ出せない男、という風に感じたのね。だってそんなことをしたら「負け」じゃん、って言ってるように思ったの。

ウィンにとっては、気分に応じて甘えたり、誰かの愛情を享受したりすることは、ちっとも「負け」じゃないのね。ただ、彼の快感原則にのっとって、すべてが自分の気持ちのいいように流れていけばいい、と思ってる。それが彼にとっての「勝ち」でもある。それが捻じ曲げられ、従順な服従を強いられることこそ「負け」なのだ。

同性同士だからこそ、微妙に持ち続ける、相手に対する勝ち負けの意識をところどころに感じる。そんな男の姿がどことなく滑稽で、でもそれが一層、彼らの哀切をひきたたせている。そしてとてもリアルに感じられる。
と、女である私は思うんですが。「リアル」というのは、女の私から見たリアルでして、男の人はどう見るのかな?

 

 

3.レスリー・チャンとウォン・カーウァイ

この映画の後のインタビューでレスリーはもうウォン・カーウァイの映画には出たくないって言ってますね。初め、それを聞いた時はものすごく悲しかった。だってウォン・カーウァイの映画の中のレスリーの表情って、他の映画とは全然違うもん。

初めてこの映画でレスリーを見た時は、こんなにきれいな人だとは知らなかった。薄汚れているし、髪は無残にも短いし(鏡の前で髪を直すシーンなんて、「そりゃアンタ、ひよこの産毛か?」と言いたくなるよなヘアスタイルだし・・・)、他の映画の二枚目然とした所はどこにもないし。
けれど彼が出演している他の監督の映画とはある種異なる表情を見ることが出来る。多分、これがウォン・カーウァイの方法なんだろうな。
役者は、映画を作っている最中は、一体自分がどんな役なのかトータルに把握出来ていない。なにしろウォン・カーウァイはその日撮るシーンの台本を当日に渡すわけだし、しかも撮影後でも変更は頻繁なわけだし。その日その日に与えられたシチュエーションで動くだけなんだから。

そしてウォン・カーウァイは役者に「自分の持っているものを自然な形で出すように」と要求する。
ところで「持っているものをそのまま出せ」というのは、実は一番酷な要求だと思う。彼は役者が演技することを厭う。つまりそれは、この映画の世界で本当に生きている姿を見せろってことか。そして役者はとことん剥き出しにされる。自分が今まで意識しているよりも更に深く裸にされる。観る側にとってはそれは新鮮な姿だけれど、役者としては時にはもっとも消耗する方法論だと思う。

そんな方法論だからこそ、ウォン・カーウァイの映画に「スター」は不可欠なんだろうな。しかも、お飾りのスターではなく、彼のアイディアをどんどん膨らませ、広げていってくれるような雰囲気だとか力を持った俳優が。リハはなく、しかし何テイクも執拗に撮り続けていくカメラの前で、役者は様々な表情を出していく。多分、演技している他の映画では出さない顔を露出していく。だから彼の映画の中では多分彼らの本質に限りなく近いものが表出される。先に書いた、「二人の関係の根底に滲み出ている男としてのプライド」というのも、監督が意図したものなのか、レスリーとトニーという役者がぶつかり合うことで出たものなのか、判別が付かないのだ。(いや、実は後者の気がするんだけど)

そう、冒頭のセックスシーン。撮影時のトニーはレスリーに対して「負けるもんか」という感じだったらしい。そうだな、台所でタンゴを踊ってキスするシーンも。なんとなくトニーのその意志はものすごく伝わってしまう。それが見様によっては簡単に快楽に没入する表情を見せない男のプライドとして取れなくもないのだ。映画のラスト近く、チェックのシャツを着た二人が踊っているシーンもそうだ。トニーの目は、この刹那に対する不安を常に抱き続けるファイとしての目なのか、それともトニー・レオンの目なのかわからない。
役を演じている個人と役とが微妙なラインで揺れ動いていて、それが一層ウォン・カーウァイの映画の深みになっているような気がする。

またご承知の通り、ウォン・カーウァイはおそるべくたくさんのフィルムを使っている。そこには、他の映画とは比べ物にならないぐらい、登場人物たちの幾重にも広がった時間と方法の可能性が刻まれていたのだろう。
しかし編集段階で、そこからある一つの時間と方法を選び取っていく。それは、ただ振り返ることしか出来ない、なんとも切ない帰還不能な時間の物語だ。内容もそうなら、監督や役者においてもそうだと言える。その時点でたくさんの「いくつかの可能性」は確かに消え去るが、しかしそれでも剥がれ落ちきれなかった鱗のように映画のなかに微かに残っている。それが不思議な膨らみを生んでいる。

しかし・・・。これは役者にとってはつらいことだろうなあ。そりゃ映画にカットは付きものだとは言っても、ウォン・カーウァイの場合はその程度があまりにも違うし。映画の中で生きていた時間が全く違うものにされてしまうんだもんなあ。それに自分の役を自分でちゃんと作りたいって思うのが役者としての考え方だと思うもん。そう、多分、レスリーはそんなタイプなんだと思う。役者主義。それがレスリーのプロ意識だと思う。結果としての、ウォン・カーウァイの「作品」は認めざるをえない。しかし、役者として作品のコマになってしまうことは我慢ならない。

比べてトニー・レオンの方は、勿論役者としてのプライドはある。しかし彼はもしかしたらもう少し俯瞰的な立場に立てるタイプなのだろう。トニー・レオンはインタビューで、
「最初にこの映画を見た時には自分がイメージしていたものとは全然違い当惑した。しかし2回目からは監督の視点で見ることが出来、そしてこの映画に満足している」
というようなことを言ってますね。多分、ウォン・カーウァイの作品なら、彼の映画のコマになろうと彼にとってはその映画を一緒になって作っているという満足感を得ることが出来るのかもしれない。しかしレスリーの場合は、役者として自分で納得のいく演技をしたい、そしてそれを余す所無くスクリーンの上に表出したいという気持ちの方が強いのだろう。

だからウォン・カーウァイ映画にはもう出たくないって気持ちもすごく納得出来るし・・・。けれど、やっぱり「またいつか」と思ってしまいますね。彼が、「ま、友情の表れだよ」と笑いながらもウォン・カーウァイの映画に出演してくれる日を望んでいます。

 

※初出 美尾りりこ個人Web Site『快楽有限公司

ブエノスアイレス

http://cafematahari.com/r-leslie-buenos.htm

1998年12月


チャン・・・・張震チャン・チェン

『象は静かに座っている』

1988年山東省生まれの胡波(フー・ボー)監督。

長編の『象は静かに座っている』完成後、この世を去る。享年29歳。

234分の作品。

静かでとても淡々とした映画を想像していた。

が、違っていた。

音楽が入る箇所はとても少ないが、きっと若く新しい中国の才能ある音楽家が作ったのではないか、と想像させるような音楽で、そのどれもに心を揺さぶられる。

そして灰色の多い印象の映像。静かに俳優たちの後ろ姿を追い、そして後ろから彼らの見ている風景をじっと見つめる長回しの映像。それらには長い作品ながらまったく無駄を感じさせなかった。様々なことに倦みつつ、それをいくたびも呼吸を浅くしながらも腹におさめ、時間が過ぎることを待つ人々。その呼吸、その時間と共にこの映画はあり、そのための234分だった。

 

北京から南東50km離れた、文京区ではないその荒れた街にはいい学校もなく、高層のアパートは乱立しているものの、どこも部屋は狭く荒れている。

ユー・チェン。多分、唯一の友人がいて、その友人の家で、友人の妻と寝る。そこに帰ってきた友人はチェンの姿を見て、絶望して窓から飛び降りて死ぬ。

ウェイ・ブー。高校生。学校では実業家の息子で学校を暴力で支配するシュアイと揉めている。家では元警察官で足に大きな怪我を負っている父親に疎まれている。

ファン・リン。高校生。ブーの友達。母子家庭。家では仕事の愚痴ばかりで一切家事はしない母親との関係は最悪である。

ワン・ジン。娘と娘婿、そして孫娘との4人ぐらい。娘婿は静かな口調で「娘の将来のために文教地区に引っ越したいが、そこは家賃も高く家は狭く、とてもお義父さんを連れて行けないので老人ホームにはいってくれないか」と頼む。それを断るワン。

この映画はその4人の物語。

人や様々なモチーフ、起こる事件などが少しずつ重なっていくのは、ほんとうによく練られた脚本のせいもある。234分がずっと飽きもせず、ずっとどうなるのだろうという気持ちで見続けていた。

 

ところで、私は香港映画が好きで、そして中国映画にも好きな映画や監督がいっぱいある。それらを通して中国や香港、台湾などを感じたり好きになったり理解しようとしていたりする。そしていろいろ知っていくうちに気持ちはいろいろと複雑になっていく。理解したいが出来ないところ。好きだけど好きになれないところ。そういうものがあることを認めざるを得ない気持ちになっている。とても個人的で身近な例で言うと、何年か前にうちの店の隣に中国人オーナーが店を構えた。最初から何も挨拶はなく、こちらから挨拶に行き、一度食べに行き、会えば話をしていたのだが、次第に様々なことが起こるにつれその店は、うちの店を含む周囲の店と決裂した。今日、この映画を観ていると、その登場人物の多くはどんな状況でも絶対に謝らない。4人の登場人物はそれぞれ、いろんなことに巻き込まれる。理不尽な目にあう。例えばワン・ジンは自分の犬を他の犬に噛み殺される。その怒りと悲しみで飼い主の元に訪れるが、そこに謝罪はない。一切ない。「証拠はあるのか」と言われ、さらに責任はいつしか転嫁され、被害を受けた側がまるで反対に加害者であるかのように詰られる。わあ、これだこれだと映画を観ながら思う。私たちが隣人から受けたあれこれはまさにこれだと。そしてこの映画を観て不思議な気持ちになった。こういう、いわゆる中国的な対応を受け、この登場人物たちは心底うんざりした様子でじっと耐えている。耐えてはいるが、もうその辛抱も表面張力いっぱい、といった様子。そうか、おなじ中国人同士でもこんな対応にもううんざりなんだ、と。

いろんな思惑、経済的格差、政治的状況で、中国という大きな国はずっと揺らいでいる。こんなに広いのに、どこへも行けないのか。どこへ行っても同じなのか。様々な人が、作品が、監督がそう問う。ジャ・ジャンクー監督の『帰れない二人』もすごくよかった。そしてこのフー・ボー監督の『象は静かに座っている』に映る様々な景色も、そして人の心の中の荒地も、とても突き刺さった。

そうそう、改めて中国の地図。舞台は北京の南東、河北省石家荘市陘県。そこから北京まで行き、バスで瀋陽を目指し、さらに内モンゴル満州里を目指す。2300kmの旅。日本で言えば札幌から鹿児島までの距離らしい。

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『象は静かに座っている』予告編

2019年11月 ハノイ

2019年11月12日(火)~17日(日)

3年ぶりの海外旅行。2度目のベトナム。初めて訪れるハノイ

セントレア国際線での手荷物検査や入出国カウンターに変化があり、少し驚く。

飛行機はチャイナエアライン。台湾経由。

ホテルはホアンキエム湖からわりと近くにあるアンティーク・レジェンドホテル。

 

旅に出ると、いろんなことを再発見する。自分の中にある小さなことなどを。

ツアー、苦手な自分、とか。

遠くにある景勝地や観光名所、武田は絶対に行きたいと思う。旅の予定は武田任せの私は実を言うと、そういう地に行くのを結構面倒くさいなと思ってる。

「でも、舟に乗ってこういうところを巡るんだよ」と写真を見せてもらいながら聞いてると『舟は乗りたいな・・・』と都合よく思う。結局、何が苦手って、見知らぬ大勢の人と一緒に行くのがかなり苦手だってことだ。私は普段から英語を勉強している。そして自分の勉強のためにも実際に英語を使いたいと思ってる。そしてその勉強とは、いろんな国の人とコミュニケーションを取りたいがためだ。それなのに、いざ海外に出ると不特定多数の人とコミュニケーションを取ることが果てしなく面倒くさく思える。え、私、普段はそういう仕事をしてるんじゃないの?と自問自答。なんなの、この休日の私のコミュ障っぷりは。そしてツアーでは私はガイドさんを決して困らせない客に徹する。絶対に人から遅れない。必ずガイドさんにぴったり着いていく、ただそれだけの小心者のツアー客でいることに徹する。それが楽しいかといわれると甚だ疑問。だからツアーは苦手だ。

そんなふうにして行った世界遺産ハロン湾とティエンクン鍾乳洞ツアー。

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翌日のチャンアンのニンビン省、ホアルーという都のバイディン寺。それから女性船頭さんの手漕ぎ船でチャンアンの絶景を巡る旅。いくつかの洞窟を潜り抜けたり奇岩や美しい緑の囲まれた絶景を2時間かけて巡る。3~4人乗りの舟は各地からのツアー客でいっぱいだが、いざ乗っていると本当に静かで、鳥の声を楽しみ、水の美しさに嘆息し、奇岩や緑を楽しむ。すごく良かった。

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さてハノイ市内では、2階建てバスでハノ旧市街を巡り、その後アオザイを着て再び旧市街をシクロで巡った。また別の日、週末金曜夜からホアンキエム湖の周辺は歩行者天国にあるので、そのあたりをずっと散策して過ごした。

ハノイの交通事情と大気汚染はとにかく酷い。冬のせいもあるけれど、空はほぼどんよりしている。排ガスと粉塵が主な原因だそうだ。そして車やバイクが多く道を歩くのが大変なことはホーチミンでも経験していたけれど、ハノイ旧市街はそれ以上だった。歩道には駐車バイクがあり、そして店先には机と椅子が置かれて路上で調理をしていたり食事をしていたりするので、道路を歩かねばならないことが多い。さらに、時々信号があるのだけれど、信号を無視する車やバイクの多いこと。これは日本では考えられない。決して車どおりが少ない道でもなく、そして信号の変わり目でもない。交通量の多い交差点で、信号は赤でも、平気でバイクが突進していくのだ。道を歩きながら、自分の命は自分で守る、といつも思いながら歩いていた。そう、ハノイで感じたのは、あまり中途半端に他人について思いを寄せないのではないか、という印象だった。良くも悪くも。ここでこんなことをしたら他人に迷惑がかかる、という発想があまりない。まずは、自分の都合が優先。

そして歩行者天国となると、市場が開かれ、あちこちでいろんな催し物があったり、ダンスをするサークル、太極拳のサークル、またベトナムで人気のダーカウ。円陣を組んでバトミントンの羽状のものを地面に落とさないように足で蹴りあうスポーツをやってる人たち。インラインスケートを楽しむ人たちも多数。

どの人たちもとにかく自分の都合が優先で、人混みの中で時に危険ではないかと思うけれども、そんなときこそ、自分の身は自分で守りつつ、好きなことを楽しんでいる。本当にカオスだ!ホーチミンハノイ、どちらが好きかと問われると、ハノイのほうが好きかもしれない。

ベトナムは食べ物が美味い。買い物は定価が表記されていなくてもバリ島などと違ってそんなに高値から交渉がスタートすることもなく楽だ。朝から運動をしてる人たちに、人目など関係なくダンスをし体を動かすおばちゃんに、市場の活気に、いろんなものから「生きること」とか「生き抜くこと」を考えさせられるハノイの旅だった。

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ひとよ

『ひとよ』を観た。予告から想像したのは、子供たちに暴力を振るう夫を殺した母親(田中裕子)が服役を終えて帰ってきた、ある一夜の話、かと思っていたけれど違っていた。「ひとよ」の意味はなんなのか。

白石和彌監督の作品のうち、『凶悪』『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』を観ていない私が比較を語るのはどうかとは思うけれど、『ひとよ』が私には群を抜いて良かった。まず脚本が素晴らしかった。そして時々混じる演劇的なセリフとそれを発する役者の芝居、それだけで泣いてしまった。

(あらすじ)
タクシー会社を経営している夫婦。その子供たち3人。長男・大樹(鈴木亮平)、次男・雄二(佐藤健)、一番幼い長女・園子(松岡茉優)。父親は常に子供たちに暴力を振るっている。
母親、こはるは子供たちを守るため夫を殺し、用意しておいたおにぎり子供たちの前に出すと、父親を殺したこと、そして自首することを子供たちに告げる。「これであんたたちは自由に生きられる。どこにでも行ける」と。そして服役を終え、ほとぼりがさめた15年後、必ず帰ってくる、と。その後、会社はこはるの甥である丸井(音尾琢真)が引き継ぎ、何人かの従業員も抱えながらタクシー会社を続けていた。新しいタクシー運転手、堂下(佐々木蔵之助)も雇い入れる。次男の雄二は東京に出てフリーライターに。長男の大樹は結婚して娘を一人作り、地元の電気屋で働いている。長女の園子は美容師になることを夢見ていたが、美容学校での苛めに挫折して地元のスナックで働いている。そして15年後。とうに出所していたがずっと音信普通だったこはるが約束通り帰ってきた。園子の要請で雄二も久々に地元に戻ってくる。。。

 

確かに暴力で子供たちを縛り付けていた父親がこの世から消えれば自由になれるはずだけれど、現実はそうではなかった。殺人者のコドモとなった彼らは世間から冷たい仕打ちを受け、子供のときに夢見ていた未来を手に入れることは困難だった。さらに彼らは、母親の愛情のこもった「自由に生きられるし、なりたいものになれる」という言葉に呪われたのだ。園子(松岡茉優)が言う。「これはかあさんが親父を殺してまで作ってくれた自由なんだよ」というが、その言葉通りの自由に生きるということがいつしか彼らの重い責任のようになっている。それでもこはるは、子供たちからしたら怖いぐらいの飄々とした様子だ。大樹も雄二もそのことに戸惑っている。しかし、こはるは、そっと小さく心を打ち明ける。「自分がしたことを疑ったら、子供たちが迷子になっちゃう」と。
でもほんとは、もうずっと子供たちの心は迷子になったままだ。私はそんなふうに思いながら見ていた。例えそれがどんな理由であったとしても、そばにいてもらい、愛してほしいときに、それを求める対象がそこにいなくなってしまったとき、どのように心に決着をつければいいのか。そして大人になって会った時、どんな言葉で話せばいいのか。例えば大樹は、一旦ガラスの引き戸を閉めた。雄二は敬語を使った。私は彼らのその感情がとてもよくわかる。もう15年前と同じ気持ちでいられない、でも中身はまだ十分コドモである彼らは、どうやって母親との関係を結びなおすのか。映画の中でいろんなことが起こっていくが、それが強引だとは思わせず、とても自然な流れとして最後にむかって収束していくところは本当に見事だった。
この家族を取り巻く人として、音尾琢真筒井真理子MEGUMI、佐々木蔵之助、などなどがいて、それぞれの俳優が素晴らしいし、配役のバランスもすごくいい。例えば、こはるがある理由で意図的に万引きをする。その理由を知り雄二が「だからって他人を巻き込むんじゃねえよ!」と言うとすかさず、こはるの甥である丸井(音尾琢真)が「巻き込まれようよ!こんなふうにしか気持ちを伝えられない人なんだから!」というところ。その切り返しの良さに一瞬で胸を打たれ、ここはちょっと笑いを含むシーンであるにも関わらず泣いてしまった。丸井は他にも「こんなに一日中、タクシーのことばかり考えててさあ。俺、本当は漁師になりたかったのに」という名セリフもあった(笑) 最近のMEGUMIは何に出ても脇でとても印象的な光り方をしててとてもいい。
後半の佐々木蔵之助の凄まじい演技と、それに真っ向から挑む佐藤健のシーンも胸を打ったし。松岡茉優は、なにに出ても「この役は当たり役じゃないか?」と思わせる。すごいな。この『ひとよ』の園子もとてもいい力の抜け感があって、彼女の演技を見ていると「リアリティ」という言葉が浮かんでくる。こういう女の子のリアリティを細部にわたって演じているように見えるのだ。そして、何を考えているのかわからないようにさえ見える表情もあえて乏しい演技で、観てる側の予測もどんどん裏切りながら圧倒的なものを伝えてくる稀有な女優、田中裕子がやはり凄かったな。気がついたらこの人は怪優と呼ばれてもおかしくないほどの女優になってる。

そうそう、タイトル「ひとよ」について。クライマックスで堂下が慟哭しながら「じゃあ、あの夜はなんだったんですか!」というシーン。それに対してこはるが静かに「ただの夜ですよ」と応える。このセリフが本当に良かった。映画やドラマにない、とても演劇的なセリフ回しだと感じた。

誰かにとってどんな夜でも、それは誰に上にもあるただの夜。
それが、この「ひとよ」の意味ではないかなあと。それでも、それが自分にとって特別なものであるのだとしたら、それでいいんじゃないか。ああ、あの「ただの夜ですよ」という言葉も、田中裕子だから出せるニュアンスなんだろうなあ・・・

もうヤバイぐらい泣きっぱなし。そしてすごくいい映画だった。


佐藤健の無精ヒゲ姿…『ひとよ』本予告

 

『ホットギミック』良すぎ問題

(ちょっとネタバレありますからね)

映画『ホットギミック ガール・ミーツ・ボーイ』が予想以上にめちゃめちゃ良かった!!

誰が私の初恋なのか。

「全然わかんないよ・・!」

このナレーションから始まる予告映像を見た限りでは観る選択はなかった。

だって予告からすると自分に自信がない少女、初(はつね)が3人の男の子(しかもイケメン)のそれぞれの想いの中に翻弄されて・・・みたいな話で、自分に自信がないとかって、えー、アンタ十分に可愛いのになにさ、キーッ!みたいな気持ちになるじゃないですか。しかも初恋初恋て、私はもうそういうのあんまり響かない50代半ばですから、キーーーッ!みたいなね。


堀未央奈『ホットギミック ガールミーツボーイ』予告編

 でも監督は山戸結希。それなら観るしかないか、と思った。「やっぱり山戸結希は作品を通して追っていかないといけない監督だよね」と友達と、まるで何様?みたいなことを言ったりもした。

そして見終わって、劇場を出て、一緒に見た友達に「どうだった?」と聞くと感極まったように「めっっちゃ良かった・・・!」というので「私も・・・」と言った途端に激しく感情が込み上げてきて思わず涙が出てしまい、やっとのことで「山戸結希の作家性が・・・・すごく良くて・・・!」と答えるので精一杯だった。

原作は読んではいないけど大雑把に言えばこの物語は女の子の夢がいっぱい詰まっている。主人公は頭は良くない、友達もそんなにいない、特技もないし夢もない自信も持てない普通少女。彼もいないし、キスやセックスを経験している女の子とは違うステージにいる「未満」な女の子。そういう女の子の前に突然、新しい世界が降ってくる。それはまさにみんなの夢→同じマンションで育った幼馴染み、モデルの男vs頭脳優秀vs一緒に育った優しい兄(not 血縁)。今までの現実と地続きのはずなのに、そこは急に新鮮、だけど棘だらけの世界に変容する。

この原作をが山戸結希がかなり「山戸結希の作品」にしているのではないかと思う。

 

始まってすぐ、人物の顔のアップと短いカットが続いていくことにちょっとドキドキした。その映像はまるで恋の始まりのようではないか。好きな人のことを断片的に頭の中に思い浮かべているようで。

映像作品の中で長いカットがあると私はドキドキする。そのドキドキは、回ったままのカメラの中で、そのフレームの中で、俳優は何を感じどう動きセリフを言うのかを思い、その緊張感を思ってドキドキする。私の目の中心はそこに動く俳優にある。

けれど山戸結希の『ホットギミック』はその反対で、顔のクローズアップと細かいカットが多用され、また同じシーンでも風景の色合いが暖色だったり寒色だったりかわるがわるに変化したりもする。そこで私が見ているのは、俳優、そしてスタッフを動かしている山戸結希監督の作家性だった。明らかに私は山戸結希の作るものにドキドキしている。山戸結希が描いている10代の少女たちへの想い。同時に男の子たちがみな、美しく、そして恐ろしく描かれている。それは過去作『溺れるナイフ』もそうで、あの菅田将暉は本当に美しくて存在が儚くてそして恐ろしかった。

 

溺れるナイフ』の小松奈菜がそうだったけど、『ホットギミック』の主演の堀未央奈、妹役の桜田ひよりがとてもエロい。色っぽいではなく、エロい。内側からエロさが満ちている。10代の女の子たちのカラダの中には、外に出せない、形にならない性欲が入ってる。産毛がキラキラしてる薄く張り詰めた皮膚の内側には、彼女たちは何か特別のもの、女の子を見つめる誰かにとってすごく特別なものを入れている。きっと歩くたびに、たぷん、たぷんと音がするのではないかと思うなにか。

 

作中のマンション、あのマンション(実際は豊洲のUR賃貸 東雲キャナルコートらしい)の造形や佇まいが映画の中でとんでもなく美しい。そして巨大な巣のようだ。性的なナニカを秘めた、巣。孕む機能を持った女がそこにいる。性交する体を持った男と女がそこにいる。その巨大な巣は有機的で整然としていて、そしてとても窮屈。

主人公の少女、初は3人の中のある少年と手に手をとってその巨大で窮屈な巣から逃げるように走り出す。その重要なシーンでのロケ地が豊洲ぐるり公園という湾岸に面した公園。そこからの風景が本当に美しい。その風景の中で初の中の「少女」が炸裂するのである!カラッポだった初という少女のカラダから閃光を放ち絶え間なく放たれる「少女爆弾」。好きは好きだし、でも恋とか関係とかに永遠なんて言えないし、わからないことはわかんないし、誰かに支配されたくないし、カラダの中には性欲があるし、そして自分のカラダは自分のもの。揺れて、さっき言ったことと今言ったことが違っても全部ホントのこと。山戸結希は少女の心の中にある溢れんばかりのものをとても丁寧に掬い取り、そしてそのすべてを爆弾に変えていく! ただ、そのことに、私はこのシーンで泣いてしまったのだ!(それは山戸監督作『おとぎ話みたい』クライマックスでもそうだったなあ)

 

しかしあの美しい風景が、最後のエンドロールでは黒みの強いモノクロになる。それもすごく面白かったなあ。湾岸の向こう側には高層ビル群のキラキラしたネオンを反射してたゆとうあの海が、どんよりとした黒い海に変わる。美しくも怒涛のクライマックスシーンの風景が一変してこのエンドロールのモノクロ。そこで私が感じたのは、3人のイケメンの男たちの初恋に翻弄される主人公、初は、もちろんこの映画の中で主人公であり特別な存在だけど、物語が終わったときそれは世界中の数え切れないほどの女の子たちの中の一人で、彼女と彼女じゃない女の子の見分けもつかない。そういうことなんだと思った。けれど最後に光る東京スカイツリー。ああ、やっぱり! たくさんのなかのひとりだけど、それでもあの女の子はここにいる! ひとりひとりは、それぞれの物語の中でこんなふうに強く光っているんだ、とそんな風に感じたんだ。

 

 

 

『ポルノグラファー』そして『インディゴの気分』

先月。いわゆる「沼」というものに落ちてしまった。

 

いつものように気になる映画とかまたはその原作になったものなどを検索しているうち、なぜかこのドラマのタイトルが目に入ったのだ。

BL作品が原作でFOD(フジテレビオンデマンド)制作ドラマ『ポルノグラファー』。

FOD。1ヶ月無料視聴ありか。

1日迷った末、登録をする。

そして観た。1話25分ほどの全6話。1話だけ見るつもりが6話分、約2時間半、一気に観てしまった。翌日からはその続編の「ポルノグラファー インディゴの気分」を観た。今度は、見終わってしまうことを恐れつつ、1話ずつ丁寧に。

官能小説家、木島理生。自転車に乗っていて木島を転倒させたことがきっかけとなり出会った大学生、久住春彦。木島の担当編集者、城戸士郎の3人の物語。

とりあえず、ここではこの作品の内容については語らない。

ただ、これを見て以来、いろんなことを考えている。

改めて、BLとは。またはレディコミとは。

男性の性嗜好とは方向性が異なる、性描写よりも物語を重視する女性のための、自由な性表現。ポルノグラフィ。BL及びレディコミにはそれが重要なファクターになっていると思う。

それらの意味について理解した上で、しかし実を言うと私が作品に求めているものはそこではなかった。まさに『ポルノグラファー インディゴの気分』で木島が言う「道具としての作品」が好きではなかった。ただ、私の性癖と言ってよいのか、そこにすぐれた物語、または描写が存在する男性と男性が紡ぐ物語を高校生の頃から密かに偏愛していた。

後に読んだ原作のマンガ『ポルノグラファー』は面白い作品だったが、ドラマ化した『ポルノグラファー』と『インディゴの気分』にはBL作品としてのマンガとはまた違う方向性を持って性描写を真摯に描いている。勿論ドキドキしながらも、そのことについて目が覚めるような思いもした。

人が出会う。そこに喜びも生まれると同時に寂しさも際立っていく。欲望も生まれる。人を求めるその先にはセックスもある。それは誰にとっても日常である。殆どのドラマや映画ではその描写はとても曖昧にぼかされるけれど。しかしそれをとても丁寧に描いていることが本当に本当によく伝わってくる。喜びも痛みも苦しさも。そうだ、これは描写として隠したり外したり、あるんだかないんだかわからないものとして描かれるべきものではない。唇が触れるだけのキスと舌が絡まるキスでは、そこで生まれる感情も、感覚も、快感も、違うでしょう? それってとっても大事なことでしょう?それを欲情させるためのポルノとしてではなく(その意味はないことは、ないけど)とても自然なこととして描いている、のではないかな、このドラマは。

 

・・・そんな感じで、いろんなことを考えている。

勿論、いつしか俳優、竹財輝之助にどっぷりとハマりながら。

まさに、沼。

 

さて。FODで配信される『ポルノグラファー』の配信は2019年7月27日で終了予定だそうです。

心っっから、つよくつよく、観てみることをオススメします!!

www.fujitv.co.jp

 

父に会う

私はおとうさんのことが結構好きだよなあ。

そんなふうに時々、すごーく時々だけどそう思う。

高校のときに一度、そんなことを日記に書いたことがある。

そういう気持ちは、きっとおとうさんもおかあさんも誰も知らないだろうし思いも寄らないことかもだけど、おとうさんのいろいろが結構好きだなあ、とそんなふうに考えている。高校のとき、美術館である宗教画を見て思ったんだ。多分、イエスが亡くなった男を腕に抱きかかえている絵で、私はそれを見た瞬間とても泣けて、そして私は、自分が死んで、それをこんな風におとうさんに抱きかかえられて悲しんでもらいたいと思っていると気付き、そんな自分がどこか哀れな気がしてまた泣けたのだった。

私はそれほど長い時間を父親と暮らしてはいない。とは言え、早くに父親を亡くした人や単身赴任で父親と離れて過ごしている人に比べたら大して言うほどの短さでもないような気もする。しかも父、まだ生きてるし。ただ私が21歳で家を出てからこの34年間、会ったのが時間にして多分、24時間よりは多くても48時間には満たないのではないか。それが人と比べて多いのか少ないのかわからない。少なくとも心の距離としてはとても離れていた。

その私が自ら父に会いに行った。父は3度結婚している。父の2番目の妻の子である私と弟(私はこの弟とは別れて育ったのだが)が、先ごろ3番目の妻であり私の継母だった人を亡くし、その四十九日を終えた父に会いに行ったのだ。弟には父の記憶はなく、成長してから会ったのはこれが3回目。父が今ひとりで住む家に行くと、私の義妹とその娘、そして私のいとこが待っていて、私たちはみんなで昼ごはんを食べに行った。

私と弟は父の話を聞いている。父は主に私たちの祖父、自分の父親の話をする。私は幼い頃、九州に住んでいたそのおじいちゃんに会うのが楽しみだったし好きだった。九州の海や神社の蝉、1ヶ月だけ通ったそこの小学校、古くて大きな家など様々な思い出があるけれども、祖父がどんな人だったか、どんな生き方をした人か、改めて聞くのはとても興味深い。

父の話を聞いていて、もしかしたらいいところばかりを紡いで少しは盛ってるところがあるかもしれないと思った。父は過去に家族に関することでいろいろ悔しい思いをしたこともあったに違いない。けれど今、86歳になる父は、自分の父親がどんなに優秀な人だったか、どんなに清廉な人だったか、それを心から誇らしげに語る。

ただ、そこから祖父、父とその兄弟、そして私たちの代から妹やいとこの子どもたちとぐるりと見渡すに、祖父の優秀な頭脳、そして学歴などを引き継いだ人間は何故かほぼいない。芸事の好きだった祖母の血をどうやらみんな受け継いでいるようだけど。さらには、次世代がみな、親世代を反面教師として生きているようにしか思えない。政治家になった祖父だけどお金儲けは下手で清貧だったという。それでその息子たちはみな、学歴は乏しいが自ら会社を興すという生き方を選んでいる。その次世代の私は、そうやって働いでお金を稼ぐことに生きる親を見て、「お金はそこそこでいい」という生き方を選んでいる。

ただ、自分の父親のことを大切に語る私の父を見ながら、様々な不満や恨みにもきちんと落としどころを見つけたのだ、と思う。

父親が語る自分の父親、私のおじいちゃんは本当に優秀で、スーパースターで、どこに行ってもおじいちゃんが一言口利きするだけで大きなことが動く政治家としての力を持った人だという。けれども、本当にそういう局面もあったのだろうし、うちのおじいちゃんごときではなんともならない案件など山のようにあったと私は思ってる。そしてきっと、武田のおじいちゃんだってすごい人だったし、私の友達のおじいちゃんもすごい人だった。亡くなったすごい立派なおじいちゃんたちが身の回りにいっぱいいる、と思うと、なんかもうほんと、どんなふうに生きたっていいや、私たちはみんな結局はとてもちっぽけで、ちっぽけだけどもそんなふうに自分に繋がる人たちはすごかったなあなんてことを単純に嬉しく思ってる、ぐるぐるした環の中のひとつにいるんだなあって思えてくる。

 

God's Own Country

私はこの映画を、生きる、というシステムの映画だと感じた。

God's own country.

神の恵みと地、と呼ばれるイギリス、ヨークシャー州。

父親の牧場を継ぎ、たったひとりでそこで働くジョニー。ジョニーはこわい目をした父と祖母と共に過ごしている。

 

この物語をジョニーとゲオルグというふたりの男の関係で描いたのはとても面白い。男性と男性。それは自然ではない、特殊なことなのか。

この作品はジョニーと移民の娘、という設定で描いていたら行き着くことの出来ない物語だったと思う。

「自然」とはなんだろう。

そこに牛がいる。羊がいる。厳しく広大な土地がある。それが自然か。

しかし牛も羊も人の手を借りて食べ、出産し、死ぬ、家畜だ。

女がいて、その息子がいて、さらにその息子がいる、血縁で繋がった3人。その構造が果たして自然か。男と女が結ばれること、家を継ぐ、親の面倒を見る、そうした、いつの時代からか正しいとされた構造が自然か。

ジョニーは男を見て発情する。それは動物の目のようで、どっちが力が強いか、オスとして強いか見極める。欲望はあっても愛ではなく征服。キスはしない。ただ後ろから挿入し、射精すればそれで終わり。その行為は動物としてとても自然に思えた。

ジョニーとゲオルグとの間にも、動物としてのとてもシンプルな構造があった。どちらが強いのか。その強さは力なのか、人種なのか。それとも智恵なのか。ジョニーはゲオルグの強さに負かされたとき、強さとは何かと言うことに初めて行き当たる。

「自然の素晴らしさ」を口にする人がいるけれど、自然とは強さで縦割りにされたシンプルで残酷なもので、人にとって生きるとは、それよりももうちょっと愉快に生きていく方法を探すことではないか。

親から受け継いだ牧場の仕事を拒否することなく、こわい目をした父親と祖母の下で暗い眼をして生きていたジョニーは、ゲオルグに出会ったことで強さや男女差や職や学歴や人種で上下が分けれらるのではなく、複雑で豊かな関係を知る。ふたりでもう少し愉快な気持ちで牧場で働き、生きていく道を模索する。生きるとは、そういうことなのだなあということを感じた1本だった。

 

finefilms.co.jp


映画『ゴッズ・オウン・カントリー』予告編

 

 

 

 

 

母の葬式

今日は私にとっては血の繋がっていない母の葬式だった。私は10歳から20歳までをその母とその家族、私の実父、そして新しい妹たちと共に暮らしていた。

葬儀のはじまる45分ほど前に着いたのだけど、私は葬儀の場のどこでどう振舞ったらいいのかわからない。斎場の人にご記名をと言われ、一応親族の私が記名するのかどうかよくわからない。受付で香典を出したのだけど、家から長いこと離れている私には受付をしてる女の子たちが誰なのかわからないし、そして何と言えばよいのか。「このたびはご愁傷様でした」ではおかしいよね。黙って香典を出し、返礼品も黙って手を振り断った。

葬儀の時間まで随分ある。斎場を覗くと母の棺の前に一人座ってる父を見つけ、近寄って声をかけると、父の目は泣きはらしたあとのようで、そしてひとことふたこと言ったあと静かに泣き出した。私は父の肩に手を回して肩や背中をそっとさすった。そんなことをするのは初めてのことだった。控え室を覗くと10歳下の妹がチャキチャキと采配を振るっていた。

「お姉ちゃん来てくれてありがとね!」と言い、「お姉ちゃんは親族の席で、一番前の左のほうに座って」と言う。父が座り、妹夫婦が座り、私と武田はその隣に座った。本当に私は参列者の顔を見ても誰が誰やら殆どわからない。しかもみんな喪服なので時折武田の顔さえ見失う。母のことは秋に一度見舞っただけでそれ以来今日まで何一つしていない。その私が親族の席にいてどう振舞えばいいのか、とにかくわからないのだ。

そして私はそこにいて、なにひとつ悲しくないのだ。棺の中にいる母を見ても。飾られている母の写真はちゃんといい顔をしていて、他人事にように良かったなあと思う。でも母の死に対して悲しみがまるでないのだ。泣いている父や弔辞を述べようとして号泣してしまう妹の姿に私はとても心を打たれているのだけれど。

出棺のときに知らない人たちが何人か泣いていた。母には泣いてくれる友人がいるということに私は少しびっくりしていた。火葬場に行き、妹の子供たちが棺の中の母に「ありがとう!」と声をかけて泣いていた。それにも驚いた。そうか、君たちにとって祖母であるあの母は「ありがとう」っていう存在だったんだ。私は、あの母のことをこんな風に悲しんでいる人たちがいることに驚きと共にしみじみと感動しているし、そして悲しんでいない私はこの人たちのそばにいるべきではないという思いもしていた。

火葬場で私はみんながいる控え室ではなくロビーで所在無く待っていた。

随分経って妹と、子供のころから妹の身近にいてくれてる人たちが多分ぽつんとしてる私を気遣って来てくれた。妹は、母の葬式という節目になっても何もしない私を責めることもしない。本当にそんなこと現実なんだろうか。「家」から逃げ続ける私を誰も責めないなんて本当のことなんだろうか。そんな気持ちもある。そういう気持ちを妹にどう伝えればいいのか。母の介護から最後まで看取った妹やその周囲の人たちに感謝しかないことを伝え、そして母のことをいろいろと話した。

母については「不条理なことを言って怒る」「本当に酷いことを言われた」「キツい人だった」など散々なことをみんなが言う。いわゆるメロドラマ的な、血の繋がっていない子供である私に対してだけそうだったのではないということは私も子供の頃からわかっていた。母はいつでもすべてのことを犠牲にして働いて金を得ることをずっと自分に課していた。自ら体を痛めつけるような生活をし、痛みこそが自分の人生であると誰かに訴えているような生き方だった。母は誰に対しても鬼のようで、手負いの獣のような人でもあり、私を含め子供たちは愛情をかけてもらったという実感が無い。それで私は成人してから家を去り、もうひとりの妹も後年、自死を選んでしまった。

しかし、その母が後年、とても変わったとのことらしい。私を含めた3人の娘に寄り添わなかった分、孫を愛したのだろう。仕事をやめてからは本当に穏やかな人になったらしい。「あんなに苛められた」「酷い扱いを受けた」という人たちが葬儀場で、火葬場で、涙を流している。

本当に、本当に、私は母の死に立ち会わなかったことを悔やんでもいないし悲しくも無いのだけれども、最後に闘病している母の時間に寄り添ってくれた人たちや死に際して泣くたくさんの人たちがいることに静かに感動していた。

私は、昨年秋に見舞ったとき、あの全身で怖くて、私を否定してばかりの母が私を見て「ああ、なんか幸せそうな顔をいい顔をしてる。幸せなんだね」と言ってくれて、ああこれでもう私はいいや、と思った。多分、殆どの人が結局はあの母の人生について同情している。多くの人がかつては母のことを憎んでいた。それでもあんな生き方だったのは母の生きた時代と、そして彼女の生育歴のせいだったのだろうと知っているし、時間が経ってもうなんか全部許そうって思っているのだろう。私は憎しみではなかったけれど、愛情を得られなかったということだけが何よりつらかったな。でもそれも、この言葉を得たからもういいや。満足です。そして18年前、何より母に愛されたいと思いつつ自死した妹も、母を待ちわびているに違いない。それもひとつの幸せな帰着のように思える。

 

久しぶりに実家に立ち寄った。私が途中からあの家の子供になり、更に母に子供が生まれるということで建てた家だからもう45年が経っている。リビングがもっと広かった覚えがあるけれど、とても狭かった。外から見たらすごく寂れていたけれども玄関には花があり、家の中もきれいになってた。リビングには母の介護ベッドが置かれてあり、そこに母の若い頃の写真と父のかっこいい写真が飾ってあった。その部屋にはとても幸せな雰囲気が漂ってた。母の最期には愛情がいっぱい満ちていたのだろう。私はそれを見たことで本当に満足して家を出た。

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なんだろこれ。この飛んでるの、うちの父。父が亡くなったらこの写真、欲しいな。

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「夜明け」

是枝監督の助監督だった広瀬奈々子初監督作。

主演は柳楽優弥

柳楽くんは顔立ちが濃くて、濃すぎて、『おんな城主 直虎』や『銀魂』などのけれん味ある役がとても似合う、と感じていた。もちろん、『ゆとりですがなにか』や『アオイホノオ』の柳楽くんも好きでしたけど。

そして、『誰も知らない』のあの柳楽くんは、もう二度とない、あの時間・あの映像の中にしかいない少年だった、と思っている。

ところが今回の『夜明け』を観ながら「ああ、あの『誰も知らない』の少年が成長したようだ。なんとか大きくなって今ここにいて、そして橋の上で泣いていたんだ」などと思ってしまうのが不思議。

 

『夜明け』は、ホモソーシャルな世界だなあ、と思って観てました。

哲さんは亡くした息子への喪失感から、拾ってきた青年シンイチを求める。従業員の宏美と再婚することはその前に決めていたのに、シンイチと出会って、死んだ息子と同じ名前のシンイチと出会って、擬似親子のようであり、師匠と弟子のようでもある男だけの世界のほうにより惹かれていっているようでした。

もう一度誰かと寄り添うならと選んだ宏美との生活だったはずですが、宏美、宏美の元夫との娘、宏美の母親の女系家族より、熟練工である従業員の男たちと息子のようで息子ではないシンイチとの男だけの世界のほうに、きっと哲さんはより惹かれている。本当に、その世界はとても煌いて見えた。

けれども、その世界の底を覗くと、そこには「秘密」や「言えないこと」や「見ないようにしてること」がある。実は彼らはかつて、そういう世界の中に生きてました。哲さんは決して妻や息子とうまくいってたわけではなさそうです。妻や息子の気持ちから少し目をそらせて生きていたのではないでしょうか。シンイチ、ではなくて光も、多分そのように生きてきたのでしょう。家族を失った哲さんと、生きる意味を失っている光が出会い、そこで生まれた小さな世界にもまた、秘密と言えないことと見ないようにしていることが降り積もっていきます。

「シンイチ」を剥ぎ取った「光」が再び選んだ世界は、哲さんを傷つけたでしょう。光だってずっとシンイチのままでいられたらという想いはあったでしょうし、そんなあやふやなままの夢を見ていたかった、と映画を観ている私は思いました。それでもまた、もう一度新たな世界を選びなおさないといけないのでしょう、光は。

もうなにも見ないことにして生きていくことを、やめるために。

夜が終わって、また朝が来る・・・・。

 

  • 青年「シンイチ」/芦沢光 柳楽優弥
  • 庄司大介(木工所の従業員)YOUNG DAIS
  • 米山源太(木工所の従業員)鈴木常吉
  • 成田宏美(哲郎の恋人)堀内敬子
  • 涌井哲郎  小林薫


映画『夜明け』予告編

それにしても。柳楽くん、ほんっと顔のパーツが1つ1つ、美しいわ。。

 

 

小さな奇跡の集まり

昨夜。

大きなスーツケースとデイパックを持った男性のお客様がふらりといらっしゃった。

ワインとサラダを注文され、その後うちの店の名前「春光乍洩」について質問されたので、その意味を簡単にご説明した。

そのあと、「この店は映画関係者や・・・あと作家がよく来るの?」

壁の川上未映子さんのサイン色紙を見てそうおっしゃる。

川上未映子さんはちょっとご縁があって、うちでライブをしていただいたことがあります」と私は答えた。

「僕、ちょうど今、新幹線の中でその方のダンナの本を読んだばかりで」とその方はおっしゃるので「阿部和重さんの、ですね」と答える私の中に、何かしら小さな縁とこの男性への興味が沸いてきた。

名古屋の方ではなく遠くからいらっしゃったというその方と、シネマスコーレやシネマテークの話を交わす。その方はある映画を撮り、その映画はシネマテークで上映されたとのことだった。その後、店内に置いてある雑誌を1冊、手にとられた。2013年の「映画芸術」。これはうちの雑誌ではない。現在「原恵一映画祭 in 名古屋」のメンバーが今週までと置いていった原恵一監督に関する書籍や雑誌のうちの1冊だった。それを男性はパラパラと見たのち、「ああ、やっぱり。見覚えのある表紙だと思った。僕、ここに寄稿しているんですよ」

ページを開くと、2013年公開の、ちょうどスコーレで公開したある映画に関する批評が数ページに渡って掲載されていた。改めて私はそこでお名前を知る。

Wさん。某TV局のチーフディレクター・映画監督・ノンフィクションライター、それらの活動は主に戦争に関連するドキュメンタリー作家のようであるそうなのだ。

ますます不思議じゃないか。この1週間だけ置いてある雑誌。ふらっと来店した男性がそこに寄稿していたとは。

さてWさんは福岡の方。今日はドイツ在住で現在一時帰国している、元大学教授に会うために名古屋にいらっしゃったそうなのだ。さらに今日中にまた東京へ行く予定らしい。その元教授から電話がかかってきた。きっとこのあと、どこかの料亭とか、静かなレストランとかで待ち合わせかなと思いきや。

Wさんは電話で「僕、今、とても素敵なところにいるんですよ。シネマスコーレの隣で(隣じゃない!)、なんてったっけ、路地の?マタハリ?っていうところ?」とおっしゃってる。それで、その元教授の方たちはうちにいらっしゃるというのだ。今の説明でわかるんだろうか?と思ってしばらくしたら、3人の男性たちがいらっしゃり、その中の真っ白な髪の上品そうな男性が

「ああ、やっぱり! 僕、ここに来たことがあるよ。懐かしいなあ。僕は趙博さん

パギさんと古い友達でね、パギさんに連れてきてもらったことがあるよ」とおっしゃる。「もしかしてライブにいらっしゃったんでしたか? えっと、2007年の?」

「2007年! わあ、もうそんなになるかあ!」

 

名古屋駅に近いとはいえ、こんな見つけにくいところにある小さな店に、何の情報もなくふらりといらした男性がここへ来る前に読んでた小説は安部和重さんのもので、その配偶者の川上未映子さんのサイン色紙が店内でその方をお迎えし、さらにかつて寄稿した映画批評が載っている雑誌がお迎えし、そしてわざわざ名古屋で途中下車して会いに来た元大学教授はマタハリにかつてライブで来て下さったことがあって・・・。

それらはみんな、別に大したことじゃないちいさな奇跡で、でもそれはみんながなんだか笑顔になって「わあ、不思議だねえ」「やっぱりね、なんか繋がってるんだよな」と言い合えるようなことで。

そして、自分の好きなもの、楽しいもの、自分にとって大切な人たち、そういったものがこの場所で小さく繋がったこと、それがうちの店だったことが、いつだって私には誇らしい。ああ、店ってほんとにいいな。そういう場所になれたりするから。いつもいつもいつも、こういう瞬間に出会うたびに飽きることなくそう思う。

 

私は私とこの件について語り合いたい

季節の変わり目のせいか、それとも週末に大き目の案件が控えている緊張のせいか、僅かに気持ちが下がり気味なのです。そう、ほんと、僅かに。

それでも今日の私は、千葉雄大くんと田中哲司さんの、「音量を上げろタコ!なに歌ってんだか全然わかんねぇんだよ!!」での妖しげな絡みを思い出すだけでもう、にやにやとしちゃうんである。

三木聡監督で阿部サダヲ吉岡里帆主演のこの映画で千葉雄大はレコード会社の男として最初のシーンからずぶ濡れだしのたうちまわるし、かなり大変なシーンが続いているんだけど、なんのご褒美なんだか、途中で下着1枚の千葉雄大とビキニパンツだけの田中哲司演じる「社長」の絡みがあるんですよ。

それをね、ふっと思い出しては1分ぐらいにやにやにやにやしてしまうのが今日の私。

20年ぐらい前だったら即刻、このシーンから広がる千葉雄大田中哲司のアナザーシーンを脳裏でどんどん展開させていってたかもしれないが、さすがに私も55歳になるヲバチャンなので、炬燵に入ってするめでも噛んでるような心境でいつまでもにやにやして日がな過ごしてしまうのである。

いやー、ほんと、なんでだろねえ。

千葉雄大くんは、ライターであるメガネ女子の胸元に手を入れて乳首を弄んでるようなシーンもあるのだけれど、そこに私がにやにやするポイントは皆無である。

なぜだ。相手は禿げカツラを装着してる田中哲司なのに!

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なんてゆーか、環境や生育歴などで培われたものではない、きっと生まれた時から私の細胞に組み込まれている「にやにやする遺伝子」みたいなものが間違いなくあるのだ。こーゆーシーンでにやにやしてしまうのは、これは私だけど私じゃなくて脳内のなんやらのせいだ! 

私はそんなことをもうずっと長いこと考えている。

このことについてなにか明確な答えもない。ただできることなら私はこの件を、10代の私、20代の私、30代の私、40代の私と私だらけで一晩中語り合いたい。何故、私たちの「萌え」は「ここ」にあるのか、ということを。

 

ま、それにしても。

気持ちが下がってるときでも「萌え」さえあればすぐに幸せになっちゃうって、もうどんだけ幸せなことか、と思いますね。


『音タコ』SIN+EX MACHiNA「人類滅亡の歓び」ミュージックビデオ(ショートver.)