おでかけの日は晴れ

お休みの日は映画を観におでかけ。時折、旅行。

『ホットギミック』良すぎ問題

(ちょっとネタバレありますからね)

映画『ホットギミック ガール・ミーツ・ボーイ』が予想以上にめちゃめちゃ良かった!!

誰が私の初恋なのか。

「全然わかんないよ・・!」

このナレーションから始まる予告映像を見た限りでは観る選択はなかった。

だって予告からすると自分に自信がない少女、初(はつね)が3人の男の子(しかもイケメン)のそれぞれの想いの中に翻弄されて・・・みたいな話で、自分に自信がないとかって、えー、アンタ十分に可愛いのになにさ、キーッ!みたいな気持ちになるじゃないですか。しかも初恋初恋て、私はもうそういうのあんまり響かない50代半ばですから、キーーーッ!みたいなね。


堀未央奈『ホットギミック ガールミーツボーイ』予告編

 でも監督は山戸結希。それなら観るしかないか、と思った。「やっぱり山戸結希は作品を通して追っていかないといけない監督だよね」と友達と、まるで何様?みたいなことを言ったりもした。

そして見終わって、劇場を出て、一緒に見た友達に「どうだった?」と聞くと感極まったように「めっっちゃ良かった・・・!」というので「私も・・・」と言った途端に激しく感情が込み上げてきて思わず涙が出てしまい、やっとのことで「山戸結希の作家性が・・・・すごく良くて・・・!」と答えるので精一杯だった。

原作は読んではいないけど大雑把に言えばこの物語は女の子の夢がいっぱい詰まっている。主人公は頭は良くない、友達もそんなにいない、特技もないし夢もない自信も持てない普通少女。彼もいないし、キスやセックスを経験している女の子とは違うステージにいる「未満」な女の子。そういう女の子の前に突然、新しい世界が降ってくる。それはまさにみんなの夢→同じマンションで育った幼馴染み、モデルの男vs頭脳優秀vs一緒に育った優しい兄(not 血縁)。今までの現実と地続きのはずなのに、そこは急に新鮮、だけど棘だらけの世界に変容する。

この原作をが山戸結希がかなり「山戸結希の作品」にしているのではないかと思う。

 

始まってすぐ、人物の顔のアップと短いカットが続いていくことにちょっとドキドキした。その映像はまるで恋の始まりのようではないか。好きな人のことを断片的に頭の中に思い浮かべているようで。

映像作品の中で長いカットがあると私はドキドキする。そのドキドキは、回ったままのカメラの中で、そのフレームの中で、俳優は何を感じどう動きセリフを言うのかを思い、その緊張感を思ってドキドキする。私の目の中心はそこに動く俳優にある。

けれど山戸結希の『ホットギミック』はその反対で、顔のクローズアップと細かいカットが多用され、また同じシーンでも風景の色合いが暖色だったり寒色だったりかわるがわるに変化したりもする。そこで私が見ているのは、俳優、そしてスタッフを動かしている山戸結希監督の作家性だった。明らかに私は山戸結希の作るものにドキドキしている。山戸結希が描いている10代の少女たちへの想い。同時に男の子たちがみな、美しく、そして恐ろしく描かれている。それは過去作『溺れるナイフ』もそうで、あの菅田将暉は本当に美しくて存在が儚くてそして恐ろしかった。

 

溺れるナイフ』の小松奈菜がそうだったけど、『ホットギミック』の主演の堀未央奈、妹役の桜田ひよりがとてもエロい。色っぽいではなく、エロい。内側からエロさが満ちている。10代の女の子たちのカラダの中には、外に出せない、形にならない性欲が入ってる。産毛がキラキラしてる薄く張り詰めた皮膚の内側には、彼女たちは何か特別のもの、女の子を見つめる誰かにとってすごく特別なものを入れている。きっと歩くたびに、たぷん、たぷんと音がするのではないかと思うなにか。

 

作中のマンション、あのマンション(実際は豊洲のUR賃貸 東雲キャナルコートらしい)の造形や佇まいが映画の中でとんでもなく美しい。そして巨大な巣のようだ。性的なナニカを秘めた、巣。孕む機能を持った女がそこにいる。性交する体を持った男と女がそこにいる。その巨大な巣は有機的で整然としていて、そしてとても窮屈。

主人公の少女、初は3人の中のある少年と手に手をとってその巨大で窮屈な巣から逃げるように走り出す。その重要なシーンでのロケ地が豊洲ぐるり公園という湾岸に面した公園。そこからの風景が本当に美しい。その風景の中で初の中の「少女」が炸裂するのである!カラッポだった初という少女のカラダから閃光を放ち絶え間なく放たれる「少女爆弾」。好きは好きだし、でも恋とか関係とかに永遠なんて言えないし、わからないことはわかんないし、誰かに支配されたくないし、カラダの中には性欲があるし、そして自分のカラダは自分のもの。揺れて、さっき言ったことと今言ったことが違っても全部ホントのこと。山戸結希は少女の心の中にある溢れんばかりのものをとても丁寧に掬い取り、そしてそのすべてを爆弾に変えていく! ただ、そのことに、私はこのシーンで泣いてしまったのだ!(それは山戸監督作『おとぎ話みたい』クライマックスでもそうだったなあ)

 

しかしあの美しい風景が、最後のエンドロールでは黒みの強いモノクロになる。それもすごく面白かったなあ。湾岸の向こう側には高層ビル群のキラキラしたネオンを反射してたゆとうあの海が、どんよりとした黒い海に変わる。美しくも怒涛のクライマックスシーンの風景が一変してこのエンドロールのモノクロ。そこで私が感じたのは、3人のイケメンの男たちの初恋に翻弄される主人公、初は、もちろんこの映画の中で主人公であり特別な存在だけど、物語が終わったときそれは世界中の数え切れないほどの女の子たちの中の一人で、彼女と彼女じゃない女の子の見分けもつかない。そういうことなんだと思った。けれど最後に光る東京スカイツリー。ああ、やっぱり! たくさんのなかのひとりだけど、それでもあの女の子はここにいる! ひとりひとりは、それぞれの物語の中でこんなふうに強く光っているんだ、とそんな風に感じたんだ。